ゲイの墓が掘り出される国と日本、共通する問題「“世間の役に立つ同性愛者”でなければ生きていけない」
話し上手、美容に詳しい、おしゃれ……ゲイに対してこんなイメージを抱いている人は多いのではないでしょうか。実際、多くの素晴らしい映画やドラマにもそんな特徴を持つゲイのキャラクターが出てくるし、テレビのバラエティ番組では美意識が高く、お話上手なゲイの方々が日々場を盛り上げています。
僕はというと、ゲイではあっても話し上手でも美容に詳しくもなく、おしゃれになりたいと思ってはいるけれど、残念ながらそうではありません。自分の実態とかけ離れた属性に対するイメージに“違和感”を覚えることもありましたが、そのどれもが悪いイメージではなかったので問題だと思ったことはありませんでした。
しかし先日『純粋な人間たち』(モハメド・ムブガル=サール著、平野暁人訳/英治出版)というセネガルを舞台にした物語を読み、遠くの国の同性愛者を取り巻く状況を知ったことで「自分が感じていた違和感を放置しておくべきではないのかもしれない」と思うようになりました。
目次
「魅力がなくなれば私も他の同性愛者と同じように殺される」
西アフリカのセネガルでは、歴史的・宗教的背景から同性愛者に対する強い差別感情を持つ人々が多く、刑法第319条には「同性の個人と性行為あるいはわいせつ行為をした者に1年から5年の実刑判決および10万から150万CFAの罰金を科す」と明記されています。『純粋な人間たち』は、そんなセネガルで実際に起こった事件をもとに作られた小説です。
主人公の文学教授ンデネは、ある日ネットで拡散された動画を目にします。その動画に映っていたのは、死んだ男性(同性愛者)の墓を人々が暴いている様子。これをきっかけに、同性愛をめぐる問題に関心を持たなかった彼も、どうしてこんなことが起きているのかを知りたいと思うようになります。
作中、ンデネはふたりのセクシュアル・マイノリティ当事者だと思われる人物と出会います。ひとりはセネガルのサバールというお祭りで、女性の格好をして女性的な動きで人々を魅了する男性、サンバ・アワ・ニャング。彼は、人々から同性愛者だと認識されているにもかかわらず、例外的に罰も受けずに見逃されています。その理由を、サンバ・アワは「自分が人々を楽しませている間だけは、自分が殺されることはないが、自分の魅力がなくなれば私も他の同性愛者と同じように殺される」と語ります。
もうひとりは、ゲイであることを隠して生きる同僚のコリー。彼は現在のLGBTQの権利活動に懐疑的で「昔は同性愛者も異性愛者のフリをして、社会に果たすべき役割を果たしていたので、誰もが見過ごしていたが、今は活動家の“ありがたくない”可視化により自分たちへの当たりが厳しくなった」と話します。
なぜ「世間から受け入れられるゲイ」でなければならないのか
彼らが生き延びるために「世間から受け入れられる」人物であろうとする描写を読み、マジョリティを楽しませたり、彼らにとって役に立つような同性愛者だけが許されている状況は、日本にも通ずると思いました。日本でも、テレビで視聴者を楽しませたり、自分たちの役に立つ存在としての「同性愛者」は許容する一方で、実生活での差別は止まらず、権利運動となるととたんに厄介者扱いされてしまいます。
僕が「ポジティブ」だと信じていた、「話し上手、美容に詳しい、おしゃれ」といったイメージでさえも、(ストレートの)主人公や物語の進行のために「役に立つ」という視点から付与されていたものだったのかもしれません。実際、映画や小説の中で、特別な理由がなく同性愛者であるキャラクターがいることがわかると「ポリコレに配慮し過ぎている」や「ゲイである意味がない」といったネガティブな意見が上がることもあります。
マイノリティは他人に生死の運命を握られている
ブラック・ライブズ・マター(アフリカ系アメリカ人のコミュニティに端を発した人種差別抗議運動)の共同代表アリシア・ガーザは、著書『世界を動かす変革の力』(明石書店)の中でこのように書いています。
権力を握るとは、ストーリーを操作したり文化的規範を勝手に形成することでもある。
アリシア・ガーザ著『世界を動かす変革の力』
僕はこのメッセージを、“マジョリティはマイノリティの役割を(勝手に)決める力を持っていること”を示すものと理解しているのですが、これに漏れなく、セネガルでも日本でも、マジョリティが当てはめた規範に沿った同性愛者たちだけが世の中に受け入れられています。
「セネガルのように、問題が死に直結しないだけマシなのでは」と思う人もいるかもしれません。しかし「マジョリティの許す範囲」で生きることを強いられている私たちは、マジョリティに生死の運命を握られているのと同じだともいえるのではないでしょうか。
自分のストーリーに誰かを「閉じ込めてしまう」可能性
そして忘れてはいけないのが、僕にも誰かのストーリーを操作する力があるということ。女性に「献身的であること」を期待していないか、障がい者はみんな「純粋で素直」だと思い込んでいないか、ミックスの人たちは「身体能力が高い」と決めつけていないか。そしてその物語は「自分に役に立つ」という軸で選ばれたものではないのか。
そんなふうに問いつづけなければ、自分が決めたストーリーの中へ無自覚に他人を「閉じ込めてしまう」可能性が僕自身にもあるということを、とても恐ろしく思うのです。
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