ミルクボーイ独占インタビュー【後編】なぜ這い上がり、M-1に優勝できたのか

2020.1.16

ライブイベント「漫才ブーム」が始まる

ミルクボーイのふたりはそれぞれ大きな出来事を経験し、再び漫才に向き合うことになった。しかし、劇場の状況はすっかり変わっていた。新しいネタを作って、ネタ対決の劇場ライブに出ると、お客さんの票がゼロになっていたのだ。5年間、ほとんど漫才については休んでいたにもかかわらず、これまでの知名度でライブには出場できる。そのことにお客さんから反感を買い、ふたりの人気は落ちるところまで落ちてしまった。5年前についていたファンも完全に離れていた。当面、寄席形式のライブで自分たちが受け入れられるのは難しいだろうと、イチから単独ライブを始めることに決める。

内海 天王寺の歩道橋でチケットを手売りしました。やすともさんの番組で、駒場の顔は知られるようになってたので、「駒ちゃんや!」と言われて、番組の視聴者層の主婦の方々がチケットを買ってくださった。でも僕らはそのとき、もう一度原点に戻って真剣に漫才をやりたいとめちゃくちゃトガってるわけですよ。だけど、来てくれたお客さんはそんなのを求めてないから、「テレビと違う!」となりますよね。

駒場 復活の最初の単独ライブに来てくれたお客さんのほとんどが、「怖い! 怖い!」ってなってましたね。

内海 僕らもそういう声に合わせて、2回目からは急に逆立ちしたりとかいろいろやったんですけど……単独ライブは3回やって一旦やめることにしました。

駒場 まったく手応えがなかったんです。このままだと無理や。何か違うことを考えなきゃならないなと。

5年という年月は世の中を大きく変えた。しかしふたりは、ようやく再び始めることができた

単独ライブを早々にあきらめ、ミルクボーイは自分たちが本当におもしろいと思える笑い、M-1優勝につながる今の漫才を全力でやるために、新しい合同ライブイベント「漫才ブーム」を立ち上げる。共にやるメンバーとして選んだのは、「M-1グランプリ2018」の敗者復活でも大きな衝撃を残した金属バット、そしてツートライブ、デルマパンゲというメンバーだった。

内海 自分たちを追い込むために、自分たちが本当におもしろいと思う後輩3組を呼びました。

駒場 それ以前に、金属バット、ツートライブとは「漫才やめなさいライブ」というライブもやってたんです。他の漫才師に「漫才やめなさい」と言うトガったタイトルでした。

内海 本来作らないような場所にステージを設営したり、とにかく他と違うことだけをしようとトガってました。そのライブに手応えがあったので、もう1回、何か「漫才~」から始まるタイトルでライブやりたいなあと。いちばんトガってるタイトルなんだろうと考えて、「漫才ブーム」になりました。1回目は80席のキャパすら埋まらなかったんですが、とにかく自分たち自身がむちゃくちゃおもしろいと思えました。最初はメンバーを変えていこうかとも考えてましたが、結局「この3組や!」となりましたね。

左から金属バット、ツートライブ、デルマパンゲ

ミルクボーイはライブ「漫才ブーム」で自分たちにプレッシャーをかけるため、ある縛りを課した。他の3組には毎回2本の自由なネタをやってもらったが、ミルクボーイは毎回3本、必ず新ネタをおろすことに決めた。ミルクボーイで始まり、順番交替で漫才をし、ミルクボーイで終わる。オープニング、エンディングのトーク、幕間の映像やシャッフル漫才といった合同ライブによくある企画も一切なし。ただただ9本の漫才のみというストロングスタイルのトガったライブができあがった。

内海 そのころもまだ、オカンのくだりはできてないですけど、駒場が何かを忘れたという今の漫才の原型は、このライブでできあがりました。まだまだむっちゃ粗かったですけど。

駒場 たとえば僕が「そば」を忘れたという流れで、内海がいろいろ聞いてくる。僕が「食べたら、涙が出てきて、光射す」みたいなことを言って、「じゃあ、そばと違うか」みたいな。最初はむっちゃスベりましたね。ただ、ツートライブの周平魂(しゅうへいだましい)は「あのネタ、ヤバないですか!」と言ってくれました。

(次頁「ネタの最後のパーツ。M-1決勝へ」)

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鈴木淳史

(すずき・あつし)1978年生まれ。兵庫県芦屋市在住。 雑誌ライター・インタビュアー。 ABCラジオ『よなよな・・・なにわ筋カルチャーBOYZ』(毎週木曜夜10時~深夜1時生放送)パーソナリティー兼構成担当。雑誌『Quick Japan』初掲載は、2004年3月発売号の笑い飯インタビュー記事。

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