今なら『:Q』の存在意義が痛いほどよくわかる
綾波レイは、シンジの母であり、ゲンドウの妻であるユイの亡霊だと考えられるが、渚カヲルは、碇シンジの亡霊ではないだろうか。
当初、「もうひとりの完璧なシンジ」として構想されたというカヲル。シンジは死後、カヲルとして転生し、かつての自分に遭遇する──のだとしたら、これほど悲痛なこともないが、これほど感動的なこともない。
圧倒的な、あまりに圧倒的な孤独。
傷つき、疲れ果てた自分を抱きしめるのは、自分以外にはいない、ということ。
渚カヲルとは、そのメタファーではないか?
テレビ版ではポジティブな魅力のほうが優っていたカヲルだが、新劇場版では繊細さや自己犠牲の側面も浮き彫りになっている。
そう、シンジがカヲルに惹かれるのは、憧れるのは、カヲルがシンジを受容するのは、シンジが言ってほしいことを口にするのは、シンジがカヲルで、カヲルがシンジだからなのではないか!
『:Q』は内省的だが、『:序』も『:破』も、この内省に辿り着くために必要なホップとステップだったのだとすれば、納得できる。「ホップ→ステップ→ジャンプ⤴︎」ではなく、「ホップ→ステップ→ダウン⤵︎」。テレビ版最終話を反転させ、さらなる絶望=希望(自分を抱きしめられるのが自分しかいないのだとすれば、それは絶望的なことかもしれないが、実は最後の希望なのではないか?)を突きつけているような気がしてならないのは、私たちがコロナと共に2020年を経験しているからでもある。
14年経過したことを知らずに目覚め、うろたえ、混乱し、自己の存在意義に深く深く悩み始める碇シンジの姿は、コロナ以後の私たちにそっくりだ。
どんなSFも予見し得なかった、とてつもない未来を私たちは生きている。現実が、フィクションを完全に凌駕した。世界中の人々が、これは夢かもしれない、と何度も思ったに違いない。だが、夢ではない。起きながらに見る悪夢の世界で、どうにかサバイブしている私たちに必要なのは、虚構ではなく、哲学であり、倫理だ。
『:Q』には、それがある。
2012年、9年前では早過ぎた。
今なら、『:Q』の存在意義が痛いほど、よくわかる。
『:急』ではなく『:Q』であることも、大いなる示唆として届く。
Q、つまり、クエスチョン。
答えを出すのではなく、問いつづけること。
つまり、諦めないこと。
自分で自分を抱きしめるしかないキツさに打ちのめされながらも、どうにか息をすること。
見通しなんて何もないけれど。
すべてが変わってしまったけれど。
それでも「君に会うために生まれてきたのかもしれない」という渚カヲルのひと言が、今もなお、胸に響くということ。
ここに、哲学がある。
ここに、倫理がある。
『:Q』の末尾を飾る「つづく」という文字は、救済にほかならない。
なぜなら、今、人類が一番求めているのが、この概念だからだ。
エヴァは、つづく。
私たちも、つづく。
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映画『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』
原作・脚本・総監督:庵野秀明
監督:摩砂雪、前田真宏、鶴巻和哉
キャスト:緒方恵美(碇シンジ)、林原めぐみ(綾波レイ)、宮村優子(式波・アスカ・ラングレー)、坂本真綾(真希波・マリ・イラストリアス)、山寺宏一(加持リョウジ)、石田彰(渚カヲル)
製作:カラー
制作:スタジオカラー
(c)カラー
※『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』はAmazon Prime Videoにて見放題独占配信中
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