ダウンタウンが笑福亭笑瓶を追悼。今も耳に残る「ショウヘイヘ~イ」の声(てれびのスキマ)

てれびのスキマ

テレビっ子のライター“てれびのスキマ“が、昨日観た番組を記録する連載「きのうのテレビ」。バラエティやドキュメントの中で起こった名場面、名言、貴重な会話の数々を書き留めます。2020年から毎日欠かさず更新中。

『ガキの使い』

全員が黒スーツに身を包んで「我らが笑福亭笑瓶さんを追悼しよう」とストレートに名場面を振り返る追悼企画「笑福亭笑瓶さん追悼 名場面SP」。この番組でがっつり追悼企画をやったのは記憶にないから驚いたけど、それだけ番組に愛されていたということだろう。訃報を聞いてやっぱり最初に思い出したのは『ガキの使い』の「ショウヘイヘ~イ」のコールだったのでやってくれてよかった。

オープニングでは「(最近も)会議では笑瓶さんの名前も挙がってたんですけどね、もうええんちゃうかって」「タイミングが合わなかったというか、ちょっと笑いが合わなかった」と愛情たっぷりに笑わせる松本。浜田も「名前だけで笑かすって汚いよね」と笑い、松本が「よく言うてましたよね。名前に笑が2個も入ってるのに1個もないやないかって」とつづける。

1996年8月に初登場し、19回出演。意外に少ないけどどれもがインパクト抜群で「ショウヘイヘ~イ」は今も耳に残っているし、「レギュラーオーディション」や「水中息止めバトル」なども印象深い。ナレーションの入れ方などが「さよなら山ちゃん」シリーズみたいだから、なんだか最後に亡くなったのも全部ウソだとひっくり返してくれたら……なんて感傷的に思ってしまう。

エンディングでは「いつまで経っても下からイジられたり、一緒に下の子らと同列で笑いを届けられるようなところは僕は見習いたいと思ってますね」と語る松本。『ガキ』以外でも『HAMASHO』などで長く共演していた浜田に松本は「つながりはだいぶ深かったんじゃないですか?」と言った上で「泣けよ! フレンチクルーラー持ってこい!」とイジる。浜田「俺はあれは好きじゃないよ」。

松本がイジったことにも、さらには浜田がそれを受けて返したことにも驚く方正。浜田「出してくれ、泣くかどうか(笑)」。

『メガホン二郎』

「ハリウッドスター感謝祭2023春」と題し、スーパースターに扮したものまね芸人を日本式のバラエティでおもてなしする予行練習的企画。いつもながらわけがわからない。まず最初は「ハリウッドスターの楽屋訪問レポート」。このしんどそうな企画のレポーター役は奥森皐月。平子「えーと……かわいそうにねえ(笑)」。

ひとり目は「アーノルド・シュワルツェネッガー」と書かれた楽屋。中にはお弁当を食べる綾瀬のシュワちゃん(カステラ一番)が。アルピーからの指示を受けながら、ひとしきり会話をしたあと、「『I’ll be back』の新しいの」を披露する綾瀬のシュワちゃん。そのギャグに奥森「何か来るかなと思ったら何も来なかった(笑)」。

ここでスタッフからアルピーに「しばらく黙ってみます?」といじわるな提案。アルピーからの指示が来なくなり、必死でつなぐ奥森。ようやくつながり感想を求められると「カメラがこっち向いてなかったら泣いてたと思います(笑)」。

ひとり目が終わるも、あと3組と聞いて「今までがんばってきた芸能人生かけてがんばりたいと思います」と苦笑いを浮かべる奥森。つづく江戸川のマイケル・ジャクソンにも「こんなこと言っていいのか……年相応の香りがしました」と言い放ったり、一言ひと言の切れ味が鋭くて、全部笑いを生んでいてすごい。最後はバッドナイス常田が「窪塚界隈で一番窪塚」と評す野毛の窪塚洋介。一般の大学生だという。レポートを終えたあと、平子に「勘のよさで考えると素人の方が一番上手じゃなかったですか?」と聞かれ奥森「圧倒的にやりやすかったです(笑)」。

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1978年生まれ。ライター。テレビっ子。著書に『タモリ学』(イースト・プレス)、『1989年のテレビっ子』(双葉社)、『笑福亭鶴瓶論』(新潮社)、『全部やれ。日本テレビ えげつない勝ち方』(文藝春秋)など。

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