フワちゃん騒動で思い出す“あの日の誹謗中傷”。奥森皐月「こうして命を絶つ人がいるのか、と」【今月のお笑い事件簿】

文=奥森皐月


年間100本以上のお笑いライブに足を運び、週20本以上の芸人ラジオを聴く、20歳・タレントの奥森皐月

今月は、フワちゃんの騒動を切り口に、奥森がこの1年で感じた“SNSの暴力性”と自身の思いを打ち明ける。

結婚発表時に身をもって知った“SNSの暴力性”

1年前の8月、バイト先の同僚の人に「奥森さん、『M-1』の季節が来ましたね」と言われ、「変ですよ」と答えた。

8月を「『M-1』の季節」と捉えている人は、さすがに賞レース中心の生活すぎる。『M-1』を題材とした俳句があったとしても、きっと冬の季語として使われているだろう。

YouTubeに次々と投稿される【1回戦TOP3】と【ナイスアマチュア賞】の動画を観ながらその人のことを思い出した。フランツの初日1位通過がうれしかった。

ここ1年くらい、X(旧Twitter)は暴力性と攻撃性が加速しすぎているように感じる。

本来インターネット上にある意見の大半は、素性がわからない誰かが匿名で投稿した所感に過ぎない。それなのに、いつからかその意見の大きさや多さを「正しさ」や「強さ」と捉える価値観が蔓延(はびこ)り、今やそれが当たり前のように扱われている。

多数意見に便乗して自分が偉くなった気分になったり、あえて少数意見に乗って“俯瞰”というかたちで他人を冷笑したり、人を蹴落とすやり方を「ストレス発散」や「リフレッシュ」にしている人があまりにも多い。それが悲しい。個人が悲しむべき問題ではないとも思う。

私は去年の11月に結婚の発表をした。

結婚をしたいと思った人に、結婚しましょうと言った。受け入れてもらった。私の家族も相手の家族も考えを理解し、温かく受け入れてくれた。お世話になっている事務所の人もよかったねと認めてくれた。友達や身のまわりの人が皆「おめでとう」と言ってくれた。

しかし、顔も名前も知らない会ったこともない人からだけはさんざんな言葉を投げかけられた。「気持ち悪い」と言われるのはただの“感想”だから仕方ないのかもしれない。そう感じる人がいることは想像できていたので、ひどく落ち込むことはなかった。

もともと私は人からの評価で気を病むタイプではないし、嫌なことを無視する能力も高いほうだと思っている。けれども明らかに度を過ぎた誹謗中傷や、事実と異なる情報の拡散や、家族への攻撃はやはりこたえた。

「ああ、こうして命を絶つ人がいるのか」と身をもって知った。もとからSNSの暴力性には嫌悪感を抱いていたが、より鮮やかに、より色濃くそれを感じるようになった。

電車に乗りながらふと「この車両に自分を中傷していた人がいるかもしれないな」と思うことがある。それ以上に悲しみや怒りの感情は湧かない。ただそう感じるときがあるのだ。

その人はきっと私の顔を見ても、自分がひどい言葉をぶつけた相手だとわからないと思う。あれからもう1年近く時間が経っている。その間に新たな標的を何十人何百人と見つけては攻撃しているのだろう。そして私も相手の顔を知らないから、対面しても気づくことはできない。

「あのときは感情的になっていて、あなたを傷つける言葉を投げてしまいました。ごめんなさい」なんて言ってくれる人はひとりとしていない。そこに姿形がないのだから、その自分を過去のものとして切り離してしまえばいくらでも逃げられる。なんて怖い世の中だろう。

『フワちゃんANN0』終了に悲しむリスナーたち

Xでの“不適切投稿”を受けて、最終的にフワちゃんは活動休止に至った。

許されない行為、というのは理解できるが、その許されない行為を日常的に行っている”知らない人”が今日も中傷の活動をしていることは理解できない。フワちゃんに対して誹謗中傷している人にはなんの代償もないというのはどういうことなのだろう。

収録ブース
※画像はイメージです

早い段階でフワちゃんが『オールナイトニッポン0(ZERO)』のパーソナリティを降板することが発表されていた。

投稿を擁護するつもりはないが、これまでに冠ラジオをしているパーソナリティがラジオ内外問わず不適切発言をしてしまったケースはいくつもあると思う。しかしながら、その発言ひとつでラジオ番組が即終了となるパターンはかなり異例だ。

テレビとは違って、いいことも悪いことも「ナマの声」を届けるのがラジオの魅力だと思っている。特に録音でない生の深夜放送は、失敗や事故もそのまま流れてしまう。

でも、その失敗を悔いたり反省したりする姿もまた流れる。ラジオを聴いているとそこから学ぶことも少なからずあるし、私はそのような側面もひっくるめてラジオが好きだ。

今回のスピーディーな降板の発表は、もう完全に時代が変わっていることを知らしめられた感覚があった。この先、「危うさ」のようなものの楽しみはラジオに求めてはいけないのかもしれないと思った。全部仕方がない。変化はするものだし、そこに抗うのは本当に難しい。

