映画『ハケンアニメ!』の「盛られた部分」から考えるフィクションの説得力(藤津亮太)
大ヒット中の映画『ハケンアニメ!』(5月20日公開)から、フィクションにおいて「気になるウソ」と「気にならないウソ」の境界線についてアニメ評論家・藤津亮太が考察する。
「気になるウソ」と「気にならないウソ」
フィクションにおける「気になるウソ」と「気にならないウソ」。その境界線はどこで生まれるのか。公開中の映画『ハケンアニメ!』を発端に、いろいろ考えた。
『ハケンアニメ!』は、辻村深月による同名小説を、吉野耕平監督が実写映画化した作品だ。新人の斎藤瞳監督(吉岡里帆)と“天才”と称される王子千晴監督(中村倫也)のふたりを中心に、アニメ制作に取り組むアニメ業界を描いている。ハケン=覇権=そのクールの一番人気を目指して、ふたりの監督(とそれぞれに伴走するプロデューサー)が競り合うのが本作の見どころ。「クリエイターの作品にかける心意気」を描いた作品として、ストレートに熱くなれる映画に出来上がっている。
本作のエンタテインメントとしての魅力は前提とした上で、一方で本作で描かれたアニメ業界やそれを取り巻く状況は、フィクションとして当然ながらいろいろ“盛られて”いる。その各種描写について「気になる」のか「気にならない」のかは、ネットを見るといろいろな意見が出ていて、なかなか興味深い。
フィクションのさまざまな描写にウソはつきものだ。しかしウソであっても「気になるウソ」と「気にならないウソ」がある。その境界線はどこにどうやって生まれるのか。この種の話題になると「作品・エンタテインメントとしてまっとうしていればウソは問題ない」という大前提で話が終わってしまうことも多いが、ここにはちょっと「作品をどのように受容するか」という点でおもしろいテーマが潜んでいるように思う。そして「お仕事もの」だと現実との接点が増えるだけに、いろいろと気になる部分が増えるのだろう。
たとえば『ハケンアニメ!』の“盛られた部分”でいうと、本作の“ハケン”の基準は視聴率で測られている。だが現在主流の深夜アニメでは視聴率が問われることはほとんどなく、アニメビジネスの中で視聴率の果たす役割は非常に低下している。映画のスタッフはそこを百も承知の上で、「テレビ局がなりものいりで夕方にアニメ枠を設けた」という設定を用意して、視聴率に意味がある状況を作り、2監督の競争を盛り上げた。これはフィクションのために意図的に導入されたウソといえる。
では作中で失踪したと思われた王子監督が、1週間後に姿を現した時、8話分もの絵コンテを仕上げてきた、という描写はどう考えればよいか。テレビアニメ1話分の絵コンテにかかる時間は、早くて2週間、普通なら1カ月はかかる。もちろんここで絵コンテがまとまって出来上がったという状況を見せることで、「あとは最終回だけだ」と、観客の意識を次の展開へと切り替える役割を果たしてはいる。とはいえ、絵コンテにかかる時間を知っている人は、「早過ぎでは?」とひっかかりが生まれるところではある。
これから“奇跡”が起こるんだよ
こうした実際と異なるアニメ業界描写について、『ハケンアニメ!』の試写イベントにゲスト登壇した『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』の古川知宏監督は、「スタッフが選んだ“表現”として解釈するといいと思う」という主旨のことを語っていた。僕はそのイベントで聞き手を務めたが、作品鑑賞としてその姿勢はとても正統なものだと思った。
古川監督が例として挙げたのは『ハケンアニメ!』の冒頭の、鉛筆が机の上に立てられているカット。立っている鉛筆はuni。でも本物のuniはお尻が丸くなっているので、まっすぐ立てることはできない。つまり「立たないものが立っている」ことが映画の最初に置かれているのだ。古川監督は、これを“表現”ととらえ、「これから、ゼロからイチを生み出し、誰かにそれが届いていく、という“あり得ないこと”“奇跡”が起こるんだよ、という表現」というふうに解釈してみせた。
そうすると、王子監督の絵コンテも、天才と称される理由──スイッチが入った時の爆発力が圧倒的である──ということを想起させる“表現”というふうにとらえられる。
ただし、ディテールが“表現”として作品に奉仕している以上、これは「本作を見ることでアニメのお仕事の一端を理解できる」ということにはならない。そういう意味では『ハケンアニメ!』は「お仕事もの」ではない、ということになる。
ここで思い出したのが、かなり昔に読んだことのある有名なホテルマンのインタビューだ。そのホテルマン氏は、そこでドラマ『HOTEL』(TBS/1990~96)を批判していた。記憶で記すと、氏は「ホテルマンはまずミスをしないようにするのが前提。ミスをしてしまってから、誠意でリカバリーしようとするのは、ホテルマンとして間違っている。ドラマを現実を混同してほしくない」と語っていた。つまり氏は『HOTEL』は「お仕事もの」ではないという主張を展開していたのだ。
主人公を「特別な存在」と認識させる
