岩井秀人「ひきこもり入門」【第2回前編】酔っ払って木刀を振りかざす父。自分は「他人と違う何者かになれる」と思っていた

構成=小沼 理 撮影=平岩 享
編集=森山裕之


作家・演出家・俳優の岩井秀人は、10代の4年間をひきこもって過ごし、のちに外に出て演劇を始めると、自らの体験をもとに作品にしてきた。

岩井はどんな家庭で生まれ、どんな幼少時代を過ごし、学校生活を送ってきたのか。 小学生時代、夜に駐車場の玉砂利が弾ける音がして、父の車が勤め先から帰ってきたことがわかる。その音を聞くだけで、もう動悸がしてくる――。

他人に「感情」があると思わなかった

自分の娘が3歳のころ、「我慢する」姿を見て驚いた。友達が遊んでいるおもちゃで自分も遊びたいけど、無理やり奪うわけにはいかないから、我慢をする。欲望が満たされなくて不満もあるが、別のことをしているうちに忘れる……そんな高度な技術をたった3歳でやっているのだ。一般的には、多くの子供がそういった「社会での生き方」を習得するのだが、僕はそれをまったく身につけられなかった。

保育園に通っているころから、他人に「感情」というものがあると思っていない子供だった。「自分にとって都合がいいか、悪いか」だけで相手を見ていたから、他人を思いやるといったことがまったくできずにいて、よく友達を殴って言うことを聞かせていた。先生からは「そんなに言うこと聞かないと卒園できないよ!」とよく怒られていた。怒られるとものすごく泣きはするが、次の日にはまた同じことを繰り返していた。懲りないというか、起きたことから、見つけた「世界と自分との間のズレ」を埋めていく、そういった機能がかなり足りていない生き物だったと思う。

叱られては「そんなことしてたら卒園できないよ!」と言われつづけていた保育園のとき、卒園式が終わったあと、自分たちのクラスのタオルかけの名前シールが次の学年の子たちのものに貼り替えられていたのだが、その中に「ひでと」という名前があった。それを見た途端「本当に留年させられた!」という衝撃で頭がいっぱいになって、号泣しながらシールによだれを塗りたくって剥がしたことがある。実際は下の代に同じ名前の子がいただけだったのだが、トラウマのように残っている記憶だ。

医師の父は、家では王様でいないと気がすまない人格

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