子を持つ男親に、親になったことによる生活・自意識・人生観の変化を、匿名で赤裸々に独白してもらうルポルタージュ連載「ぼくたち、親になる」。聞き手は、離婚男性の匿名インタビュー集『ぼくたちの離婚』(角川新書)の著者であり、自身にも2歳の子供がいる稲田豊史氏。
第9回は、IT企業に勤める41歳の男性。結婚し、子供が生まれた時点で「妻に対する“異性としての愛情”はなくなった」と語る理由とは?
ポータルサイトを運営するIT企業で配信コンテンツの企画・制作に従事する戸部公次さん(仮名/41歳)。彼は31歳のとき、8年間交際した同い年の吉乃さん(仮名)と結婚。翌年、男の子を授かった。
吉乃さんは結婚前から老舗出版社に勤める書籍編集者で、産後は職場に復帰。共働き夫婦として現在に至る。息子さんは現在9歳だ。
「子供が生まれた時点で、妻に対する異性としての愛情はなくなった」という戸部さんだが、現状については「納得」している。
若いころから文学や評論に親しみ、映画・マンガ・アニメなどにも通じ、IT企業勤務らしくエンジニア的・理系的なロジカルシンキングにも長けている戸部さんは、その「納得」を順序立てて言語化してくれた。
※以下、戸部さんの語り
結婚式が人生の“MAX”
僕はいくつかある人生の目標のひとつを、「吉乃と結婚すること」に設定していました。
吉乃は新卒で入社した会社の同期です。父親はメガバンクの偉い人で、裕福な家庭のお嬢様育ち。交際中、その父親から「そんな安い給料の男と結婚させるわけにはいかない」と露骨に言われました。
その言葉にむしろ奮起した僕は、意地でも吉乃と結婚してやると心に誓いました。その後、今の会社に転職して給料が上がり、ようやく結婚を許してもらったんです。そんな“障害”を乗り越えたこともあって、吉乃との結婚は名実ともに「ゴール」でした。
結婚式の日は、今までの人生で一番テンションが高かったです。文字どおり人生の“MAX”、吉乃への愛情も最高潮。あの万能感は未だに忘れられません。
結婚式当日は台風が上陸しそうだったんですが、「絶対それる!」と思ってたら、実際にそれました。頭がちょっとどうかしていましたね(笑)。
式は外国人観光客がたくさん来る大きな神社で行ったんですが、彼らが我々の和装を撮りまくるんです。もう本当に気分がよかったですね。「世界中に今の俺たちを拡散せよ!」ってね。
ただ、その結婚をもってすべてが達成されてしまったので、もう吉乃とすることといったら、性行為して中出しするくらいしか残っていなかった。結果、“秒”で妊娠しました。
実は、子供を作るかどうかについて、吉乃とは一切話し合いというものをしていません。普通は、家族計画とか、将来設計とか、経済状況についての見通しとか、産休・育休によるキャリアの断絶とか、母体の健康面とか、生活リズムの変化とかを、夫婦で議論なりシミュレーションなりするじゃないですか。
でも、本当に何もなかった。「(子供が)できたらできただし、できないことのほうが多いよね」なんてふたりで話していたくらいで。
子供が生まれた時点で、吉乃に対して〈性愛的な意味での愛情〉は失せていました。結婚がゴールだったので、そこで燃え尽きたんです。
以来、現在に至るまで10年近くセックスレスです。夫婦の関係は安定していますが。
子供ができてから先は「ゲームが変わる」
息子が小さいころ、育児に関して僕は完全に邪魔者でした。吉乃は段取り能力がものすごく高い人で、僕がいなくても育児が「回る」システムを、自分で作り上げてしまったからです。
吉乃は産休と育休を合わせて1年間取得、職場復帰のタイミングで息子を保育園に預けました。0歳児保育です。
朝の送りは僕、迎えは時短勤務の吉乃が夕方4時に保育園へ。帰宅後、彼女は夕食を作り、子供を寝かしつけ、そのあと自宅で仕事を再開していました。
一方、僕の仕事は時短も中抜けも、当時はリモートワークすらできなかったので、どんなに早くても夜8時にしか帰れません。たまに8時ごろ帰ろうとすると、吉乃に「寝かしつけ中だから帰ってこないで」と言われました。
妻の中で、育児の完璧なルーティンが組まれているんです。息子もそのルーティンにぴったり合わせた生活を送っているので、下手に僕が介入すると、「ルールを乱さないで」などと怒られる。結果、吉乃がほとんどの育児を回していました。
吉乃には感謝しています。僕が仕事に専念できるような、僕が楽になるような仕組みを構築してくれたんですから。平日にこの完璧なルーティンを吉乃が回してくれていたからこそ、土日に家族3人がまともに過ごす時間を持てたのも事実ですし。
ただ、この完璧なシステムの中で僕は完全に「異物」。子供が2歳から4歳くらいのときは疎外感がピークで、とてもつらい時期でした。
でも、仕方のないことです。家庭って、〈性愛的な意味での愛情〉で結ばれたふたりのテンションが上がった結果として築かれるものですけど、子供ができてから先は「ゲームの種類が変わる」ので。
