AI美空ひばりをめぐる議論は周回遅れ?漱石・米朝アンドロイドからわかること

2020.2.27

文=飯田一史 編集=森田真規
トップ画像=美空ひばり(AI歌唱)『あれから


NHKの番組から生まれた「AI美空ひばり」が2019年末の紅白歌合戦に出演し、議論を巻き起こした。

しかし、筆者にはそうした論点の大半は、大阪大学のロボット研究者である石黒浩が制作に関わった桂米朝のアンドロイドや夏目漱石のアンドロイドに関する議論を後から追いかけたようなものにしか思えなかった。どころか、こうしたジェミノイド(本人と見た目がうりふたつに作られたアンドロイド)をめぐってなされてきた考察からすると、抜け落ちている観点すらあると感じている。

ここではAI美空ひばりと漱石や米朝のアンドロイドを比較しながら、著名人のコピーを作ることで生まれる問題を改めて提起していきたい。

AI美空ひばりの議論は漱石・米朝アンドロイドの後追いだ

そもそもなぜお前が米朝アンドロイドや漱石アンドロイドについて語るのかと疑問に思われる方もいるだろう。

筆者は石黒氏の著作である『アンドロイドは人間になれるか』(文藝春秋、2015年)、『人はアンドロイドになるために』(筑摩書房、2017年)、『こころをよむ 人とは何か アンドロイド研究から解き明かす』(NHK出版、2019年)の3冊の本の構成に関わっており、氏がどんなことを考えているのかある程度わかっているつもりだ(とはいえ本稿は石黒の意見の「代弁」ではなく、あくまで筆者の「私見」である)。

だからAI美空ひばりをめぐる議論を聞いていて思うところがあり、筆を執った。

米朝アンドロイド――本人が生前の時点で制作され、死後も運用されたケース

三代目桂米朝のアンドロイドは2012年に米朝の数え年での米寿を記念して公開された。生前の米朝自身をモデルにしてはいるが、すでに制作時点でご高齢であったため、演者として最も人々を湧かせていた時代のビデオなども参考にしながら制作され、いくつかの落語や小噺の動きと音声を極力忠実に再現して演じることができる。

たとえば、それこそ夏目漱石が愛した三代目柳家小さんがどんな風に寄席で落語をしていたのか、我々は想像するしかない。今では落語のCDやDVDなどに記録が多く残されるようになったとはいえ、その多くは音声か映像だけで、ある落語家の心身が衰え、あるいは亡くなってしまったら目の前でもう一度観ることはできない。

ところが米朝アンドロイドは(今現在は一般公開されてはいないものの、原理的には)メンテナンスをつづけていけば、いつまでも米朝の噺を目の前で体験することができる。芸能の天才の仕事のコピーが後世に遺る。音声や映像だけの場合と異なるのは、現実空間に物体として存在することで、より強い存在感を持つことだ。

しかもそれは第三者が勝手に作ったものではなく、ご本人が存命中に許可して制作され、米朝一門の監修がなされたものである。

AI美空ひばりに対して山下達郎が「冒涜だ」と語ったが、そう感じた理由はおそらく3つある。
(1)本人の死後に(遺族の許可を得ているとはいえ)本人の許諾や監修なく制作されていること。
(2)全盛期を知る人間が満足するクオリティではないこと。
(3)ディープフェイク(芸をコピーしたものを披露するのでなく、勝手に新規にしゃべらせていること)であること。

米朝アンドロイドは(1)本人と一門の許可があった。また(2)に関して言えば、一部には批判もあったが、アンドロイドの噺を米朝一門会などで披露するとおおむね好評であったことからクオリティ的に一定レベルに達していたと思われる。そして(3)基本的に米朝アンドロイドに新規で勝手にしゃべらせることはしなかった。

これらの理由から、AI美空ひばりほど否定的な意見は目立たなかった。

ただ、今後中長期に考えるとAI美空ひばりへの評価は否定的なものから徐々に好転していく――どころかAI美空ひばりこそが多くの日本人が抱く美空ひばりのイメージそのものになっていくだろうことを、漱石アンドロイドの存在は示唆している。

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