帰国後の生活──ブラジルのおおらかな風土で培われたジルバの性格
戦前にブラジルに渡った移民の多くは出稼ぎ目的で、お金を貯めることが目的だった。ジルバの場合は、戦争によって日本とブラジルの関係が危うくなったために帰国したが、実際はいつか日本に帰ることを願いながら、帰国費用を貯めることもままならず、ブラジルで生涯を終える人も多くいた。
長谷川さんの帰国の理由は家族の転勤だった。日系企業のブラジル支社で働いていたときに、日本から転勤で来た男性と知り合って結婚。その後、3人の子供を出産。ところが夫の転勤が決まり、帰国することになった。長谷川さんにとっては34年ぶりの日本。子供は7歳、9歳、14歳、まだまだ親の助けが必要な時期に夫は岡山へ単身赴任。慣れない故国でひとり子育てをすることになった。
長谷川さんが帰国した1990年代は“デカセギ”に来る日系ブラジル人が急増した時代だった。社会の偏見もあったせいか、「ブラジル帰りというと変な目で見られることがあって、夫の親戚からいい顔をされなかったり、パートで何かちょっと間違えたりすると、『あの人ブラジル帰りだから』と言われることもありました」。
また、「日本の学校は図工やら体育やらがあって、鉛筆に名前を書いたり、体操服を用意したり、親が面倒見ないといけないことが多くて大変でした」と、ブラジルの教育との違いに戸惑うことも多かったそうだ。帰国者がこのように心ないことを言われたり、日本のシステムに慣れず困ることも多かった。ジルバにはマスターの幸吉や店の女性たちの助けもあっただろうが、外国育ちのジルバが日本の生活になじみ、店を作り上げて経営するには、並々ならぬ苦労があっただろう。
一方で、ジルバがブラジル帰りだからこそ、役立ったこともあったはずだ。
「ちょっと仲よくなったら『ごはん食べにおいで~』って気軽に言ったりしていたんですよ」と長谷川さん。こういったブラジルの雰囲気は、ジルバが誰もが飢えて苦しい時代でも困った人を見捨てておけず、分け隔てなく世話を焼いていたのに通じるところがある。ジルバのお客さんや店のメンバーに慕われた太陽のような性格は、ブラジルのおおらかな風土で培われたものだとしみじみ思った。
現在──ブラジルは遠いけど近い外国
ブラジルへの最後の移民が出発した1973年から50年近く経ち、日本人移民の記憶は忘れられつつある。戦前の1世や2世のころは日本人同士で結婚していたのが、「ブラジルはポルトガルが発見して植民地にした国で、先住民の人たち以外はみんなどこかの国の子孫なんです」と長谷川さんが言うように、今の4世、5世にはいろんな国の人たちのルーツが加わっている。
現在、長谷川さんが関わっている「関西ブラジル人コミュニティ(CBK)」では、来日した日系ブラジル人の子供たちにポルトガル語や勉強を教えたり、保護者に日本語を教えたりしながら、互いのルーツを学び伝える活動をしているそうだ。
「ブラジルは世界でも日系人が多い国だから、大事にしないといけないと思います」という長谷川さんの言葉のように、ブラジルは遠いが近い外国だ。このドラマを通じてブラジル移民に興味を持ち、さらには身近にいる外国人や日系人に思いを馳せる人が少しでも増えてくれたらと思う。
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