子供を育て、家庭を維持するために必要なのは、〈性愛的な意味での愛情〉の類いではありません。達成条件や勝利条件も、まるで変わってくる。よく言われる、「夫婦が共同経営者になる」というやつです。子供が2歳になったころから、このことを強く感じ始めました。
聡明な吉乃はこう判断したんですよ。円滑な共同経営をするにあたり、仕事に時間的融通がきかない僕は、“邪魔”であると。
「〈性愛的な意味での愛情〉の消滅」と「完璧なシステム化による邪魔者扱い」によって僕の気持ちが吉乃から離れてしまったことは、認めざるを得ません。
子供と添い寝していたら「夜の営み」ができない
以前、世代が異なる数人の同僚と、「子供を作ってつつがなく家庭を運営しながら、パートナーへの〈性愛的な意味での愛情〉を維持することは、原理上可能なのか?」という話題で盛り上がりました。そこである人の言っていたことが、腹落ちしたんです。
その人いわく、欧米文化圏から見た日本人の育児の一番おかしなところは、子供が8歳とか9歳になるまで母親の隣で寝ていること、だそうです。そんなことをしていたら夫婦の「夜の営み」ができないではないか、と。日本人を理解するにはここを紐解かねばならないと、アメリカだかロシアだかの評論に書かれていたと言うんです。
これがどの程度「海外での常識」なのかは、わかりません。ただ、アメリカに留学経験のある吉乃も、似たようなことを言っていました。彼の地では、子供が1歳になったら添い寝はやめ、ベッドに放り込んで終わりだと。
日本人の全員が8歳、9歳になるまで母親の隣で寝るわけではないし、欧米人の全員が1歳になったらひとりで寝るわけではないでしょう。ただ、納得感はありました。
なぜ日本と欧米はそうも違うのか。それは、彼の地の考え方のベースに「子供がいても、夫婦は個人として愛を積極的に交わし合うべき」があるからだと思うんですよ。
それは離婚を絶対禁忌とするカトリック的な世界観の影響なのか、欧米の個人主義に基づくものなのか、その両方なのか──。
夫婦の愛情維持のために子供を手放す(というシステム)
人間のあらゆる感情って、脳神経を通る化学伝達物質の量で決まるじゃないですか。新しい刺激があると分泌量が増えて、経験がマンネリ化すると減る。
つまり子供との接触時間があまりにも多すぎると、その刺激で分泌が促進されて、感情もそっちにどかんと使ってしまう。パートナーに振り分けられない。
パートナーとの接触時間が子供に取られて減れば、新しい刺激はパートナーからはもたらされず、化学伝達物質の分泌も促されない。当然、〈性愛的な意味での愛情〉も湧き上がらなくなる。
だから1歳でベッドに放り込み、すなわち子を“手放す”ことで子供との接触時間を減らし、夫婦間で十分な愛の交歓がなされるようにする。彼の地の人たちはそれを経験的に理解した上で、施策を講じているわけです。
昔から、欧米人は結婚して年を取ってからもラブラブで、手をつないでいる。それに引き替え日本人は……みたいなことが、よく言われてきたじゃないですか。それは人種や文化の違いというよりは、「施策の有無」だと思うんですよ。
これから話すことは、あくまで思考実験ということで聞いてもらいたいんですが──。
「親の愛情が大事」というのは、「子供が家族の中で育まれる社会」が当たり前である前提ありきですよね。でも、もし「子供が家族の中で育まれない社会」が当たり前だとしたら、どうでしょう。昔の日本の武家や貴族みたいに、生まれた瞬間に親子が分離されちゃうような社会だったら。
その社会では、親から子への愛情は重要視されませんよね。
2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(NHK)がそうでした。子供は乳母(めのと)が育てる。あの時代、あの階層で、親にとって子供は「機能」以上のものではない。親子の間の愛よりも、どっちかというと乳母との間の愛のほうが深かったわけで。
僕自身が「それがいい」と思ってるわけではない、ということを前置きして言いますよ。夫婦間の恋愛的な愛情を維持するという大目的がもしあった場合、親から子への愛情ってどこまで必要なんだろう……と考えてしまうんですよ。
乳母みたいなシステム、子供が生まれた瞬間から分離されるシステムがもしあったとしたら、吉乃に対しても、あるいは……。
実験も実証もできないけど、極論として、成立し得る考え方かなと。いや、すごく難しい話ですが。
後編は4月24日(水)夜、公開予定
【連載「ぼくたち、親になる」】
子を持つ男親に、親になったことによる生活・自意識・人生観の変化を匿名で赤裸々に語ってもらう、独白形式のルポルタージュ。どんな語りも遮らず、価値判断を排し、傾聴に徹し、男親たちの言葉にとことん向き合うことでそのメンタリティを掘り下げ、分断の本質を探る。ここで明かされる「ものすごい本音」の数々は、けっして特別で極端な声ではない(かもしれない)。
本連載を通して描きたいこと:この匿名取材の果てには、何が待っているのか?
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