爆笑問題のテレビっ子っぷりが炸裂。太田の「黒歴史」も明かされる(刺さルール!)

テレビっ子のライター“てれびのスキマ“が、昨日観た番組を記録する連載「きのうのテレビ」。バラエティやドキュメントの中で起こった名場面、名言、貴重な会話の数々を書き留めます。2020年から毎日欠かさず更新中。
『刺さルール!』(5月9日放送)
「テレビ欄でテレビ談」という企画の、タイトルを聞いただけで絶対おもしろいと思える回。期待どおり、爆笑問題のテレビっ子っぷりが炸裂していた。
まず1983年6月22日(水)のテレビ欄。やはり目を引くのは『水曜スペシャル』の「川口浩探検隊」。「底無し沼に巨大ワニ!毒サソリ急襲」という文言がいかにもこの番組。
『霊感ヤマカン第六感』のテーマ曲を、爆笑ふたりで声を合わせて歌うのがたまらない。嶋佐「爆笑さんが楽しいだけの企画(笑)」。
この当時、18歳の田中がアルタ(地下1階にあったマクドナルド)でバイトしていたという情報も。
1987年7月18日(土)のテレビ欄では、ゴールデンで『プロレスリング』(全日本プロレス中継)が。しかも「鶴田 タイガーマスク×天竜 原」(原文ママ)という垂涎のカード!
そしてこの日といえば、フジテレビ版『24時間テレビ』=『テレビ夢列島』(現・27時間テレビ)の第1回が放送された日。
ビートたけしがフライデー事件の謹慎後、“乱入”するかたちでフジテレビに復帰した回としても知られているが、テレビ覧には「ビートたけしが出ると面白い深夜のトーク」と匂わせている。
太田「このころの所さんなんか中継だからね」「所さんってバカだバカだって言われてた。『月極駐車場』のこと『げっきょく駐車場』って読んで、それをさんざんネタにされた。あそこ(『マジカル頭脳パワー!!』)で所さんって頭いいんだってわかって、そこから頭いい人になった」。
ちなみにこの年は、爆笑問題結成の前年。田中が「お前、スターライトカンパニー時代か?」と、太田が入っていた劇団の名を言うひと幕も。「ミュージカルでトムって役やってた」と田中が明かすと、恥ずかしそうに、太田「黒歴史(笑)」。
1987年12月24日(木)のテレビ欄では、ハウフルス×桑田佳祐による伝説の番組『メリー・クリスマス・ショー』について興奮気味に話して大盛り上がり。「この当時の桑田さんって、今でいう誰?」とヒコロヒーが尋ねると、太田「いや、今でいう桑田さん(笑)」。
先の所ジョージのキャラクターの変遷もそうだし、『Dr.スランプ』がひとつの起点となって『少年チャンピオン』時代から『少年ジャンプ』時代になったとか、井森美幸&森口博子がブレイクした『パオパオチャンネル』で「バラドルが確立した」とか、1974年のテレビ欄で深夜0時以降番組がないのを指摘され「だから、そっからラジオなんです。『オールナイトニッポン』」と太田が語るとか、時代背景やターニングポイントになったようなことが熱っぽく語られているのがとてもおもしろかった。
毎週は無理でも、爆笑問題がいれば、あらゆる日のテレビ欄で語れるはずだから、月1くらいでやってほしい。
『有吉クイズ』(5月9日放送)
「絶品ロティ(チャパティ)を知りたい」「ダール(豆カレー)のウマい店を知りたい」というインド好きの有吉の要望を叶えるため、アルピー酒井と横山由依が番組初の海外ロケでインドに。
普通の番組ではなかなか行かないようなディープな店にも行ったりしてとても興味深いが、中でも特にスゴかったのが、無料でカレーやチャパティを提供している寺院。
1日3万食を作る厨房の規模もスゴいし、大勢の人が並んで座って食べている光景も初めて観るもの。インドのリアルな側面が映し出されていた。
-
【連載】きのうのテレビ(てれびのスキマ)
毎夜ライフワークとしてテレビを観つづけ、テレビに関する著書やコラムを多数執筆する、てれびのスキマによる連載。昨日観た番組とそこで得た気づき、今日観たい番組などを毎日更新で綴る、2023年のテレビ鑑賞記録。
関連記事
-
-
「奪われたものは取り返すつもりで生きていく」FINLANDSが4年ぶりのアルバムで伝える、新たな怒りと恥じらい
FINLANDS『HAS』:PR -
牧場バイトからアイドルへ、かてぃが歩んだ多彩な仕事遍歴
求人ボックス:PR