『東京マッハ』第1回と東日本大震災
そもそも、公開句会『東京マッハ』の第1回目は、2011年6月12日に開催された。
被災地の状況も、原子力発電所の危機的状況も、まだまだ解決していない時期だ。
日常に戻るというにはほど遠い状況下で、句会などという優雅な印象のイベントをやってどうなるのだ?
といった批判も受けるんじゃないかという恐れもありながら、いやそれ以上に句会のイベントなんて人が集まるのかという疑心をいだきながらの開催だった。
句会は座の文芸だ。
それぞれが句をつくる。『東京マッハ』の場合は各自6句ずつ作る(投句)。
作った句をシャッフルして、無記名で並べ、書き写す(清記)。
清記用紙を見て、それぞれが特選(ベスト1)、並選(よい!)、逆選(文句つけてやる!)を選ぶ(選句)。
選んだ句を発表し(披講)、特選2点、並選1点で集計し、順位を決める。
そして、選んだ理由や、選ばなかった理由を語り合う。
つまり句会というのは、集まってやる言葉のバトルゲームなのだ。
だから、基本的に句会で集まるのは参加者だ。それをほかの人に観せるというのは、あまりない。前例がない。
カラオケをやっているところを観せちゃうイベントのようなちょっとした違和感がある。
千野帽子に、「句会をイベントでやろう」と誘われたときは、「この人は何を言っているんだろう」と思った。
やろうと言った本人も、自分は何を言っているんだろうと思っていたそうだ。
それを、なぜだか、やってみた。やってみるとおもしろくて、24回(9年!)もつづく人気イベントになった。
ディストピアはまだ来ていなかった
前回までは、リアルな場で集まってやるイベントだった。
2020年2月11日の第22回『東京マッハ』は、渋谷『東京カルチャーカルチャー』で開催した。
まだあのころはイベントが、可能だった。
『東京マッハ』では、いつも「お題」が隠されている。提出する句のうちひとつはその「お題」に沿ったものになる。
2月の東京マッハのお題は、「ディストピア」だった。だが、事態のこれほどまでの進行を想定したお題ではなかったはずだ。
武漢市からのチャーター便で帰国した邦人の中に陽性の人がいたという報道があったが、この状況になるとは誰も想像していなかった。
ディストピアと聞いて連想するのは、どちらかというと『AKIRA』であり、「東京オリンピック開催迄あと147日」であり、「中止だ中止」と落書きされていても開催されるものだと思っていた雰囲気だった。
この日の最高得点句は、
朧夜や脱衣に載せる腕時計 長嶋有
だった。つづいて
防護服同士握手や春の暮 堀本裕樹
が、得点を集めた。
日常の何気ない風景を切り取った句と、今となっては予言的な風景にも見える句が、1位2位を争った。