どれだけ華々しく売れても、苦しいことも心が折れることも多いはずのアイドルの仕事。それなのにどうして、人はアイドルに夢を見るのだろう。今、まさに“売れる“最中にいるアイドルの素直な声を聞いてみた。
山口県で生まれ育ち、子供のころからアイドルを夢見ていた橋本桃呼。レッスンを重ね、テレビ朝日『ラストアイドル』のオーディションに参加。自信に満ちあふれたパフォーマンスが評価され、シングル表題曲「愛しか武器がない」でラストアイドル2期生のセンターとして華々しくデビューした。
しかし夢半ばでグループの活動は終了。それから「高嶺のなでしこ」として再デビューを果たすも、「アイドル向いてない、って思います」と彼女は言う。
とにかく自信が持てないという彼女に聞いてみた。「もう一回、子供のころに戻ってもアイドルになりたいと思いますか?」──大反響の動画インタビューの後編。
目次
インタビュー動画はQJ公式YouTubeで公開中!
引っ込み思案で、批判されるのが怖かった
──高嶺のなでしこに加入して以降は、橋本さんの中では「心機一転がんばろう」と思ったのか、あるいは「見返したい」という気持ちだったのか、当時の心境を聞かせてもらえますか?
橋本 また新たに夢を追いかけよう、というか。そのチャンスをいただけたのであれば、自分にできることをやろうって思いました
──夢、というのは?
橋本 ラストアイドルのときも、大きいグループになりたいとか、(日本)武道館でライブができたりとか、武道館だけじゃなくもっと大きい会場で(ライブが)できたりとか、歌番組に出られたりとか……。そういうアイドルを目指してたので、もう一度、その夢を叶えるために、高嶺のなでしこでがんばりたいなって思いました。
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──高嶺のなでしこに加入してから変化したこと、意識するようになったことは?
橋本 やっぱり自分が引っ張る立場になったので、引っ張らなきゃなっていうのも感じてますし、もっと自分を出していこうって思いました。
ラストアイドルのときは、やっぱり意見や批判されるのが少し怖くて。しゃべったことによってなんて思われるんだろうって、ちょっと引っ込み事案になってたところがあって。今では「高嶺のなでしこのバラエティ担当」とか「切り込み隊長」とか呼ばれてたりするんですけど、昔は全然そうではなくって。
そうやって呼ばれるようになったのって、高嶺のなでしこに入ってここ2年ぐらいのことなので、やっぱりがんばろうって。素の自分をもっと出していけたらいいなって思いました。
今、高嶺のなでしこを応援してくださってる方には、私が一番最初に「箱推ししてくださいね」って伝えたんです。だからこそ、一人ひとりのことは推してるけど、(グループの)全体が好きだよって言ってくれる方が多くて。
だから今は意見をするのがあんまり怖くないというか、発言するのも受け入れてくれるかなって感じるので、そういう自分を出していけてるかなと思います。
ももな&ひめりと一緒に入れて「心強かった」
──「バラエティ担当」「切り込み隊長」と呼ばれるようになったのは、自分で意識し始めたからですか?
橋本 気づいたら、ですね。そもそも切り込み隊長って呼ばれるようになったのも、きっと(元ラストアイドル以外の)7人は初めてアイドルを経験するし、私だけじゃなくきっと(松本)ももなと(籾山)ひめりも同じように、ラストアイドル時代に自分が発言することが怖くなってしまう出来事がたくさんあったと思うので。
だから私が一番最初に何かやる、明るいことをすることによって、まわりのメンバーが発言しやすくなるじゃないですか。そう思って自分から発言するようになりました。
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──それは、まわりのメンバーにも影響を与えていると思いますか?
橋本 やっぱ切り込み隊長って言われる一番最初に行かないとなって思うし、でもメンバーも最近は、私が発言しなくても自分から発信してくれたりするので、そこは本当によかったなと思って。私がバラエティに出られるようになったのも「こんな自分がひとりで仕事できるようになっちゃってる!?」みたいな感じで、本当にありがたいなと思います。
あとは、高嶺のなでしこは10人組グループなんですけど、ほぼ全部の曲にソロパートがあるっていうのはすごくうれしいことだなっていうのを私は感じていて。やっぱり(ラストアイドル時代は)あのソロパートをもらえないことや、そもそも全体歌唱のところしか歌うところがないっていうことが多かったので。
今は当たり前にソロパートをいただけて、自分のダンスのポジションがあって、衣装があるっていう環境がすごくありがたいことですし、高嶺のなでしこに入ったからこそこういうことができてるなっていうのはすごく感じてます。
──昔ほど、まわりからの見られ方も気にしなくなりましたか?
橋本 でも、気にしちゃいます(笑)。気にしいなので本当に気にしちゃうんですけど、たしかに前よりはファンの方にも素を出せてるような気がします。
──もう一回、気持ちが前に向いたということですかね?
橋本 あとは、松本ももなと籾山ひめりも一緒に加入ってかたちだったので心強かったというか。本当にまったくのゼロからのグループじゃなくて、隣に一緒に活動してきた方がいるっていうのが、自分の中でけっこう強かったかもしれない。
──高嶺のなでしこに加入する際、松本さんや桃山さんとはどんなお話をしましたか?
