松本人志もリスペクトする、51歳レジェンドのクレイジーな生き様(クレイジージャーニー)

文=てれびのスキマ 編集=菅原史稀 イラスト=おさく


テレビっ子のライター“てれびのスキマ“が、昨日観た番組を記録する連載「きのうのテレビ」。バラエティやドキュメントの中で起こった名場面、名言、貴重な会話の数々を書き留めます。2020年から毎日欠かさず更新中。

『クレイジージャーニー』(6月5日放送)

特別編として、松本人志の盟友にしてキックボクシング界のレジェンドで51歳になった今も現役をつづけるカリスマ・立嶋篤史を特集。

32年前に高校生でデビューし全日本チャンピオンに輝き、当時のキック界では異例の1000万円プレイヤーになった立嶋。彼は『ガキ使』の大ファンで何度かフリートークを観に来ていたそうで、1994年ころから松本も立嶋の試合を観に行くなど交流があったそう。松本は立嶋を「だいぶ偏屈よ」と表現する。

立嶋のジムは、そのキャラクターのイメージを裏切らない昭和感あふれる佇まい。線路の真横にあり、彼の小さな声はかき消されてしまう。「僕、クレイジーじゃないですよ」と小さな声で呟き「スゴいですね」と言われても「スゴくはないです」「スゴかったらみんな僕のこと知ってます」と繰り返す。家には「猫大嫌いなんですけど」などと言いつつ、保護猫4匹を飼っている。「なんで飼ってるんですか」と聞かれ「偽善です」と答えるところに彼の性格が表れていた。

褒められても否定し、常に謙遜していた彼が「ありがとうございます、うれしいです」と素直に喜んだのは息子・挑己(いどむ)の名を「いい名前」と褒められたとき。そんな息子とは、3年ほど音信不通だそう。立嶋「辛かったですね、彼がいきなり消えて。全然変わっちゃいましたね……」。

スタッフに「もう第2の人生歩んだほうが楽じゃないかって思ったことは?」と問われ、即座に「第1の人生がちゃんと終わってないのに?」と返したところに彼の深い思索の跡が滲む。

そんな立嶋が目標にしていたのが、100戦を戦うこと。偶然にも、松本が気になる人物として名前を挙げ取材を開始したタイミングがその100戦目を控えた時期。しかもその対戦相手が「まつもとひとし(松元仁志)」という同姓同名の選手という奇跡のような巡り合わせ。

立嶋が「本気でやってくれた」と取材陣を讃えたように、試合前日には息子にコンタクトを取り、話を聞く丁寧な仕事っぷり。その息子は「こっそり」と試合当日、観戦にも訪れていた。

劣勢のつづく試合。最終ラウンドにはダウンを奪われ打撃をもらいつづける立嶋。それでも前へ挑みつづける。するとそれまで無言で見つめていた息子が「いける! 最後までいけるぞ!」と声を上げる。

結果、残り1秒でTKO負けという劇的な最後に。松本がリスペクトするその生き様が詰まったような試合だった。試合後、息子が来ていたことを知らされ、わずかに表情がゆるむ立嶋。「これからの予定は?」と聞かれ「走って帰る」と答え、歓声に応えながら走っていく姿は、あまりにも不器用で、あまりにも泥臭く、あまりにもクレイジーでカッコよかった。

『週刊さんまとマツコ』(6月4日放送)

前週に引きつづき、山田邦子がゲスト。『夜のヒットスタジオ』、『夕やけニャンニャン』、『オレたちひょうきん族』が同じ日に収録だったそうで、その当時のさんまが「スゴいモテた」「共演の方とかパネル持ってくるお姉ちゃんとか」と話し出すと止まらなくなる山田。さんま「それ以上、ホンマあかん!(笑)」。

そこから段取りを無視してイニシャルトークに突入していく。女優のK・Cがさんまのことを好きで「なんでOさんなの?」と言っていたとか、歌手I・Hもさんまのことが好きだったなどと明かすと、さんまも芸人Oと『ひょうきん族』初期に山田邦子が付き合っていたことを暴露。山田は自分からTとも付き合ってたなどと明かす(Oはヒントとかでなんとなくわかったけど、Tがわからない)。

Nおの「HHK(ホーホケキョ)」とかB(当時S)の「「Iらっしゃい」」「OYY」とかギャグをイニシャルにしていたのがおもしろかった。

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てれびのスキマ

1978年生まれ。ライター。テレビっ子。著書に『タモリ学』(イースト・プレス)、『1989年のテレビっ子』(双葉社)、『笑福亭鶴瓶論』(新潮社)、『全部やれ。日本テレビ えげつない勝ち方』(文藝春秋)など。

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