直木賞候補作『オルタネート』の企み
〈オルタネート〉というのは、小説中に登場するSNSアプリの名称である。高校生限定で、登録には学生証が必要となり、卒業と同時にログインの資格を失う。高校生活が時間的に限定されていることの象徴なのである。このアプリにはマッチング機能がある。登録者相互の相性をパーセンテージで示してくれるので、それを通じて見知らぬ相手と出会えることもあるのだ。視点人物が3人用意されており、ひとりは〈オルタネート〉の信奉者である伴凪津(ばんなづ)である。母親を反面教師として見ている彼女は、直感ではなくて信頼できるデータで人間関係を築こうと考えており、アプリを通じて運命の相手を探しつづけている。
小説の初めから顔を出しているのは、調理部の部長になった新見蓉(にいみいるる)である。2年生のときに出場した料理コンテストで痛い目に遭った彼女は、下級生の中から新しいパートナーを探そうとしている。はっきりとした目標を追いかけているのだ。
もうひとりの視点人物・楤丘尚志(たらおかなおし)は、円明の学生ではなくて、大阪からこの高校に通っている友人に会うためにやってきた。その友人と組んでいたバンドは、彼が東京に引っ越してしまったために自然消滅した。尚志はバンド以上に打ち込めるものがなく、結局入学した高校も辞めてしまっている。彼は止まった時間をもう一度動かすきっかけを掴みに東京にやって来たのである。
凪津と蓉と尚志。それぞれ立場も、見ている方向も違う3人だ。共通点は自分以外の誰かを必要としていることで、〈オルタネート〉の設定がそこで効いてくる。彼らはそれぞれに出会いを経験するのだが、もちろんその相手は自分自身ではないから、他人という壁に突き当たる。それをいかにして乗り越えるか、という小説なのだ。各人に見せ場があって、特に凪津が切る啖呵は実にかっこいいのだが、それは読んで確認していただきたい。もうひとり、物語の触媒となるダイキという園芸部長も実にいいキャラクターだ。
初期3作『ピンクとグレー』『閃光スクランブル』『Burn.─バーン─』
加藤のデビュー作は2012年の『ピンクとグレー』だった。ここから2013年の『閃光スクランブル』、2014年の『Burn.─バーン─』と3年連続で長篇を発表している。初期作品には、主要な登場人物が芸能界にいるという共通点がある。また3作ともに、古典的な物語構造が採用されていた。
『ピンクとグレー』は、主人公と彼の分身というべき存在との関係が主軸となる小説だった。いわゆる〈ダブル〉は鏡像であって、もうひとりの自分を相手どって戦っても絶対に勝利は訪れず、消耗するだけなのだ。『閃光スクランブル』は、動きの少ない前作とは対照的に、ひたすら動きつづける逃亡小説だ。〈ボーイ・ミーツ・ガール〉の構造で、出会ってしまったふたりが運命を共にするさまが描かれる。
『Burn.─バーン─』は教養小説で、子役として早熟な才能を評価されていた主人公が、芸能界とまったく関係ない相手から人生の違った見方を教えられたことから、少しずつ変わっていく。心を取り戻していく物語であり、加藤が学生時代を過ごした渋谷の街が舞台となることもあり、作者自身のメモワールとして読める部分がある。
初期3作が芸能界を舞台にした長篇であったのは、それが作者の最も知悉する世界だったからだろう。その中で話を動かすためには、すでに存在する確固としたプロットが必要だったのである。俗に、誰でも1作は小説を書けると言われる。自分のことを題材にすればいいからだ。自伝を書くことはもちろん容易だったはずだが、加藤は第3作までそれを慎重に回避した。『Burn.—バーン—』でそれを解禁したのは、以降も書きつづけられるという自信ができたからに違いない。この作品をもって、真の意味で加藤は作家となったのだ。
止まらない挑戦『傘をもたない蟻たちは』『チュベローズで待ってる』
同作を書き上げたのち、加藤は違う取り組みを行う。短篇執筆である。2015年に発表した『傘をもたない蟻たちは』には1年間をかけて書き溜めた作品が収録されている。ここでの加藤は、それまでは書かなかった濡れ場に挑戦したり、正面からSFを書いてみたり、と自由である。食をテーマにした奇想天外な「イガヌの雨」は、海外のストレンジ・フィクションを意識したような作品だ。過去の読書体験が活かされた好篇であると思う。
2016年には『週刊SPA!』で初の長篇連載に挑んでいる。後に後半部が書き下ろされ『チュベローズで待ってる【AGE22】【AGE32】』として刊行されたこの作品は、読者のネット投票によって決まる第8回Twitter文学賞を受賞している。就職活動に失敗した青年がホストとして働き始めるというのが前半【AGE22】の展開であり、そこだけだとありがちな話に見える。だがおもしろくなるのは後半【AGE32】からだ。主人公がホストから思わぬ転身を遂げ、さらに10年という時が流れた後の物語は、意外極まりない結末を迎える。その種明かしの仕方はミステリー的などんでん返しを伴うし、複数の登場人物が運命の流転によって人生をもてあそばれるという話の構造は、伝奇小説のそれだ。青春小説というよりも、過去につきまとわれる男の因縁譚と読むべきなのだろう。
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