なぜ多くの人を巻き込む作品になったのか
BLの“お約束”をちゃぶ台返し
従来のBLは「お約束」と呼ばれる、定番の型が強くありました。しかし近年は、その「お約束」を打ち破る作品が多く発表されたことでここまでの大発展をしてきたという側面もあります。時期によって変化する気温のようなルールがBLには存在し、中でも変わりにくいルールは、
・受けと攻め(ネコとタチ)がいる
・基本的にハッピーエンド
・女性と絡ませない
・ご都合主義的なファンタジー
といったところです。ルールは気温のようなものなので、読者一人ひとりによっても感じ方が異なります。そしてBL読者とは、自分の心地いい気温の作品をチョイスし、それ以外を手に取ることは稀です。
しかし、『窮鼠はチーズの夢を見る』は前述のルールをひっくり返しながらも広く受け入れられた作品なのです。本作でのBLのお約束ちゃぶ台返しは、
・受けと攻めがいるが、挿入行為の役割が入れ替わる
・ハッピーエンドと言いにくい
・女性とめちゃくちゃ絡むどころか、既婚・不倫までしている
・心理描写が生々しくリアリティがある
窮鼠の連載当時は、上記のBLのお約束がしっかり守られた作品が多くありました。しかし現在はアンハッピーエンド、人外、男性が妊娠する世界を描く“オメガバース”など、ぶっちゃけなんでもあり。そのせいか、連載当初より現在のほうが作品のロイヤルティが高いように感じます。
BLなのか?という議論
本作、実は「BLなのか?」という議論があります。なぜなら、もともと連載していたレーベルがレディコミであったことや「ゲイでSMを描いて」と言われてスタートしているからです。
従来のBLの定義は「BL=女性向けの男性たちの同性愛(創作・ファンタジー)」でした(諸説あり)。
ファンタジーが前提であるBLにおいて、窮鼠は当時出版されたBL作品の中で突出してストーリーにリアリティがあり、あまりに深かった……。そして明確に、当時取り上げるのが珍しかったゲイをキャラに据えています。
近年、商業BLは今や腐男子と呼ばれる男性読者も少なくありません。さらに、LGBTQの読者も増えてきています。2020年は、こういった背景からBLの定義を見直し“女性向け”や“ファンタジー”、さらにはLGBTQ読者への配慮など、改めて表現や読者を考え直す時期にきているように感じます。
なんで今映画化するの?
2010年代後半から、急速に「LQBTQに対する認識を深める流れが加速してきた」という時代の波が来ています。そして同時に、BL作品のメディア化もこれまでにないほど活発です。
LGBTQの人々の性的指向と、創作や妄想の産物であるBLは全く関係ないもの。ですから混同してしまうのはタブーです。一方で、近年では現実の同性カップルが直面する状況を描くなど、リアリティがある描写を盛り込む機運も高まっています。これは「多様性を重んじよう」という社会の流れが軸にあるように思います。
一方、窮鼠の連載がスタートした2004年。LGBTQであるゲイとノンケの恋模様をここまでリアリティを持って描き、人気になった作品はありませんでした。今でこそ『きのう何食べた?』『弟の夫』などセクシャルマイノリティの作品が出始めましたが、窮鼠はそれらの先陣を切っていました。
そんななかで、『おっさんずラブ』の社会現象化、30年前の過去作品かつハッピーエンドとは言えない『BANANA FISH』アニメ化が話題となりました。BL(BLの定義にも議論がありますが、ここでは広義の男性同士の恋愛作品)実写・過去作品・全員が全員ハッピーエンドではないラストの成功例を前に、今回の窮鼠の実写映画化は自然な流れのように思います。
日陰的な存在だったBL作品が、日向に来ている。そんなBL界の歴史的瞬間に、ぜひBL作品未読のQJWebの読者さんも一緒に立ち会っていただけたら嬉しいです。