ナウシカは「覆面」映画の傑作だ!9分もマスクをしたままの主人公と、宮崎駿のフェチズム

2023.7.7
スタジオジブリ公式サイトより (C)1984 Studio Ghibli・H

文=黒木貴啓 編集=田島太陽


1984年に公開されたアニメ映画『風の谷のナウシカ』が、7月7日(金)の『金曜ロードショー』(日本テレビ)でオンエアされる。宮崎駿が初めて原作・脚本・監督すべてを手がけた、スタジオジブリの原点といえる作品だ。

そんな本作は“覆面”から始まるのを覚えているだろうか。砂塵が吹き荒れる中、腐海一の剣豪とされるユパがトリウマに乗って現れるのが最初のカットとなるが、ゴーグルと防塵マスクでその素顔はまったく見えない。

主人公のナウシカも、登場してから9分以上にわたり覆面を被ったままで素顔を見せない。侵略軍のクシャナ殿下など重要なキャラクターもみんな初登場シーンはゴーグルやマスク、兜などで顔が隠れている。まごうことなき“覆面映画”なのである。

皆が共通して身に着けている「瘴気(しょうき)マスク」は、登場人物たちにとっての必需品であるだけでなく、宮崎駿のクリエイターとしてのフェチズムが詰まった創作の源でもあり、観る手をキャラクターに惹き込む効果的な小道具にもなっている。その瘴気マスクの奥深さを紹介したい。

兵器マニア・宮崎駿が描く、理にかなったマスクの構造

物語冒頭のユパの登場シーン(筆者による模写)
物語冒頭のユパの登場シーン(筆者による模写)

本作の舞台は、巨大産業文明を崩壊させた最終戦争「火の7日間」から千年後の地球。大地はサビとセラミック片に覆われ、「腐海」と呼ばれる有毒の瘴気を発する菌類の森が徐々に広がり、生き延びたわずかの人類が衰退の一途を辿っている。

そんななか、辺境の小国「風の谷」の族長の娘であるナウシカは、隣国ペジテ市と大国トルメキアの争いに巻き込まれる。蟲(むし)と呼ばれる巨大生物や腐海を焼き払うのではなく、労りと友愛の心をもって自然と共存する道を人々に示そうと奮闘する、そんな希望の物語が『風の谷のナウシカ』だ。

瘴気マスクを着けるナウシカ(スタジオジブリ公式サイトより (C)1984 Studio Ghibli・H)
瘴気マスクを着けるナウシカ(スタジオジブリ公式サイトより (C)1984 Studio Ghibli・H)

こうした事情から、人々の生活には瘴気マスクが欠かせないものとなっている。

瘴気とは一般的に、病を引き起こす山川の悪気や毒気のことを指す。ナウシカの世界では、腐海から発せられる瘴気を5分も吸うと肺が腐って死に至るのだ。各国では瘴気を防ぐためそれぞれ独自のマスクを作っている。物語で最も目にするのは、ナウシカやユパ、風の谷の民たちが着けるデザインの瘴気マスクだ。

口元におにぎり型の呼吸器があり、その左右から房のようなものが1本ずつ伸びている。パッと見ではこの房がなんなのかわからないが、設定資料によれば、これこそが毒を浄化するフィルター部分なのだという。

先っぽには外気を吸い込む孔があって、内部には風の谷に自生している「トリツユ草」の炭が詰まっている。かつての遺伝子工学が生んだ薬草らしく、この炭化物で瘴気をろ過して吸い込み、口元の孔から吐き出す構造となっている。

アニメージュコミックス・ワイド判『風の谷のナウシカ2』の表紙裏に掲載された設定資料にある、瘴気マスクの構造解説(筆者による模写)
アニメージュコミックス・ワイド判『風の谷のナウシカ2』の表紙裏に掲載された設定資料にある、瘴気マスクの構造解説(筆者による模写)

まるでイカの足のような見た目でインパクトがあるが、実際のガスマスクと比べると、構造もなかなか理にかなっている。

軍用をはじめ多くのガスマスクは、「キャニスター」と呼ばれる吸収缶が表面に取りつけられている。息を吸うとバルブが開いて外気を取り込みつつ、ここで汚染物質を除去する構造になっている。内部には活性炭(木・竹・ヤシガラなどを原料として作られた多孔質の炭素)を充填した部分があり、ここにさまざまな有機性毒ガスを吸着させているのだ。

