ドラマ『伝説のお母さん』ファンタジーの中に描かれる子育て家庭の現実

2020.3.9

「お母さんとはこういうもの」に縛られてしまうメイ

これが第1回のストーリーなのだが、どれだけこの話に現代社会のリアリティがあるのかがわかるのではないか。メイはその後も、この夫のことをパーティの仲間にクズと言われても、「あの人落ち込んでるんです」「あの人なりに考えてがんばっている」とかばいながら魔王討伐の仕事に邁進する。

怒りや疑問を感じても、その状況を維持しようとして感情を押し殺してしまう状況が痛いほど伝わってくるし、世の中にはこうやって「私だけが我慢すれば……」「悪気があるわけじゃないし……」と自分を納得させながら生きている人がたくさんいるのだろうと思えた。

ちなみに、この原稿は第5回まで見た時点で書いている。第5回の時点では、魔王討伐のパーティが解散となり、メイは仕事との両立をあきらめ、お母さんに戻ることを決意。しかし、メイの後輩で優秀な魔法使いのメルルから「先輩はもう、魔法使いの顔じゃなくて、お母さんの顔をしてるから」と言わたり(同じように魔法学校でがんばってきた先輩がその勉強で蓄積した能力を使えない今の状態を惜しいと思っているように見えた)、士官のカトウからも「メイさんには才能があるんですよ。この世界を救う力があるんですよ。その力を眠らせておくなんてもったいないと思いませんか?」と言われたりして、メイ自身がやっぱり「魔法使い」という仕事に魅力を感じ、未練があることを実感。ふたたび新たな魔王討伐のパーティの面々を決めるトーナメントに参加することを決意する。

メイはたびたび、「子育ては母親にしかできないこと」「仕事は自分でなくてもできること」というメッセージを夫や周囲から受け、自分もそうであると思い込んでいる。しかし、ドラマを観ている限りでは、メイにとっては“魔王討伐の仕事こそがメイにしかできないこと”ではないかと思えてくる。そして「子育ては母親だけのものではない」という制作側のメッセージも見て取れる。

この作品は、メイが「お母さんとはこういうもの」という考えに縛られていて、徐々にその「呪い」(使い古されている言葉なのではばかられるがほかにふさわしいものがない)を説いていく様子をロールプレイングゲームになぞらえて描いているのかもしれない。だとしたら、メイ自身がどうありたいのかを自分で選ぶことが結末になるのだろうと思えた。



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