演劇モデル・長井 短。平成5年に生まれ、平成を生き抜いてきた彼女が、忘れられない平成カルチャーを語り尽くす連載「来世もウチら平成で」。
今回は、実家にあった固定電話=通称「家電(いえでん)」と共に、学生時代のドキドキした思い出を振り返る。
“家の電話”をフル活用していた8歳の夏
平成の夏、日本の夏。そんなキャッチコピーはないけれど、あるような気がしてしまうのは、夏の思い出のほとんどが平成とつながっているからですか?
現在8月中旬。茹だる暑さにも慣れてきた。もうすぐ、20代最後の夏が終わるというのに、今年は一度も水着を着てない。あーあ。思うような夏にできなかった気がする。
今までで、一番好きな夏ってどれだろう。私が持ってる28個の夏の中から選んだのは、たぶん8歳くらいのとき。家電(いえでん)をフル活用した夏が、今は一番眩しい。
私の家には家電なんてもうないし、何年も自分で番号を押して電話をかけていないなぁ。てかみんな、どんな電話番号なんだろう。
今でも空で言えるのは、実家の家電と、幼なじみの家電の番号のふたつだけ。めっきり鳴ることがなくなった実家の電話は、どんな音で鳴ったっけ?
「2年1組の長井です」電話をかける緊張感
あれは確か、お風呂上がりだった気がする。8歳のころ、水遊びがてら昼過ぎにお風呂に入った。
ひとりで、手ぶらで、狭い湯船に座りながら、私がどうやって遊んでいたのかはもう思い出せない。きっと、壁に貼った九九シートをぼんやり眺めてぱちゃぱちゃやってたんだろう。
お風呂から上がると、家電が鳴った。「森のクマさん」だか「鳥の鳴き声」だか、とにかく騒々しい音がして、母が電話に出る。
「A子ちゃんから電話だよ〜」
なんですって〜!! 焦って受話器を引ったくると「今から遊ばない?」「いいよ!」私たちは近所の公園で待ち合わせをして、「愛の鐘」を聴いて家に帰った。
私から電話したこともある。連絡網片手にあの子の電話番号をゆっくり押して、プルルル待っている間の緊張感。ようやくつながったとき、一生懸命声を出した。
「2年1組の長井です。A子ちゃんいますか?」
親に聞かれたくないこと、照れ臭いことを電話したくなる年頃にはもうガラケーがあった私たち。だから家電で誰かに電話をかけるときには、ただただ純粋な緊張感だけがあった。でもそれも、かければけるほど薄れていく。
「2年1組の長井です」
「あー! ちょっと待ってね!」
「2年1組の長井です」
「あーごめんね、あの子スイミングなのよ」
「2年1組の長井です」
「A子ー!」
あのころ、いつも電話を取り次いでくれたお母さんたちは元気だろうか。
同じクラスのT中くんから突然の電話
昭和生まれの人たちと違って、家電に甘酸っぱい思い出がある人は少ない。実際私も、そういう甘酸っぱさはすべてガラケーになってから。
でも、ひとつだけ。なんだかこそばゆい、酸っぱい思い出がある。
小学5年生の夏休み。両親が外出していたある昼下がりに、家電が鳴った。ソファに寝そべって『いいとも!』かなんかを観ていた私は、その電話を一回無視する。
「ママとパパがいないときは出なくてもいいよ」と言われていたからか、それともただ単にソファから動きたくなかったからか。
扇風機に当たりながらほへーっとテレビを観る私の耳に、留守番電話の音が届く。ピー。
「あ、あ、4組の、T中です。あ、またかけます」ピー。
……え、T中!?
それは、同じクラスの男子だった。仲はいいけど、休日に遊ぶような間柄ではなくて、当然電話をしたこともない。急になんだ? 連絡網を確認しても、私の前はT中じゃないし。え、なんだろう。なんの電話だったんだろう。やだ出ればよかった!!
ドキドキしながら、なんの用だったかを想像する。ただのクラスメイトから急に電話……え……え、これってそういうやつだったりしますか?
すぐにかけ直すのもなんだか恥ずかしくて、一度『いいとも!』を観るふりをする。番組が『ごきげんよう』に変わったとき、私は意を決して受話器を取った。
T中の家の、押し慣れない電話番号をゆっくりゆっくり押して、押し終わって、コールが始まる。ドキドキ。なんだろう。なんの用だったんだろう。
長い長いコール音がガチャッと止まり、私の耳に「はい」という声が届く。
でもそれは、T中の声とは違って、お母さんの声とも違って、今まで生きてきた中で聞いたことのない、えげつなく低い声だった。
「もしもし?」
男の人の声。そういえば、T中にはお兄さんがいた。これ、きっとお兄さんだ!
一気に汗が噴き出た。大人と話すことはあるけれど、大人と子供の中間の人とはまだ話したことがほとんどないから。どうしたらいいのかわからない。
絞り出すように「あ、あのさっき電話もらったんですけど」と言うと、「は?」威圧的な声がしてもう無理でーす!
「T中くんから留守電が入ってて! 同じクラスの長井です! 失礼しました!」
ガチャン。言うだけ言って、電話を切ってしまった。
目の前にある、FAXとメール機能のついた家電、その液晶画面に熱帯魚のアニメーションが帰ってくる。
涼しげに泳ぐその魚たちを見ながら、次にT中に会うのは始業式で、それはまだずいぶん先だから、この話を直接聞くことはできないなと思った。
ソファに戻れば、サイコロを掲げた小堺一機が分厚い液晶テレビの中で揺れている。まだ少しドキドキするから、冷凍庫からチューペットを出して折って食べた。
あのドキドキは、きっと恋とは違う
恋、はもちろんドキドキするけど、あのころの私はまだ11歳で、恋なんて知らない。なんなら知りたくもなかった。ずっとみんなで友達がよかったから。
あのドキドキは恋のそれとは違う。自分の知らない世界、大人への準備期間のようなものが、いよいよ始まってしまうの?っていう動揺だった。結局あれはなんだったんだろう。
あのころ、個人情報はガバガバで、仲よくなくても電話できた。よくないこともたくさんあったけど、あれはあれでおもしろかったなと思うのは、私が年を取ったからだろう。
今の私の家には家電がなくて、スマホにかかってくる電話は全部、出なくたって誰からかわかる。それはとても便利だけど「もしもし。っえ!?」ってなるあの受話器の感触が、時々恋しい。
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