ドラマ『捨ててよ、安達さん。』に見る、断捨離の本質
緊急事態宣言の延長が発表され、長くつづく自宅での時間のなかで閉塞感を感じている人も多いのではないだろうか。部屋にいる時間が長くなると、今まで以上に部屋の中の「モノ」を意識する機会が増える。
タイミングよく放送されているのが、女優・安達祐実が本人役を演じる『捨ててよ、安達さん。』だ。モノたちが擬人化し、安達に語りかけてくる。ただ「捨てる」のではなく、我々がモノを手放すために必要な「向き合い方」に焦点を当てる、まさに家で長く過ごす今だからこそ観たいドラマとなっているのだ。
「モノ」が擬人化、「捨ててよ」と訴えかけてくる
ドラマは、安達が雑誌の企画で「毎号私物をひとつ捨てる」というコラムの連載を引き受けるところから始まる。何を捨てようか悩む安達だったが、その夜、夢の中に安達の「捨てられないモノ」が人の姿になって出てくる。
「私、安達さんに捨ててもらうために、ここに来ました」
一般的に「断捨離」と言うと、「これは必要なのか」という判断基準になる。あるいは、最近は「ときめくか」かもしれない。つまりは、持ち主の独断でモノを手放している。
しかしこのドラマでは、モノ自身が「捨ててほしい」と頼んでくるうえに、「なんとなく捨てる」と決めたモノからは「捨てる理由に納得感が欲しい」とさえ言われてしまう。
安達の「捨てられないモノ」は、特別なものじゃない
安達の夢の中に現れるのは、「自身の代表作の完パケDVD」「輪ゴムとレジ袋」「高校時代に使っていたガラケー」「昔から付き合いがある知人が手作りした時計」など。「自身の代表作の完パケDVD」は特殊だが、それ以外は僕たちの部屋にも存在するよくあるモノではないだろうか。
「輪ゴムとレジ袋」はあると便利だからなんとなく溜め込んでしまうし、どこかに仕舞ったまま忘れてしまう「高校時代に使っていたガラケー」、「知人からの贈り物」は相手の顔を思い浮かべてなんとなく捨てづらい。そういった具合に、誰しも心当たりがあるモノたち。“安達さんだから捨てられない”というモノばかりではない。
擬人化したモノたちはそれぞれ、安達の家にやってきた時期や置かれている状況など、詳細に説明し出す。モノなのに、夢の中には人として出てくるので、なかなかにややこしい。
「だって輪ゴム便利じゃん。レジ袋とかそのまま捨てるバカどこにいるの。とりあえずいったんとっておくでしょ」
『人のこと便利とか言ってる……』
「え、人なんだ」
「モノの声」と考えると新鮮だ。モノにとっての幸せを考えさせる発言も多い。たとえば、プライドを持ちながらも安達に一度も使われず放置されている書店のレジ袋(戸塚純貴)の嘆き。
「俺だって、ゴミ袋になる覚悟はできてたんだよ。たとえゴミでも、何も入ってないよりずっとやりがいがあるんだよ。生きてるって感じがするんだよ。袋だからさ……」