第一次世界大戦中、1915年にドイツが初めて毒ガスを使用してから各国で開発・生産が急速に進むようになり、マスクの口元に取りつけたキャニスターひとつで吸い込み・吐き出しどちらも行うタイプが登場。1943年にはアメリカで、片側の頬に装着したキャニスターで外気を吸い込み、口元の孔から吐き出す「M5アサルト・マスク」が作られ、コンパクトになっただけでなく呼吸もしやすくなる。1961年にはキャニスターを左右の頬に内蔵し、口元に呼気孔を備えた「M17 ガスマスク」が開発され、改良を重ねながら湾岸戦争期まで長く使用された。

1961年にアメリカが開発した「直結式」の「M17 ガスマスク」(Wikimedia Commonsより)
1961年にアメリカが開発した「直結式」の「M17 ガスマスク」(Wikimedia Commonsより)

このようにナウシカ公開の1984年時点で、活性炭で毒素を除去し、両頬から外気を取り込んで口元から吐き出すガスマスクが登場していたのである。兵器マニアの宮崎駿のことだ。これら構造をきっちり理解した上で、両頬から吸い込んでトリツユ草の炭で浄化し、口元の孔から吐き出す、ナウシカの瘴気マスクをデザインしたのではないだろうか。

マスクがなければ、腐海はなかった?

なによりガスマスクについては、宮崎駿の強いこだわりを感じる発言がある。

『風の谷のナウシカ』は、コミックの連載をすると言ってしまった後に形になっていったんです。その頃はまだ、荒涼とした砂漠の中にある小国みたいなイメージしかもっていなかったんですが、色々こねくり回したり、いじくり回しているうちに突然、森が出てきちゃうんですね。突然です、本当に。初めは砂漠を描いてたのが、砂漠より森のほうが自分で気持ちがピッタリすることがわかったんです。でも、なぜ«腐海»に毒ガスがたちこめている設定にしたのかは、よく覚えていないんです。たぶん毒マスクが描きたかったんじゃないかなって気がするんですけれど……。

『風の谷のナウシカ ―宮崎駿水彩画集』(徳間書店)収録インタビューより

毒マスクを描きたかったから、瘴気を生み出す腐海が生まれた……先にガスマスクがなければ、腐海に怯えるナウシカの世界観はガラッと変わっていた可能性が高いのだ。

軍事兵器や蒸気機関といったカラクリを描きたくなるのは絵描きにとってはあるあるの欲求で、宮崎駿は特にミリタリー好きとして知られており、『宮崎駿の雑想ノート』(大日本絵画)では実際の軍事知識にもとづいて妄想の戦闘機や戦車を描きまくっている。

また宮崎駿がナウシカのコミック連載を始めるまでの2年間で描き溜めたアイデアスケッチにも、日本の甲冑をはじめとするさまざまな兜が描かれている。中には映画『スター・ウォーズ』シリーズのボバ・フェットのようにTの字の孔が入ったフルマスクや、『機動戦士ガンダム』のシャアが着けているようなレンズの入った半仮面もある。当時から宮崎駿の頭の中でマスクはなかなか大きな位置を占めていたようだ。

スケッチも後半、ナウシカへの構想が固まる時期になると、ユパの原型となったキャラがガスマスクを着けて砂漠を行く姿がいくつか描かれている。この時点ですでに両頬から大きな房がふたつ伸びた、イカのゲソのようなデザインが生まれており、先の瘴気マスクへと発展していくのだ。

ガスマスクは、ナウシカの根幹をなす創作の源だったのである。

期待と緊張を高める、サスペンスの小道具

さらにガスマスクによる覆面は、観客をキャラクターに惹き込む絶大な効果を発揮している。

主要キャラはいずれも、初登場時に覆面をしていると先に書いた。実はオープニングでナウシカがメーヴェに乗った姿を現してから、素顔をすべてさらけ出すまで、約9分10秒もかかっているのだ。

完全な覆面というわけではなく、砂漠に降りて腐海に入るとすぐゴーグルを上げ、目元だけはあらわにする。王蟲(オーム)の抜け殻を見つけて意気揚々とし、透明な目玉の殻を被りながら、上から降り注ぐ胞子をうっとり眺める。澄んだ目とその動きだけで、キャラクターの最低限の表情や性格はわかるようにはなっている。

それでも10分近く主人公の顔が隠されつづける焦らしっぷりはすごい。観客はキャラクターの性格を感じ取りながらも、いったい口元はどんな表情をしているんだろうと、顔全体への期待をふくらませつづけることになる。

