マーティン・スコセッシ、テリー・ギリアム、スティーブン・ソダーバーグ、スパイク・リー、ノア・バームバック、ジム・ジャームッシュ、リドリー・スコット……世界的な名監督たちから今最も必要とされている俳優、アダム・ドライバー。
そんな彼の最新主演作が、レオス・カラックスの9年ぶりの新作にして、初のミュージカル作品『アネット』(4月1日公開)だ。
ライターの相田冬二は、アダム・ドライバーを「現代映画の【ミューズ】なのである」と評する。俳優の奥底にある魅力に迫る連載「告白的男優論」の第22回、アダム・ドライバー論をお届けする。
映画的な風情
残酷なことに、映画的な顔と、そうでない顔がある。きれいであればいいわけではない。カッコよければいいわけでもない。映画的な風情があるかどうか。残念ながら、これは努力ではいかんともし難い。
では、風情とは何か。
これにはさまざまなバリエーションがあるのでひと言では言い切れないが、画面が持つかどうかは重要な点だ。その人が、何もしないで、ただそこにいても、見つめるに値するかどうか。これが風情だと、とりあえずは言えるだろう。
もちろん、声は大切だ。
そして、感情表現のグラデーションもあったほうがいいだろう。私たちはみんな人間であり、その感性で同じ人間(らしきもの)を見つめているのだから、隣接できる面の表面積は大きいに越したことはない。
しかし、こうした凡庸な正論を軽く背負い投げしてしまうものが、真の風情なのである。
無言。
無表情。
にもかかわらず、見つめてしまう存在。
時には、金縛りに遭遇したかのように、見入ってしまう存在。
眼差しを呪縛する存在。
そうした存在こそが、映画的な真の風情をもたらす。
もし【無表情】番付なるものがあるとしたら、今、東の横綱は、アダム・ドライバーだろう。
長身で、魅惑のエキゾシズムを放つルックがあり、深く豊かなボイスを響かせる彼はしかし、黙っているときが最高だ。
名監督たちから必要とされる“映画の救世主”
監督の名前で映画を観ない人にとってアダム・ドライバーは、カイロ・レンという世界的に有名なシリーズの(今のところ)最後の三部作を彩ったキャラクター名になるのだろうが、彼は具体的な作品名を挙げるより、その偉大なる無表情に魅せられた映画作家たちの固有名詞を綴っていけば、何よりもキャリアの証明になる。
マーティン・スコセッシは、悲願の大作で彼に聖職者の役どころを託した。
テリー・ギリアムは、かつてジョニー・デップ主演で撮影を開始しながら頓挫した作品のリターンマッチでアダムを主人公に起用した。
リターンマッチと言えば、一度は映画界からの引退を宣言しながら舞い戻ってきたスティーブン・ソダーバーグは復帰作で彼にキーパーソンを演じさせた。
そして、長らく低迷していたスパイク・リーはアダムをメインキャラクターに据えた一作で、過激性と芸術性を取り戻し、見事復活した。
この4監督だけでもじゅうぶん過ぎるほどだが、さらに彼は、ノア・バームバック、ジム・ジャームッシュ、そしてリドリー・スコットから、それぞれほぼ立てつづけに2作ずつ【求愛】されている。
何よりもアダム・ドライバーはお助けマン、つまり映画の【救世主】なのだ。困ったときは、彼にすがればいい。なんとかしてくれる。
名監督が、名作を撮りつづけられるほど甘くはないのが映画の世界。だが、アダムを前にした作家たちは、それなりにキャリアのある面々ほど、「我こそが彼を一番理解しているし、彼の最も素敵なところを引き出してみせる!」と俄然やる気になっている様に、微笑まずにはいられない。
人気スタアと呼ぶにはあまりに無表情なこの映画俳優は、悩める映画の作り手たちにインスピレーションを与え、さらに(俳優演出をめぐる)闘争本能さえかき立てる。稀有、と表現していい。
売れっ子だの、演技巧者だのといった呼称では全然生ぬるい。アダム・ドライバーは、現代映画の【ミューズ】なのである。
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