一方で疑問に思うのは、視聴者は人気ドラマ『HOTEL』をどれぐらい「お仕事もの」として楽しんでいたのだろうか、ということだ。高嶋政伸のコミカルな表情や、わかりやすい演出などから、むしろ「ホテルを題材にした(泥臭い)ヒューマンドラマ」というふうに受け取っていた人のほうが多いのではないだろうか。
こうして考えてみると、作品の対象(この場合はホテル)の知識の多寡だけでなく、そのフィクションのジャンルをどのように受け止めているかというファクターも、「気になるウソ」と「気にならないウソ」の境界線の決定に大きく関わってくるのではないか。「お仕事もの」として見たホテルマン氏には高嶋政伸演じる主人公が「この世界におけるホテルマンの典型」として扱われているように見え、「ホテルを題材にした(泥臭い)ヒューマンドラマ」というジャンルを内面化し楽しんだ視聴者には、主人公が「主人公という特別な存在」として見えていた。
典型的と受け止めていた人物がイレギュラーな行動をすると「ウソ」と見えるが、特別な人間がイレギュラーな行動をしても「その人だから」というふうに納得できる。この主人公を「特別な存在」と認識させるときに、作品の「ジャンル」が大きな役割を果たす。仕事とそれぞれのジャンル性が深く結びついている刑事もの、医療もの、教員(学園)ものなどが「お仕事もの」にならないのは、そのジャンル性のもと、「特別な存在」を主人公にすることが多いからだろう。
これは逆にいうと、強いジャンル性をまとわない状態で、あまり知られていない業種を取り上げると、観客は自然と「主人公や描写をその業界の典型例として認識する」ということになる、ということでもある。これは、アニメ業界を舞台に殺人事件が起きる物語なら、主人公に業界人としてのリアリティはそこまで高く求められなくなる、というふうにも言えるだろう。
つまりその業界における「典型」「特別」をどう認識させるか、という手付きの部分に「お仕事もの」の「気になるウソ」と「気にならないウソ」の境界線を発生させる要素が潜んでいるのだ。これは「お仕事もの」でなくても原則的には変わらないはずだ。ただ、多くの物語は主人公や状況を「特別」に設定することが多いから、目立ちにくくなっているだけだろう。そして、現実と接点の多い「お仕事もの」になると、この「典型」「特別」の扱いが目立つことになる。
だいぶ前の作品になるがフリーライターを扱った漫画『みのり伝説』(尾瀬あきら/小学館『ビッグコミックオリジナル』連載)をめぐってさまざまな意見が(主に出版関係者から)出たことがあった。この作品は、弱小出版社を辞めてフリーライターになったみのりが主人公だが、彼女にはライターあるある的な「典型」の部分と、物語の主人公としての「特別」(取材相手の善意に助けられる等)が斑に存在しているのだ。だから「ライターのお仕事もの」として読もうとすると、その「特別」な部分が興を削ぎ、出版業界で働く人々を「もやもや」とした気分にさせたのだった。
『ハケンアニメ!』の斎藤監督も王子監督も「特別」な人として描かれている。「典型的」な部分は少なめだ。「典型的なアニメ監督像」からするとふたりは、むしろイメージとして世間が思うクリエイター、たとえば「漫画家/作家」に近く表現されている。だからこそ『ハケンアニメ!』は間口の広いエンタテインメントになっている。
フィクションの説得力が宿るところ
アニメ監督にはふたつの要素がある。ひとつは「集団制作のリーダー」という側面であり、もうひとつは「その作品で何を描くのか」を提示する側面だ。特にオリジナル企画であれば、監督は「何を描くのか」をまず提示する必要がある。そのゼロからイチを生み出す瞬間は、広い意味で漫画家/作家に近いところはあるだろう。
だがアニメは集団で制作を行う。監督が出した「イチ」を大勢のクリエイティビティを結集させることで大きく育てていくのだ。この時、重要なのは「監督の思った通りに作る」ことだけが正解ではない。もちろん監督のイメージは前提だが、それをスタッフがどう受け止め、解釈したかというキャッチボールの中で作品は出来上がっていくのだ。
だからスタッフのクリエイティビティをジャッジすることこそ監督の重要な仕事になる。これは作品に合っているからOK、狙いから外れているからNGというのは、まだわかりやすいほうで、「予想外のものが上がってきたけれど、これによって作品が膨らむからOK」とか「「OKかNGかといえばNGだが、スタッフのやる気を削いでまでリテイクにするほどにNGなのか」など監督は複雑なジャッジを重ねて、まだ見ぬ作品を一歩一歩形にしていくのである。
『ハケンアニメ!』では、クライマックスで大会議室にスタッフが集合し、斎藤監督の最終回案をなんとか実現しようとするシーンが出てくる。ここは各スタッフのクリエイティビティが作品を形作っている様子が、ケレン味たっぷりに視覚化されていて、一堂に会するという大嘘はあるものの、実は一番「典型的なアニメ監督/スタッフの仕事」に接近した描写になっていた。「虚実皮膜の間」というが、たぶんフィクションの説得力は、「気になるウソ」と「気にならないウソ」の間にも宿っているのだと思う。
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