スカート澤部渡を形作ったカルチャー【前編】ポップソングの源泉となる10要素

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文=松永良平


2020年で活動10周年を迎えた、澤部渡のソロプロジェクト・スカート。今年はアニバーサリーイヤーとして多くのライブやリリースを控えている。

ここでは、メジャー1stアルバムをリリースした当時のインタビューを2回にわたり掲載。清涼感のあるソングライティングながら、どこか影を感じる“不健康ポップバンド”と評され人気を博す彼の、原点に根付くカルチャーを紐解こう。

※本記事は、2017年10月24日に発売された『クイック・ジャパン』vol.134掲載の記事を転載したものです。

スカート澤部渡の「僕を作ってきたもの/作ってゆくもの」

21世紀のポップソング・メイカーとしてインディー時代から絶大な指示を得てきたスカートがついにメジャーデビューを果たす。新作『20/20』を手に、澤部自身に過去の好きなもの20と、いま気になるもの20をリストアップしてもらった。今回はそのなかでも特に澤部が語りたい5つのものについてインタビュー。彼の周りを取り巻くものたちを“視界良好”に見渡す。

好きなものを手に入れたいと思う情熱と、いつかそれを失ってしまうかもしれないと思う切なさ。時代が21世紀に移っても変わることのないその普遍的な感情を、音楽やマンガ、カルチャーを通じて過去から未来へと橋渡しする。その作業はスカート澤部渡にとってポップソングの源泉そのものでもある。まずは過去から、澤部の言葉を聞いてみよう。

大好きだった“僕を作ってきた”もの5選

yes, mama ok?『Q&A 65000』

イエママの2ndフルアルバムです。それまでYMOやNUMBER GIRLとかを聴いてはいたんですが、初めてイエママを聴いたときは、音楽ってこんなに自由で、捉われる必要がないものなんだって思いました。初めてライブハウスに行ったのもイエママです。中3でしたね。下北沢のCLUB Queに行きました。

映画『アパートの鍵貸します』

イエママの金剛地武志さんがすごく好きな映画だって紹介していて、「それなら観てみよう」と思ったのがきっかけでした。自分にとってはすべてがしっくりきて、「こういうものが観たかったんだ!」という気持ちになりました。この映画でのジャック・レモンの、ある種の情けなさにすごく憧れて、情けなさに切なさを加えて表現するということを試した時期はあったかもしれない。僕はニューシネマ的な、最後に全員死んで終わる、みたいなのは好きじゃないんですよ。さんざんな目に遭っても、最後は救われて気分よく終わるというのが自分にとっては重要です。

西村ツチカ『なかよし団の冒険』

ここから3冊のマンガは、スカートの初期作品のジャケットを手がけていただいたみなさんの作品です。ツチカさんは、僕が1stの『エス・オー・エス』(2010年)を作り終えたくらいのタイミングでこの単行本が出たんです。デビューの年も近かったということでシンパシーを感じてましたね。やがてツチカさんと知り合ったことがきっかけで、LP『消失点』(12年)、ミニアルバム『サイダーの庭』(14年)のジャケットも描いてもらえたし、ツチカさんの大学時代の友だちだったtofubeats、オノマトペ大臣にもつながっていく。どんどんそっち方面に転がっていく気持ち良さはありました。とにかく運がいいんです(笑)。

見富拓哉『ヨックモックの花束』

新宿の「COMIC ZIN」に初めて行ったときに、見富さんの『ヨックモックの花束』を買って、すごく好きになりました。「いつか絶対ジャケットを描いてもらいたいな」と思って、ミニアルバムの『ストーリー』(11年)をやってもらいました。視点の切り替わりが鮮やかで、自分も音楽でこういうことをやりたいと思いましたね」

森雅之『夜と薔薇』

『ストーリー』の評判が良くて、次はどういうことにお金を使えるかと考えて浮かんだのが、「ジャケットは好きな人に描いてもらったら絶対に良くなる」だったんです。それで2ndアルバム『ひみつ』(13年)は森雅之さんに、お願いしました。森さんは僕の父親と同い年の大ベテランのマンガ家さんで、僕は大好きなんですが面識はなかった。サイトを通じてご住所を教えてもらい、ダメ元でCDと手紙を送りました。そしたら快諾してもらえて本当にうれしかった。森さんから送られてきたラフを見て、また新たに曲ができたりしましたし。

ポップカルチャーに愛情を注ぐことで自らを奮い立たせてきた澤部は、これまでもこうした愛着についてはいろんな場所で折りに触れて語っている。だからスカートのファンなら、こうして彼が紹介している過去の出来事については結構な既視感があるかもしれない。

自身のレーベル「カチュカ・サウンズ」でリリースしたオリジナル作品は、14年のミニアルバム『サイダーの庭』までだが、すでにその時点でもインディー・ポップ界でのポップ職人としての評価は定まりつつあった。『ストーリー』以降に本格化したバンド編成でのライブも、それなりの動員をキープするようになっていた。だが、澤部の可能性を知る者ほど、「もっと上まで行けるはず」とやきもきしていたのも本当だ。

ひとつの転機は14年の暮れに訪れた。カクバリズムから12インチシングル『シリウス』がリリースされたのだ。正式にカクバリズムに所属したのは、3rdアルバム『CALL』(16年)からだが、自分以外の手で作品が送り出されるという行程が、澤部に与えた影響は小さくなかった。

「ひとつ目線が増えるというのが、作品にとってはめちゃくちゃ大きかったと思います。作品に対してなにか言ってくれる人がいるというだけで気の持ちようがぜんぜん違ったんです」

また、この時期、澤部は実家を出て、マンガ家や映像作家たちとシェアハウスでの暮らしをはじめていた。

「3年くらいシェアハウスをしたんですけど、あれはデカかったです。生活環境を変えるということをそれまでしてこなかったので、そこで社会性を結構身につけたと思います。それに、以前は環境が変わったら曲が書けなくなるんじゃないかと不安に感じていたんだけど、そういうことはなく、ちゃんといい曲が書けた」

『CALL』発売以降の快進撃については、今さら書き連ねるまでもないかもしれない。スピッツのバックでの『ミュージックステーション』出演など、うれしいサプライズも後押しして、『CALL』はスカート史上最高の売り上げを記録した。その後、テレビ、映画への提供曲も話題を呼び、ついにポニーキャニオンからのメジャーデビューにまで至った。

では、ここからは、現在の澤部の好奇心をくすぐっているものを聞いてみることにする。