インターネット上には毎日億もしくは兆という数の言葉が溢れ、流れ、消えてゆく。
この時代に、わたしたちは毎日、毎時間過ぎゆく物事をどう見て、どう感じ、答えを出していけばいいのか。詩人・小説家の富士正晴の言葉から考える。
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常にどっちかを選べと迫る思想は間違っているのではないか
寒がりのわたしは、冬のあいだ、布団かコタツでゴロゴロしていることが多い。寝起きから1時間くらい頭がぼうっとして、手に力が入らない。やる気がでない。そのせいか、怠け者気質の作家の随筆を読むと嬉しくなる。
富士正晴著『八方やぶれ』(朝日新聞社/1969年)の「怠け者の記」もそのひとつだ。

怠け者は、本質的なこと以外のことは少しぐらいどっちでもかまわぬというところがある。
『八方やぶれ』富士正晴(朝日新聞社)
今年、春先から富士正晴の本を繰り返し再読していた。読んでは忘れ、忘れては読む。ひたすら作者の感覚を身に沁み込ませたい。そういう読書は時間がかかる。富士正晴は時間をかけるに値する作家だとわたしは思っている。
怠け者はいわば精神のユルフンである(フンはフンドシだ)。つまり、容易に心がせっぱつまらぬことでもある。世の中の人は、それはふまじめと誤解したり、いい加減と誤解したりするが、これまた愛嬌のない話だ。
『八方やぶれ』富士正晴(朝日新聞社)
富士正晴は1913年生まれ。「怠け者の記」は55歳のときの作。1960年代後半の「政治の季節」と呼ばれていた時代にこういうことを書く人がいた。今、フンドシを履いている人はあまり多くないと思うので「ユルパン」と言い換えてもいいかもしれない。同書の「ラッシュ、文芸ラッシュ」と題した随筆ではこんなことも書いている。
今のわたしには時評的関心をそそるようなものが、ほぼ無い。余りせわしいことは今のわたしには困るのである。ゆっくり見ていて、ゆっくり感じて、ゆっくり考えて、ゆっくり何かを書くことがあるというのが、わたしの生活テンポである。
『八方やぶれ』富士正晴(朝日新聞社)
何に関心を持ち、何に関心を持たないか。どんなテンポで生活するか。その自由は誰にでもある。わたしは興味に比例し、考える時間が長くなったり短くなったりする。関心度が低いと考えも浅くなり、「どっちでもかまわぬ」となる。常にどっちかを選べと迫る思想は間違っているのではないか——とひそかに思っているのだが、声に出して主張する気はない。
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