狩野英孝がサンドウィッチマンから学んだこと「地元愛は“震災前”から変わらない」

文=安里和哲 編集=高橋千里


お笑い不毛の地・宮城から上京した若き日の狩野英孝は、同郷のよしみでサンドウィッチマンに目をかけられたという。震災後もともに被災地を巡り、テレビでも発信してきた仲だ。20年以上にわたって親交のある狩野は、東日本大震災後に復興のために動く伊達と富澤のうしろ姿を、どう見ていたのだろうか。

今年2月に発売した『クイック・ジャパン』vol.170のサンドウィッチマン総力特集内では、彼らを追いかける芸人・タレントたちの“証言”を掲載。本稿では、狩野ソロインタビューの一部を抜粋してお届けする。

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「お互いがんばって宮城を盛り上げような」

狩野英孝

──芸人になる前、ライブで観客としてサンドウィッチマンを観ていたそうですね。

狩野 宮城にはお笑い文化がなかったので、芸人になると決めてからお笑いライブの存在を知ったんですよ。上京していくつかライブを観に行く中で、サンドウィッチマンさんを初めて見ました。場所は新宿Fu-で、サンドさんはトリでしたね。当時はショートコントを何本かやるスタイルで、当然ウケてました。そのうち、同じ宮城県出身だと知って親近感も湧いてました。

──直接知り合ったのはいつごろですか。

狩野 僕のデビューが2003年なんですが、それからわりとすぐでした。ライブの楽屋で「僕、宮城(出身)なんです」って話しかけたら「そうなの?」って目の色が変わって、それからよくしゃべってくれるようになりました。芸人になったばかりのころっていつも楽屋の端っこのほうで黙って過ごしてたので、救われた感じがしましたよ。しかも、ちゃんとおもしろくてまわりからも認められてるライブ番長みたいなふたりだったのでなおさらうれしかったですね。当時からあのふたり、特に伊達さんは「お互いがんばって宮城を盛り上げような」とおっしゃってました。僕の記憶ではそこから絆が生まれたんですけど……サンドさんは初めて話したときのことを全然覚えてないんですよ! だから僕だけのいい思い出です。

──同じ宮城県出身の先輩芸人にかわいがってもらえて、ホッとするものがあったんじゃないでしょうか。

狩野 そうですね。あのころは宮城県出身どころか、東北出身の芸人もあんまりいなかったんですよ。メディアで活躍していたのは、おそらく山形県出身のウド鈴木さんと、福島県出身のなすびさんくらいだったと思います。伊達さんと富澤さんも、宮城県出身の後輩ができてうれしそうでした。

──狩野さんのブレイクも、サンドウィッチマンの『M-1グランプリ』優勝も2‌00‌7年。その後の関係性はどうでしたか?

狩野 テレビのロケ企画でご一緒することが多かったんですけど、あるとき「俺ら“英孝ちゃん使い”になるわ。誰よりもうまくイジってやる」って言ってくれたんです。その場では「ふたりの手に負えるかな?」ってボケましたけど、すごくうれしかったな。実際、2011年に始まった『東北魂TV』(BSフジ)でもレギュラーで共演して、めちゃくちゃイジっていただいたので感謝していますね。僕の謹慎期間中も、ラジオで僕の名前を出してくれたり、テレビでは僕がデザインしたTシャツを着てロケしてくれたり、ずっと気にかけてもらってました。

──東日本大震災後から約3週間後に放送された『ボクらの時代』(フジテレビ)で共演されていましたね。

狩野 あのとき聞いた話はよく覚えてます。ロケ中に気仙沼で被災したサンドさんが、数日ぶりに戻ってきた東京の街中で「カラオケいかがですか?」って声をかけられたそうなんです。伊達さんは「東北があんなことになってんのに、東京はこんな感じかと驚いた」とか「あのときは考えさせられたよね」って神妙に語っていたんですけど、そこで富澤さんが「カラオケ行くかどうかってこと?」ってボケたんですよ。それにすかさず伊達さんも「行くかよ!」とツッコんだ瞬間にドン!とウケて、それまでシリアスだった現場の空気が和んだんです。笑いを交えて伝える姿勢が見事でしたね。被災地に行っても、うまくお笑いを入れて励ましながら、同時に全国の人たちに被災地の現状を伝えていて、芸人としてこういうやり方もあるんだなって勉強させてもらいました。

──狩野さんも被災地を訪問していました。

狩野 でも、やっぱりサンドさんの動き出しが一番早かったです。僕らはついていくだけ。それこそサンドさんと被災地に行ったときも、小学生と一緒になって砂をかけてくるんですよ。逃げ惑う僕を見て、子供も大人も笑ってて。逃げながら「サンドさんも立派な“英孝使い”になられたんだな」と感動しましたよ。

──サンドウィッチマンの復興支援に対する原動力はなんだと思いますか?

狩野 地元愛でしょうね。宮城のローカルラジオも『M-1』チャンピオンになる前からずっと続けてるじゃないですか。そういうのも含めて、サンドさんは、震災“以降”じゃなくて震災“前”からずっと宮城のことを想ってるんです。根底に地元愛があるから、うさんくさくないし、まわりからも慕われる。当時は震災を利用して売名してるんじゃないかって言うイヤな人もいましたけど、そんなわけがないんですよ。

──売名行為だったら、こんなに長いこと支援も続かないですよね。

狩野 そうですよ。そういうサンドさんの姿勢が、被災者の心をつかんだのだと思います。ありがたいことに、宮城・東北のことになると、今でも「英孝ちゃん、また力貸してくんない?」って僕のことを必要としてくれるので、当然これからも一緒に何かさせていただきたいですし。ただ、ちょっと困ったこともあって。

──なんですか?

狩野 たまに、富澤さんと伊達さんが、僕の実家のリビングで、母とお茶してる写真が急に送られてくることがあるんですよ。「事前にひと言言ってくださいよ!」って返信するんですけど、「いや、別に英孝ちゃんじゃなくて、お母さんに会いに来てるんだから、連絡する必要ないだろう」って言い返されちゃう(笑)。

──家族ぐるみの付き合いになってるんですね。

狩野 そうですね。僕が謹慎中でバタバタしてたときなんか、伊達さんの叔母様からお叱りの手紙を長文でいただきましたから。数回しか会ったことないんだけど、親身になってめちゃめちゃ怒ってもらっちゃって。今思うと本当にありがたいですよね。

サンドウィッチマン豆知識

サンドウィッチマンにかわいがってもらう方法は、『M-1』優勝時の話をすること。「あのとき感動しました! かっこよかったです!」と褒めると、いまだにめちゃくちゃ喜んで、メシに連れて行ってくれます(笑)

狩野英孝(かの・えいこう)
ピン芸人。みやぎ絆大使、栗原市の観光大使およびドリームアンバサダー。栗原市の櫻田山神社で神職も務める。サンドウィッチマンとともに『東北魂TV』(BSフジ)に出演中

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安里和哲

(あさと・かずあき)ライター。1990年、沖縄県生まれ。ブログ『ひとつ恋でもしてみようか』(https://massarassa.hatenablog.com/)に日記や感想文を書く。趣味範囲は、映画、音楽、寄席演芸、お笑い、ラジオなど。執筆経験『クイック・ジャパン』『週刊SPA!』『Maybe!』..

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