橋本 高嶺のなでしこに入る前までは、あのふたりとマジで会話をしたことがなくって。ラストアイドルの中でも、3人とも別のグループ(ユニット)に所属してたので。私は2期生で、籾山ひめりはSomeday Somewhereで、(松本)ももなはシュークリームロケッツで。しかもふたりは先輩だったので、本当にしゃべれないというか……。「写真撮ってもらってもいいですか? 一緒に……」ぐらいしか会話したことがなかったんですよ。
だから「このふたりとできるんだ」っていうのはめっちゃありました。でも最初は私も敬語がやめられなくて、ずっと「そうですよね、わかります」みたいな感じの距離感でした。
活動休止中に感じた「もっとできるんじゃない?」
──今、橋本さんのアイドル人生をグラフで表すとどんな感じですか? 登っているのか、あるいは現状維持なのか。
橋本 登ってるところだと思います。本当に高嶺のなでしこに賭けてるというか、10人で売れたいですし、もっと多くのファンの方たちと出会いたいなって。まだまだ上がっていきたいと思います
──やはり「売れたい」という思いは強いんですね。
橋本 たくさんのファンの方に囲まれてライブをしたりとか、すごくきれいなペンライトの景色を見ている姿が、やっぱり自分の目指すアイドル像なので。やっぱりそれはたぶん高嶺のなでしこ10人全員が思ってることなので、一緒に目指したいなと思ってます。
──今までで一番印象的なライブは覚えています?
橋本 高嶺のなでしこで、ですか? 本当にここ最近の出来事なんですけど、『わたし色に染まれ』っていう全国ツアーをやらせていただいたときに、福岡公演がちょうど私の誕生日の次の日で。
ファンの方がすごく、私の誕生日だからたくさん気合い入れて準備してくださって。私の地元に近い福岡だったので、福岡でサイネージも出してくれたりとか、東京でもいろいろポスターとかも出してくださったりしてたので、すごくうれしかったです。
私を推しって言ってくださる方が前よりもすごくすごく多くなっていて、たくさんの方にこんなに愛してもらえるようになったんだなと思って。福岡でファンサの曲のときに、私のメンカラが濃いピンクなんですけど、ファンの方が全員濃いピンクにしてくださって。
濃いピンク一色の景色を見られたっていうのはもうすごくうれしかったですし、こんな私を応援してくださってる方がたくさんいて、「アイドルやっててよかったな」ってすごく思いました。
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──逆に一番つらかった時期は?
橋本 1年前くらいに『全国お招きツアー』をしたんですけど、そのときにちょうど私が活動を休止してしまって。あの時期、自分がわからなくなったというか、心がちょっとざわざわする気がして、お休みさせていただいたんです。そのときは本当にメンバーにも申し訳ないと思ってたんですけど、「待ってるよ」って言ってくださって。
高嶺のなでしこに入って1年経ったタイミングで活動休止してしまって、ファンの方にも申し訳ないなっていう気持ちもありましたし、ラストアイドルから高嶺のなでしこになるまでの期間がけっこう短かったので、自分の中でたぶん整理できてないままスタートしたっていうのもあったので、心がちょっと疲れてしまって。そのときはやっぱり少ししんどかったです。
──お休み中はどんなふうに過ごしていましたか?
橋本 山口県の実家に帰ってちょっと休養してたんですけど、母にずっとお休みするまでの間、毎日電話して相談したりとかしてて。母は私がどんどんしんどくなってる様子をリアルタイムで知ってくれてたので、「辞めてもいいかもね」とか声をかけてくれて。
でも「まだやりたい気持ち、あるんじゃない?」って自分の中で思って。自信はないんですけど、誰よりも自分に対して期待をしてるなっていうのを思ってて。期待してるからこそ、できなかったときにすごく自信をなくしちゃうんですけど、まだ期待してるんだったらやれるだけやろうと思って復帰しました。
──「もっとできるはず」という気持ちがあった。
橋本 そうですね。自分の中で「もっとできるんじゃない?」って思うことは多くて。やっぱり自信が一回落ちてしまったせいでっていうのもあれなんですけど、怖くなってしまって。人前に出ることも怖くなってしまったときもあったんですけど、でもやっぱりまだ自分に期待していたいというか、もうちょっと夢を見てたいなって思って復帰しました。
──実家ではどんなことを考えていました?
橋本 実家に帰って、おばあちゃん家に行って、おばあちゃんが猫を5匹ぐらい飼ってて、その猫ちゃんたちと遊んでました(笑)。
でも本当、家族って大切だなと思いました。高嶺のなでしこに入ってから上京してひとり暮らしを始めたんですけど、「実家ってすげえ」って思いました(笑)。ご飯も出してくれるし、毎回お風呂のお湯は溜めてくれるし、洗濯はしてくれるし、偉大だなって思いました。
子供のころに戻っても、アイドルを目指したい
──休止期間を経て今、橋本さんはアイドルという仕事にどう向き合っていますか?
