2019年12月22日「M-1グランプリ2019」。テレビではほとんど見たことのない、筋肉と角刈りのふたりの男が決勝の舞台に登場した。オカンが忘れた食べ物を巡って行ったり来たりする見たことのない漫才に、全国の視聴者が衝撃を受け、涙を流して笑った。ネタに出てくる「コーンフレーク」は、一躍トレンドワードとなった。M-1史上最大の激戦を制したミルクボーイとは、一体誰なのか。2回にわたり、これまでの活動のすべてを語る。
ミルクボーイはどこから来たのか
「M-1グランプリ」第15代王者に輝いたミルクボーイは、駒場孝(こまば・たかし)、内海崇(うつみ・たかし)のふたりのコンビだ。決勝だけでなく準決勝すら初進出。メディア関係者の間では、2019年秋頃から「今年のM-1はミルクボーイが仕上がっている。『最中(もなか)』というすごいネタがある」と噂されていた。しかし一般的にはまったく無名の彼らが、一気に優勝をかっさらっていった姿は痛快だった。
ミルクボーイがどんな経歴なのかは、まだあやふやなネット情報しかない。まずはふたりのこれまでの経歴を洗いざらい聞いてみることにした。「ウィキペディア」には「高校時代はお互いに違うコンビを組んでM-1甲子園に出場」とある。彼らはお笑いのエリートコースを歩んできたのだろうか。
内海 高3の時に高校生お笑いNO.1を決めるイベント「M-1甲子園」に出ましたが、予選で負けたんです。当時はモヤモヤしてましたけど、芸人を目指す勇気はなくて。だけど“何か”がやりたかったので、大阪芸術大学の映像学科に入りました。シナリオライターにでもなれないかと思って。
入学前に大学の説明会があって、アイスホッケー部の新入生歓迎コンパに誘われたんですよ。行ってみたらすぐに女の子と仲良くなって、そのまま僕の家に来て……なんにもなかったんですけどね。入学式にもそのコと一緒に行ったし、最高のスタートダッシュでした。でも結局その後、ヤンチャそうなやつに彼女を取られて、結局アイスホッケー部には入りませんでした。うまいこといってたらアイスホッケーやって、日本代表になってたかもしれませんね。
駒場 それは無理やろ(笑)。僕は小学校の時からお笑いが好きで、芸人になりたかったんです。当時、沖縄に住んでたんですけど、大阪にいる親戚から吉本新喜劇のビデオを取り寄せてました。朝早く学校に行って、教室のビデオで友達と観てましたね。卒業式の挨拶でも芸人になりたいと言ってましたし、卒業文集にも「世界中の人を笑わせたい」と書きました。でも、ひょうきんではなかったし、おもろいとも思われてなかったですね。
内海 大学で駒場に会ったとき、「高校の時から書いてる」と言ってたネタ帳を見せられたのは憶えてるわ。
駒場 書いてた、書いてた。『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』のフリートークを真似してよくやってましたね。
中高は横浜で過ごして、高3の時には学園祭で漫才もしたけど、「M-1甲子園」には出てないんですよ。ネットには、そう書いてるんですよね? 僕は高校卒業して、すぐに吉本の芸人養成所NSCに入ると決めてたんですけど、親に「せめて大学に行ってからにしろ」と諭されて、テレビの世界に近そうな大阪芸大の放送学科に入ったんです。そこで、落研に入りました。
内海 僕はアイスホッケー部に入ろうか迷ってたので、2ヶ月遅れで落研に入りました。
2004年4月、駒場と内海はそれぞれ、卒業生に数々のクリエイターも輩出する大阪芸術大学に入学、共に落語研究会に入り出会った。駒場は当時すでに、「芸大亭キング」というコンビを同級生と組んでいたが、本気でお笑いをやりたいと駒場自身から解散を申し込んだ。その後すぐに内海を誘い、その年の7月には大学の教室を借り、初めて「ミルクボーイ」としてお笑いの舞台に立った。
(次頁「優勝賞金を持って曙町へ」につづく)