年のとり方がわかりません!途方に暮れて『作家の老い方』に助けを求めた、救われた(書評家・豊崎由美)
書評家・豊崎由美(61歳)は途方に暮れている。身体の老いは実感できるのに、頭の中がその老いに追いついていかない。このままじゃまずいという焦りが強くなったとき、助けを求めるように手に取ったのが『作家の老い方』。そうそうたる33人の老いにまつわる文章が収められたアンソロジーが、鬱々とした気分を少し晴らしてくれた。
昔の60歳はこんなんじゃなかった
61歳にもなってお恥ずかしい次第なのですが、年のとり方がよくわかりません。
毎朝洗顔で鏡を見るたびに、「老けたなー」と思いますし、睡眠が持続しませんし、50歳を越えたあたりからバーの薄暗い照明では本が読めなくなってしまいましたし、足腰は弱まりましたし、へんなところで躓いてびっくりしたりしますし、小説のタイトルや作者名が出てこない時がありますし(これはけっこう前からw)、以前ほど牛飲馬食できなくなったり、集中力が続かなかったり、体力がもたなかったり、つまり身体の老いは実感してるんです。
でも、頭の中がその老いに追いついていかない。
若い世代が着るような服を平気で身にまとい、アイドルのライブに行ったり、下手の横好きバンドを組んでいたり、孫ほども年が離れた新人小説家の作品に共感したり、フィギュアを集めたり、『映像研には手を出すな!』の金森氏リュックを背負ったり、流行りのアニメを視聴したり……。
昔の60歳って、こんなんじゃなかったと思うんですよ。外見に見合うように、中身もちゃんと老けてたような気がするんです。小津映画における笠智衆さんみたいに。
『作家の老い方』に助けを求める
別に年をとるのはいいんです。わたしは「若さ」にそんなに重い価値は置いていないので。にもかかわらず、身体の老いに頭が、というか感覚が、ついていかない。なんか、こう、まずいんじゃないかと思う今日この頃、しかし、ロールモデルが身近にいない。そんなわけで、つい本に助けを求めてしまう性分から手に取ったのが『作家の老い方』(草思社)というアンソロジーだったんであります。
芭蕉(俳人)、あさのあつこ(作家)、角田光代(作家)、向田邦子(作家・脚本家)、井上靖(作家)、河野多惠子(作家)、山田太一(作家・脚本家)、古井由吉(作家)、佐伯一麦(作家)、島田雅彦(作家)、谷崎潤一郎(作家)、筒井康隆(作家)、金子光晴(詩人)、萩原朔太郎(詩人)、堀口大學(詩人・仏文学者)、杉本秀太郎(作家・仏文学者)、富士川英郎(独文学者)、吉田健一(作家・批評家)、松浦寿輝(詩人・作家・仏文学者)、谷川俊太郎(詩人)、室生犀星(詩人・作家)、木山捷平(詩人・作家)、吉行淳之介(作家)、遠藤周作(作家)、吉田秀和(音楽批評家)、河野裕子(歌人)、森澄雄(俳人)、中村稔(詩人・弁護士)、穂村弘(歌人)、倉本聰(脚本家)、鷲田清一(哲学者)、中井久夫(精神科医)、太田水穂(歌人・国文学者)。
そうそうたる33名による「老い」にまつわるエッセイや詩歌が収録されているのだから、何かしらうまい年のとり方のヒントがもらえるのではないかと思った次第。『QJWeb』の読者は若い方が多いのかもしれませんが、誰でも年はとります。先達の経験や教示に触れてみるのもいいことなんではないでしょうか。なんちて。
河野多惠子に痺れ、筒井康隆にげっそり
33篇を読んで思うのは、「老いに対する姿勢や考え方は当たり前だけど色々だなあ」ということです。
河野多惠子の〈自分の終着駅について考える時、せっかく逝くのだから、それが少しは毛色の変ったものであってほしい気持が、かねて私にはある〉という一文に痺れる、とか。
芭蕉の句を引きながら〈それにしても、今日ばかり人も年寄れとは、佳い言葉だ。若い人の内にも老いの境地はある。鉄道の引き込み線みたいなもので、無用なようで、なければ窮する〉という境地を披露する古井由吉の名文に感嘆する、とか。
米寿を迎えても胃腸が丈夫だから夕方になると山海の珍味を肴に錫のチロリで酒をたしなむ堀口大學や、教授を退官後は、〈読み、書き、散歩〉の日々を送っていると綴る富士川英郎の老い方は羨ましいとは思うけれど、金も地位も名誉もない自分には到底届かないな、とか。
信号機の赤から青になる時間や汽車の停車時間が短くて老人では間に合わない、新聞の字が読みにくい、無自覚に水洟を垂らしていることがあって恥ずかしいと、自分の老いを自虐的(つまり客観的)に語る谷崎潤一郎の佇まいは参考になるな、とか。