スタジオジブリ公式サイトより (C)1984 Studio Ghibli・H
スタジオジブリ公式サイトより (C)1984 Studio Ghibli・H

さらにその素顔を見せる瞬間が素晴らしい。

銃声が聞こえ、巨大な王蟲に人(※ユパ)が追い回されているのにナウシカが気づくと、巧みな飛行機さばきと光と音の道具だけで、血を流すことなく怒りを収めてみせる。「光弾と蟲笛だけで王蟲を鎮めてしまうとは」とユパの実況のおかげでその能力の高さが伺え、いったいどんな少女なんだろうと期待はますます高まる。

王蟲が帰っていくと、ようやく御開帳。ナウシカはメーヴェを砂漠に着陸させ、「ユパ様ー!」と走りながらガバっと飛行帽と口元のマスクを外す。満面の笑みだ。とにかく爽やかで快活で可憐だ。巨大な蟲の怒りを収めたその勇ましさから、観客の興味を引きつけて引きつけて、この天真爛漫な笑顔がガバっと画面に映し出されるのだ。

心を掴まれないわけがない。

クシャナに関してもそうで、初登場はナウシカの父が寝室でトルメキア兵に殺された場面。

怒り狂ったナウシカがその場にいた兵をバッタバッタと切り捨て、ユパが仲裁に入り、銀色の装甲兵たちが駆けつける。そこにひとりだけ金色で装飾的なヘルムで顔を覆う者がいる。明らかに兵たちのリーダー格、それも幹部以上は確実だろう。権威的な風貌からいったいどんな顔をしているのかと伺っていたら、眼光の鋭い若き女性の顔がさらけ出される。

そのギャップにこれまたキャラの印象が刻みつけられるのだ。

覆面で観る手にたっぷり緊張感や不安を与えた上で、脱いだ瞬間、解放感と共に裏切りも交えながらキャラクターの素顔を伝える。瘴気マスクはナウシカの「毒に侵された世界」のおどろおどろしさ、異世界性を伝えるだけでなく、キャラクターに引き込むための見事なサスペンスの小道具として使われていたのだ。

ナウシカの人格が付与され、覆面から仮面へと変化する

最後に、エンドロールが終わったあとに「おわり」の文字と共に出るラストカットに触れたい。

瘴気の底にある空気が浄化された世界で、ナウシカのゴーグルつきヘルメットが半分砂に埋もれ、すぐそばでチコの実が小さな若木になっているーーそんな一枚絵で物語は幕を閉じる。

このヘルメットは物語冒頭の時点では、ナウシカがメーヴェの操縦時に着けるイチ道具に過ぎなかった。物語を知らない状態だと、このヘルメット単体を見ただけで何か別の人格を想像することはできない。秋田のなまはげや能面のように、装着者を「別の顔」に上書きするような一般的な「仮面」の機能はなく、ただ素顔の上半分を覆い隠す「覆面」の機能しか持っていなかったのである。

しかし最後のカットではそうではない。物語を通して、労りと友愛の心で人々を救ったナウシカの人格、ペルソナがこのヘルメットに付与されている。ただ覆面機能を持った道具ではなく、着けた者はナウシカに変身できる「ナウシカの仮面」へと変化を遂げているのだ。

そんなヘルメットを腐海の底に、木の芽と一緒に置く。たったそれだけで、絶望的な時代であってもこの先、ナウシカのような心さえ持ちつづければ自然や生命は再生していくのではないかと、希望を与えるカットになっているのだ。実に見事な仮面遣いといっていいだろう。

ナウシカは覆面に始まり仮面に終わる、すばらしきマスク作品なのである。

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  • 参考文献

    『風の谷のナウシカ―宮崎駿水彩画集』(徳間書店、1996)
    『歴史群像』2007年4月号(No.82)/坂本明「Military Equipment ガスマスク(1)第一次大戦におけるさまざまなタイプ」
    『歴史群像』2010年12月号(No.104)/沼田和人「Visual Gallery 黎明期からの変遷を見る ガスマスク大研究」
    宮崎駿『宮崎駿の雑想ノート』(大日本絵画、1992)
    山口真美『自分の顔が好きですか?』(岩波書店、2016)
    鷲田清一『顔の現象学 (講談社学術文庫)』(講談社、1998)
    宮崎駿『風の谷のナウシカ(アニメージュコミックスワイド判)』全七巻(徳間書店、1983~1994)
    『風の谷のナウシカ スタジオジブリ絵コンテ全集』(徳間書店、2001)


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黒木貴啓

(くろき・たかひろ)編集者・ライター。仮面とマンガに関心が強い。2022年末にコロナ禍のマスク生活を古今東西の「仮面」「覆面」から見つめるリトルプレス『面とペルソナ20’s 創刊特集:コロナ禍と面』発行。2023年5月にZINE『スタジオジブリの仮面と覆面』を製作。

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