遅く起きた日曜日に、友達とゆっくり話す(スズキナオ)

2020.5.3

今まで当たり前のように存在するものと思っていた友達の姿が新しく立ち上がり直す

1980年生まれのトミータ。「ユニコーン」に憧れて中学2年生で友達とバンドを結成し、ボーカルを務めていたという。それから徐々にビジュアル系、ヘヴィメタルといった音楽が好きになり、高校でもバンド活動をつづけていたそう。それからの音楽遍歴はいろいろあったが、高校を卒業した直後はベックが好きで、憧れから髪を金に染めたりしていたそうである。

その後、音楽制作関連の専門学校に進学したトミータ。同級生とマニアックな音楽の話ができるかと期待していたそうだが、学校にいる人の多くは音楽そのものよりも音楽業界や芸能界への憧れが強いように思え、あまりそりが合わなかったらしい。“学校になじめないタイプのやつら”と寄り添うように親睦を深め、卒業後、学校の先生の勧めもあって、「着メロ制作会社」で、業務委託契約というかたちで働くようになる。それが2003年ころのこと。

当時のケータイ電話には、電話の着信時に鳴らす「着信メロディ」というサウンドがあった。データ容量上、今のスマホみたいに音楽データそのものを簡単に再生したりはできないので、そのかわりに少ない音数で当時のヒット曲等を再現した音源を鳴らすわけだ。今のゲーム機のゲーム音楽と、ファミコン時代のBGMの差をイメージするとわかりやすいかもしれない。トミータが仕事をしていたのはその「着メロ」をコンピューターで打ち込んで制作する企業で、そこでの話がおもしろかった。

――どんなふうに着メロって作ってたの?

トミータ 当時はヤマハの「XGworks」っていうソフトがあって、それを使ってMIDIで打ち込んで。なんていうんだろう、当時は4和音と16和音と32和音とで作ってたのかな? その中でも4和音で作るのがすごくおもしろくてさ、音を間引いていって4和音でその曲を再現しなきゃいけないわけだから。

――「4和音」って同時に鳴らせる音が4つしかないってことだよね?

トミータ そうそう。4つだけで作るの。そうするとまず、ひとつノイズみたいな、「チッ」とか「ツー」っていう音を作って、それをリズムにして、あとベースをつけたら2和音じゃん。もうあとふたつしかない(笑)。メインのメロディにひとつは使うから、それ以外のアレンジはもう1音で表現するしかないの。その作業がすごいおもしろくて、うまくできると、ちゃんとその曲そっくりに聴こえるのよ。それが気持ちいいの。

――へー! 音がもっと使えるやつよりも4和音のほうがかえっておもしろいわけね。もうその技術って一切使いようがないの?

トミータ ははは。活かしようはないね! でもさ、あのころ4和音で作られた着メロですごいものって、今聴いてもおもしろいと思う。当時、自分で作ったのですげーうまくいったのとかは自分のケータイに全部入れておいたんだけど、そのケータイ自体がもうないからね(笑)。

それから数年が経ち、ケータイが進化し、大きな容量のデータを扱えるようになると「着メロ」は衰退し、リアルな楽曲データに取って代わられるようになる。トミータは職を変えることになり、音楽仲間の紹介でケータイ電話の販売代理店に勤めることに。そこから代理店の親会社が変わったり、勤務先が変わったり、と仕事の思い出を聞いていく。自分たちが出会ったころの話、ここ最近、コロナ禍での仕事の状況など、こうしてみると話したいことは山ほどある。

コロナ騒動前、横浜で一緒に飲んだときのトミータ

このあともここに書き切れないほどたくさんのことを聞いたが、その多くがこういう機会でもなければ改めて聞くこともなかったであろう話ばかりだった。今まで当たり前のようにいつでも存在するものと思っていた友達の姿が、モニタの向こうで新しく立ち上がり直すような、不思議な時間だった。今だからこそ、身近な人とじっくり話し合ってみるべきかもしれない。

先が見えない不安の中だからこそ、大事なものを一つひとつ指差し確認していくように。 延期になっている結婚式について、「お金もけっこう損しちゃったけど、式場もプランナーも俺たちも誰も悪くないからなあ。とにかく、できるときになったら賑やかにやろうと思うよ」とトミータは言っていた。私もその日を待っている。



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スズキナオ

大阪在住のフリーライター。「デイリーポータルZ」「メシ通」等のWEBメディアで記事を書いている。酒とラーメンが好き。パリッコとの飲酒ユニット「酒の穴」としても活動中。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』(スタンド・ブックス)など。

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