自分なんかこの年になっても、水商売ではない〈若いお嬢さん〉から〈ラポール〉(精神的に依存する人物への愛だそうです)を抱かれると自慢して、老人になっても色気を維持しなくちゃいけないけど不倫はいけませんと書く筒井康隆にげっそりする、とか。
若さよりも老いを上位に置き、その理由を屁理屈こみで延々と説き続ける、いかにも吉田健一といったくどい文章にニヤニヤしてしまう、とか。
淋しさの達人である室生犀星の「老いたるえびのうた」の最後の1行〈からだじうが悲しいのだ。〉に、からだじうが震えたり、とか。
たくさんの老いにまつわる短歌や俳句、詩を挙げる中村稔の随筆を読んで、昔好きだったのにすっかり忘れてしまっていた宮柊二の短歌(たとえば〈物忘れしげくなりつつ携えて妻と行くときその妻を忘る〉)と再会して胸震わせる、とか。
中井久夫の「老年期認知症への対応と生活支援」という随筆のような論文を読んで、認知症に気づいてくれるような身内的存在がいない我が身を思って恐怖を覚える、とか。
断然おもしろい萩原朔太郎、吉行淳之介
とまあ、いろいろな気づきや共感や発見があるアンソロジーなんではありますが、読み物として断然おもしろいと思ったのは萩原朔太郎の「老年と人生」、吉行淳之介の「葛飾」ですね。
〈老いて生きるといふことは醜いことだ〉と思った朔太郎少年は〈三十歳になったら死なうと思つた〉のですが、30歳になると〈せめて四十歳までは生きたい〉と思い直し、〈四十歳まで生きてゐて、中年者と呼ばれるやうな年になつたら、潔よく自決してしまはうと思つた〉のに〈今では五十歳の坂を越えた老年になつてゐ〉て、〈やはりまだ生に執着があり、容易に死ぬ気が起らないのは、我ながら浅ましく、卑怯未練の至りだと思ふ〉という自虐から滑り出すのが「老年と人生」。
でも、「しかし」と朔太郎は書くのです。老いというのもそれほど悲しいものではない、と。なぜならば、若い時分の〈性慾ばかりが旺盛になつて、明けても暮れても、セックスの観念以外に何物も考へられないほど、烈しい情火に反転悶々と〉し、〈そんなはけ口のない情慾を紛らすために、僕等は牛肉屋へ行つて酒をあふり、肉を手摑みにして壁に投げつけたり、デタラメの詩吟を唄つて、往来を大声で怒鳴り歩いたりした〉あの苦しみから解放されたのだから、と。
この、性慾がいかに苦しかったかエピソードは幾度も繰り返されるんですけど、そのたびに大笑い。詩集『月に吠える』や小説『猫町』の朔太郎が、こんなにも性慾で! もうこれまでとは同じ目で朔太郎作品が読めなくなる。それほどのインパクトを備えた名随筆と、トヨザキは思います。
吉行淳之介の「葛飾」は短篇小説として読んでもよく出来た好篇です。
腰痛で腰掛けている姿勢を続けることが難しい吉行が、知人から薦められた葛飾にあるというカイロプラクティック〈整肢整体研究所〉に、世田谷の自宅から3時間かけて通うことになった顛末を描いているだけなんですが、実に味わい深いのですよ。
予約を取るのが困難なくらい人気があるその研究所の老先生の怪しさが、「怪しい」と表現されていないのに、読んでいるこちらにビンビン伝わってくる。吉行自身、施術されてもまったく良くならないし、むしろ状態は悪化していくばかりだから、行くのはもうやめようと思うのだけれど、思いながらも〈すべての西洋系の薬を切って〉通い続けてしまう。
腰痛も皮膚のほうの疾患も何も良くならないまま通い続ける吉行。行くたびに、吉行に20枚もの色紙を書かせる老先生。そうした主筋の合間に挿入される、かつて身体を交わした女性とのエピソードや、自宅から5分のところにある有名な整体の先生の家の話。
車の運転も困難なほど病状が悪化して、吉行はやっと元のように西洋医学の治療を受けることに切り替えるのですが、その3年後を報告するラスト5行が、なんだかとてもいいんです。子供のころから病弱だった吉行淳之介だからこその老いのありようを伝えて、なんだかとてもいいんです。
それが自分の老いの道かなあ
このアンソロジーを読んで、年のとり方がわかったかといえば、わかりません。相変わらず途方に暮れております。結局、自分の老いは自分だけのもので、他人様の体験を借りることはできないのですから、当たり前の話ではあります。でも、このところの自分自身にまったく興味が持てないがゆえの鬱々とした気分は少し晴れました。でもって、一大決心をいたしました。来年か再来年、今の家(マンション)を売っぱらって、大多数の蔵書もうち捨てて、心機一転新しい場所で生き直すつもりです。凶と出るか吉と出るか、わかりませんが、それが自分の老いの道かなあ、と考えたりしているのです。
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