あいにくなのか幸いなのかはわからないが、私はフワちゃんの『オールナイトニッポン』シリーズを毎週欠かさず聴くほどの熱心なリスナーではなかった。

でも、偶然リアルタイムで聴いたり、たまに話題になっている回を聴いたりするたびに、楽しい番組だなと思っていた。ラジオとして新しいことをいろいろとしていたし、まさに「パーソナリティ」が伝わるラジオだったように感じる。

番組終了が発表されたあとにXで「#フワちゃんANN0」を検索すると、リスナーの意見がたくさん投稿されていた。

毎週楽しみにしていたラジオ番組がある日突然終わるというのは、形容し難い悲しさがあることが伝わってきた。怒りも悲しみも向ける矛先がなく、ただ呆然と現実を受け入れるしかないリスナーたちが目に入ってきて、複雑な気持ちになる。

それらの投稿をさらにバカにするような、卑劣な書き込みもあった。地獄でしかない。こんな出来事が今後二度と起こらなければいいのに、なんて無責任で何も言っていないのと同じようなことを思う。とても無力。

※画像はイメージです

興味深い番組の情報や、今後開催されるお笑いライブの告知、ただクスッと笑えるおもしろい投稿など、「お笑い」を楽しむためにXを頼っている。頼ってしまう。

基本的には楽しい感情で見ているが、自分の気持ちに反して嫌な投稿が入ってくることもある。つい最近もライブでのマナーについてお笑いが好きな人同士で揉めていたり、誰かが好きなものを誰かが蔑んだりしているのを見かけて、なんだかなぁと思った。

大きく分ければ同じものが好きな人たちなのに。ましてや「おもしろいものを観て笑いたい」というかなりポジティブでファニーな趣味に集まる人たちなのに。

お笑いに限らず、どの分野にでも仲間のような存在の人たちが争うことはあるだろうが、なんだかもったいない気がしてしまうのは私だけだろうか。

ネガティブな心を救ってくれるのも、やっぱりお笑いだ

今月は好きなものに付随する出来事に振り回されて疲れてしまったようだ。お笑いが好きで楽しい気持ちでいたいだけなのに、ネガティブな話を並べてしまった。

ところが、そんなやり場のない気持ちを救ってくれるのも、私の場合は結局お笑いである。愚かな生き物だと思う。その愚かさすら滑稽で、なんだかおもしろい。

「おもしろがってはいけない」線引きは確実に存在していて、こればかりは難しいが、その線の外では好きなだけおもしろがって好きなだけふざけていたいなと思う。

『相席食堂』にオダウエダの植田(紫帆)さんが出演されている回を観て、全部を忘れるくらい笑った。何がおもしろいか説明するのが野暮だ、というか説明がつかないけれど、ずっとおもしろかった。

【相席食堂】オダウエダ植田 芸能界最強ボディーの相席旅 ナイトinナイト

これが一番健康かもしれない。とにかく笑った(その放送を批判する意見を集めた記事があって驚いた。「おもしろくない」を記事にすることが禁止になればいいのに!)。

それから、霜降り明星せいやさんのYouTube『イニミニチャンネル』に上がっていた「世界最速!『インサイドヘッド2』を完全再現」もめちゃくちゃおもしろかった。もう本編を観なくていいくらい完璧に再現していて笑った。

世界最速!映画『インサイドヘッド2』を完全再現【ネタバレ】

1時間半の映画を30分かけてマネしている動画なんて見たことない。だんだんとうしろの壁が薄汚れていることもおもしろくなってきた。

誰かを傷つけるのではなく、おもしろいものを観て笑ってほしい

理由もなく元気がない日や、やる気が起きない日、とりあえずTVerのバラエティのカテゴリーを選んでおもしろそうな番組を観る。それから、YouTubeでひたすら芸人さんのチャンネルを漁って自分の好みに合いそうな動画を片っ端から再生する。

何もできない日は、自分の生産性の低さに落ち込むこともあるが、お笑いを観て笑っていると、自分が「何もがんばれないくせに笑ってはいる、憎めないおかしな生き物」に思える。笑わないより笑ったほうがいい。

その小さな機械で誰かを傷つける時間があるなら、その小さな機械で自分の好きなおもしろいものを観て笑っていてほしい。ずいぶんと能天気な考えだとは思うが、かなりまじめにそう思っている。

おもしろいテレビ番組もラジオ番組も、リアルタイムでなくてもあとから楽しめる。『M-1』の予選映像が次々とYouTubeで観られる。上質な漫才やコントやピン芸が無限にネット上にアップロードされている。お金を使わなくても、いくらでもおもしろいものを享受できる幸せな時代だ。

お笑いを観ているだけの私は予選敗退も優勝もしない。笑っているだけの生き物。

でも、せっかくなら笑っていたい。せっかくならみんなに笑っていてほしい。そう思ってしまう。

この記事の画像(全7枚)


この記事が掲載されているカテゴリ

奥森皐月

Written by

奥森皐月

(おくもり・さつき)女優・タレント。2004年生まれ、東京都出身。3歳で芸能界入り。『おはスタ』(テレビ東京)の「おはガール」、『りぼん』(集英社)の「りぼんガール」としても活動していた。現在は『にほんごであそぼ』(Eテレ)にレギュラー出演中。多彩な趣味の中でも特にお笑いを偏愛し、毎月150本のネタ..

QJWebはほぼ毎日更新
新着・人気記事をお知らせします。