橋本 向いてないとは思います。でもこれはたぶん、どれだけ何かを成し遂げたとしても「向いてない」って言うと思います、ネガティブなので。
こういう気にしいな性格なところもすごい向いてないなと思いますし、私は愛を伝えることが上手じゃないですし、ファンの方にもちょっとツンデレな態度を取ってしまうことが多いので、あんまり向いてないんじゃないかなって思います。
あ、あと向いてない理由、もう一個あります。歌声がアイドル向きじゃないなっていうのは、自分の中でめっちゃ思います。私、しゃくりとかしちゃうタイプなんですよ。だから「アイドルっぽくはないな」っていうのはめっちゃ思いますし、世間の方から指摘をいただくことも多かったので。
昔は歌うことがすごく好きで、「得意」ではなくて「好き」だったんですけど、「歌うことが怖いな」と思うときもありました。
いろんな指摘をいただいたりとか、ラストアイドルのときに特にその声が多かったので、そこで自信をなくしてしまったというか「これ、私向いてないかな」って思っちゃいました。
──今は、少しずつ自信はついてきましたか?
橋本 今も苦手です。高嶺のなでしこに入ってから、私の音域にあった歌割とか、逆に私にしかできないしゃくりの歌声もあるので、そこは入ってよかったなというか。個性が活かせる場所だなっていうのは、高嶺のなでしこにいて思います。
──これから克服したいことは?
橋本 自信がないことだと思います。自信がないことを克服しない限りは何もできないなって、最近はとにかく思ってますね。
本当にとにかくいろいろな経験をしてきたんですよ、つらいことも。だからよけいに自分に自信を持てないので、そこを克服しないとバラエティとかでもおもしろくできないなと思って。トラウマなので、自信をつけることだと思います。
自信をつけるというより、自分をもっと好きにならないとなとは思ってます。
──なんでそんなに自信がないんでしょうか。
橋本 本当に世間からの声だけじゃなく、いろいろなことがあったので、なかなか言えないいろんなことがあったので……。もうちょっと自分のこと好きになりたいなって思ってます。
でもやっぱりそんななかで、自信が持てないけどこうやって活動できてるのは、やっぱりファンの方のおかげですし、こうやって私がこういうネガティブな発言してても「そんなことないよ」みたいな、「なんで自信持ってないの?」みたいに逆に怒られるんですよ、ファンの方に(笑)。
だから本当にそこは救われているし、ファンの方のためにもがんばりたいなってめちゃくちゃ思います。
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──アイドルの仕事、楽しいですか?
橋本 楽しくやれてます。お仕事に行くときも「メンバーに会える!」みたいな気持ちでお仕事に行くぐらい、メンバーと仲がいいので。それは本当に楽しいですし、ラストアイドルのときからのファンの方もいらっしゃいますけど、高嶺のなでしこに入ってから応援してくださっているファンの方も、本当にたくさんの方と今出会うことができて、それは本当に奇跡だと思うので。
私がアイドルをやってなかったら出会うことはなかったと思うので、こうしてたくさんの方とお話しできたりとか、ライブをすること、歌うことや踊ることは本当に好きなので、好きなことを今、全力でできるっていうのは、すごく楽しいです。アイドルは楽しいなって思いながらいつも仕事してます。
──子供のころに戻っても、もう一回アイドルを目指したいと思いますか?
橋本 なりたいと思います。さっきからネガティブなことばかり言ってますけど、つらい経験とか苦しい経験があったのも、ひっくるめて今の自分があると思ってます。前の自分よりかは今の自分のほうが好きだなって思えるので。
ただ、まだ完全に自分のことは好きではないんですけど、これが自分のよさだなとも思うので、全部ひっくるめて今は愛せるようになったと思います。
このインタビューのあと、2024年11月から休養期間に入った橋本。12月11日に『I’M YOUR IDOL/アドレナリンゲーム』リリースイベントで電撃復帰した模様と舞台裏の様子をお届けする、第3回の動画は近日公開予定
高嶺のなでしこ
『JDOL AUDITION supported by TIF』の最終合格者7名と、2022年5月31日に活動を終了した「ラストアイドル」の元メンバー3名(橋本桃呼・松本ももな・籾山ひめり)、計10名によって2022年8月に結成。サウンドプロデュースはクリエイターユニットHoneyWorksが担当。高嶺の花のように多くの人から憧れられ手に入れることのできない、そして大和撫子のように日本女性の清楚な美しさとかわいらしさを持った、誇り高きアイドルグループを目指す。2022年11月には、HoneyWorks「可愛くてごめん」の公式カバーMVをYouTubeに公開し、2,000万回再生を突破(※)。数多くのオリジナル曲もリリースし、TikTokの総再生回数は2億回を超える(※)。2024年2⽉21⽇(⽔)ビクターエンタテインメントより『美しく⽣きろ/恋を知った世界』にてメジャーデビュー。2024年12月11日(水)に2ndシングル『I’M YOUR IDOL/アドレナリンゲーム』をリリース。ツインプラネット所属。
※2025年1月現在
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