サッカーとバンド、夢をあっさり諦める
──シュウペイさんは高校時代、神奈川県の強豪校でサッカーをやられていたんですよね。部活の同級生には元日本代表の小林悠選手(川崎フロンターレ)や太田宏介選手(名古屋グランパス)もいて、全国大会にも出場しているサッカーエリートが……なぜギャル男に?
シュウペイ やっぱり、サッカーも疲れるんで。
松陰寺 そりゃそうだろ。疲れねえサッカーを教えてくれよ、逆に(笑)。
シュウペイ 幼稚園から始めて、高校にもサッカー推薦で入ったんですけど、まわりがすごすぎてプロになるのは無理だと悟ったんですよね。高校生だったんでオシャレとかしたくて、当時流行りだった『men’s egg』に気持ちが向いちゃって、日サロに通ってどんどん黒くなっていくっていう。で、高校を卒業してからもギャル男を2年やってました。
──すごい振れ幅ですね。一方の松陰寺さんは、そもそもなぜピン芸人を?
松陰寺 高校時代からバンドをやってて、音楽の道に進みたいと思って大阪のレコーディング専門学校に通ってたんすけど、そのまま卒業してどうするかってときに……ああ、そうだ、就職活動を一応したんだった。
──どんな会社に?
松陰寺 新宿で……法人向けのコピー機を売る会社の面接に行ったのを急に思い出しました。そこは中途オッケーみたいなとこで、いろんな人がいて。
シュウペイ 中東?
松陰寺 中東情勢の中東じゃない、中途採用。
シュウペイ ああ、中途採用。中東系の人がめっちゃいる会社かと思った。
松陰寺 違う違う(笑)。で、そこのグループ面接でディスカッションみたいなことをしたときにマジで何も言葉が出てこなくて……。自分は法人向けにコピー機を売る仕事に興味が持てないなと感じ、バンドをやろうと思って東京に出てきました。でも、メンバーを探してる人同士でスタジオに入ったとき、みんなうまくてレベルが違いすぎて、ミュージシャンは無理だって悟ったんですよ。それで誰でも出られるお笑いライブをネットで見つけ、いっちょ出てみるかってなって。
──養成所などには通わずに?
松陰寺 まったく通わずに。『エンタの神様』(日本テレビ)を観てたら「俺でもイケるんじゃないか」って思っちゃったんですよね。そのまま月に1回ライブに出るか出ないかくらいのペースでピン芸人をつづけ、そんなときにシュウペイと出会ったわけです。俺たちのざっくりとしたフィストリー、まとまったかな。
シュウペイのツッコミに向けられた「嫌な笑い」
シュウペイの唐突なボケに対し、ホストのような出で立ちの松陰寺がツッコミかけて許容するという芸風がとにかく特徴的だ。“全肯定漫才”とも“多様性漫才”とも称されたスタイルだが、そこに至るまでのプロセスにはかなりの紆余曲折があった。
松陰寺 コンビを結成した2008年はお笑いブームの最中で、M-1やエンタのほかにも『爆笑オンエアバトル』(NHK)や『爆笑レッドカーペット』(フジテレビ)といったネタ見せ番組がたくさんあった。僕らも簡単に出られるかなと思ってたんですが、全然引っかからず……とにかく「人と違うことをやろう」っていろいろ模索してました。
シュウペイ ネタは松陰寺さんが書いてくれてるんですが、最初はスーツ着て時事ネタを斬る漫才をやったり、ヒップホップ漫才とかボーイズラブ漫才もやったよね。
──ボーイズラブ漫才!
松陰寺 相方もまだ若くて、ギャル男上がりのイケメンが残ってたんで(笑)。ただ、僕らがおもしろいと思ったとかじゃなく、女子の方たちが喜ぶかなっていう、すごくよくない考えで……。当然うまく行くわけなく、しかもボケ担当だった相方が全然ネタを覚えられなかったんで、結成3年目くらいで一度ボケとツッコミを入れ替えたんです。「俺が変なことをやるから、お前はただそれを注意してくれればいいから」って。
シュウペイ 「ちょっとちょっと、松陰寺さ〜ん」みたいなね。
松陰寺 そうそう。でも、シュウペイがツッコむと舞台袖で仲間の芸人たちが笑うんですよ。それがなんか、嫌な笑い方で。
シュウペイ いつもはチョケてるやつがマジメに正してるってのがめちゃくちゃ違和感あったんでしょうね。「シュウペイそんなんじゃないだろ」みたいな笑いでした。
松陰寺 まあでも、確かにそうだったんですよね。そもそも一番大事な時期にサッカー辞めてギャル男になるようなやつだし、芸人なのにお笑い全然見なくて。『オンエアバトル』はどんな番組だっけ?
シュウペイ バケツ運ぶ番組。
松陰寺 ヤバイっすよね、恐ろしい……。こんなやつにツッコミをやらせるなんて無理があるし、やっぱ嘘はダメだなと反省し、もう一度ボケとツッコミを入れ替えました。そしたらやっぱり弾け方が違って、出会ったころのシュウペイに戻って。
シュウペイ 出会ったころのように? ELTみたいに言うな!
松陰寺 ……こういうツッコミです。やっぱり無理するのはよくない(笑)。