地獄の足音の正体と、幹事長最大の見せ場
ピシッ———
絶え間ない風切り音が響く中でさえ、その音は僕たち全員の耳に届いた。
ピシッピシピシッ———
その音はまるで脳の中の小さな泡が弾けるようで、だけれど紛れもなく、僕たちの足の下から聞こえてきていた。
僕たちは動きを止める。同時に、音も止む。
まさか、と思って足を一歩踏み出してみる。
ピシッと軸足の下から音が響く。驚いてもう片方の足に体重をかけると、ピシピシピシピシッとその足の下から弾ける音。
「ヤバい!」僕がとっさに氷に伏せると、他のふたりも狙撃された兵士のような俊敏さで同様に伏せた。
氷が割れ始めているのだ。
岸の近くではそんな気配など微塵もなかった。しかし今では、体重のかかった点から稲妻のような線が5mほど先まで何本も走る。ピシピシと身の毛もよだつ音を立てて。
僕が伏せたのは体重を分散させるためだ。点では氷が割れる。面であればどうにかなるかもしれない。匍匐(ほふく)で動くしかない。
右の肘を前方に出す。
ピシッ———
氷に亀裂が入り、目の前でその割れ目から水が染み出してくる。いや、染み出してくるなんてやわな表現じゃ不正確だ。ビョッビョッと水があふれ出ているのである。
このとき、僕は道中のラジオでぼんやりと耳にしていたニュースを思い出していた。どこの県かは聞き逃したが、暖冬で例年よりも早く氷が溶け始めた湖に男性が落下し、命を落としたとのことだった。聞いたときには「大変な事故が起こるものだ」という程度にしか思っていなかったが、今、ここに、その危険が目の前10cmのところで現れている。
引き返そう。
僕はそう思ってうしろを振り返る。その動きだけでまた氷が割れて、あふれ出た水で体が濡れていく。
なんとか後方を振り返って絶望した。
不幸にも僕たちはずんずんと歩を進め、湖のちょうど真ん中まで来てしまっていた。レストハウスのある岸は遥か遠くに霞んでいる。さらに太陽が顔を出し始め、氷を急速に溶かしているのが目に見える。つい先ほどまで白い薄雪に覆われていた湖面が透明になり始めて、キラキラと陽光に戯れている。
引き返したほうが危険だった。
思うに、僕たち3人はこれらの思考をそれぞれ別々に、それも瞬時に行い、そして同様の結論を出した。
言葉を交わすこともなく、全員がそろそろと対岸に向けて匍匐前進を始めたのだ。
体を少しでも動かせば氷が割れて水があふれる。恨めしいことに、日が昇るのと同時に、風が強さを増していった。
リードしたのは幹事長である。
防衛大中退の経歴がこんなかたちで発揮されるとは本人だって思わなかっただろう。その匍匐の鮮やかさといったらなかった。みるみる僕たちは離されていった。
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