1年間タイで映画撮影、暮らして見た地域の現実
“作りたい映画を勝手に作り、勝手に上映する”をモットーとする映像制作集団・空族が公開した映画『バンコクナイツ』。バンコクの日本人専門歓楽街“タニヤ通り”で働く女の子とその客たちの群像劇だ。その撮影にあたり、空族は1年間タイで暮らした。ラオスで出会った音楽およびその体験はもちろんのこと、彼が旅路の中で見てきた地域の現実についても語る。
※本記事は、2016年12月21日に発売された『クイック・ジャパン』vol.129掲載の記事を転載したものです。
なぜ4000キロの旅を必要としたのか
私たち空族の最新作である映画『バンコクナイツ』は、前作『サウダーヂ』から5年の歳月をかけて製作された。その間私たちは幾度となく東南アジアを訪れリサーチを重ね、監督である富田克也は最後の1年間はタイに住んで撮影に臨んだ。『バンコクナイツ』は題名のとおりにタイのバンコクに存在する日本人専門の歓楽街“タニヤ通り”で働く女の子たちと街を訪れる日本人客たちとの群像劇だが、舞台は物語の中盤からタイの東北地方であるイサーンへと移り、ラオスまで国境を越えてゆくのでロードムービーの一面も持っている。ではなぜバンコクを舞台にした映画がタイの田舎であるイサーンや、はたまたラオスまでの総距離、4000キロの旅を必要としたのか? それにはふたつの理由があった。
ひとつはタニヤ通りで働く女の子の多くが地方からの出稼ぎ、とりわけイサーン出身の子が多かったということだ。イサーンは不毛の土地と呼ばれ、多くの労働者や娼婦がバコクのみならずタイ各地に出稼ぎに出ざるを得ない土地として知られている地域である。『バンコクナイツ』の主人公ラックもまた家族を支えるためにラオスとの国境の街ノンカーイからバンコクに出稼ぎに来た女の子である。このイサーンという土地はラオス、カンボジアと隣接していて政治的にも常に国境紛争にさらされる地域でもあり、言語もタイ語ではなくイサーン語(ラオス語に近い)が使われている。歴史的にはもともとラオス領土であり、ラオ族が多いラオス文化圏とも言えるのだが、タイやラオス、カンボジア等の様々な民族が混ざり合って玉虫色の文化を形成している地域、それがイサーンなのである。ベトナム戦争の時代には最も多くの米軍基地が造られ、イサーン各地から爆撃機がベトナム、ラオスに飛んだ。映画の中でラックの2番目の父親は元米軍パイロットで、リタイヤ後にキャンプ周辺でラックの母と出会ったという設定だが、その事象は日本に置き換えれば横須賀や沖縄を想像していただければわかると思う。