忘却の彼方から過去は牙をむいて
〈私たちは自分の人生を頻繁に語る。語るたび、あそこを手直しし、ここを飾り、そこをこっそり端折る。人生が長引くにつれ、私が語る「人生」に難癖をつける人は周囲に減り、「人生」が実は人生でなく、単に人生についての私の物語に過ぎないことが忘れられていく。それは他人にも語るが、主として自分自身に語る物語だ。〉
とあるのは、現代イギリス文学を代表する作家のひとり、ジュリアン・バーンズの『終わりの感覚』(新潮社)です。
前段でわたしは「過去に関して、すねに傷を持たない人なんていない」と述べました。でも、その「傷」が、自らの評判や評価を落としかねないようなものであった場合、わたしたちは無意識に、あるいは意図的にその「傷」を忘れようとします。多くの場合、忘れてしまいます。いや、なんなら「傷」という意識すら持たないまま忘却の彼方に置き去ってしまうんです。
わたしたちは、自分に都合のよい物語を自分の人生に用意してしまう。でも、時に、忘却の彼方から過去は牙をむいて、わたしたちに襲いかかってきます。過去に復讐されるのは、小山田氏や小林氏のような著名人だけではない。わたしたちだって、いつ復讐されるかわからない。ジュリアン・バーンズの『終わりの感覚』はそのことを突きつけて、読後心胆寒からしめる物語になっているんです。
この小説は二部構成と、ごくシンプルな作りになっています。一部は、まずまず悠々自適な引退生活を送っている年老いた男による若き日々の回想の記。アントニーこと〈私〉が高校生の頃に親しくなり、ケンブリッジ大学在学中に自殺してしまった友人エイドリアンと、初めての交際相手だったのですが、のちに自分と別れてエイドリアンとつきあうに至ったベロニカにまつわる思い出が綴られています。
変わって、二部の舞台は現代。見知らぬ弁護士による、「故ミセス・セーラ・フォード(ベロニカの母親)が死に際して、エイドリアンの日記と500ポンドをあなたに遺した」という手紙が届く場面から物語は動きはじめます。なぜ、彼女がエイドリアンの日記を持っていたのか。過去一度しか会ったことのない自分に、なぜ日記を譲りたいのか。当然〈私〉は日記の引き渡しを要求するのですが、ベロニカはそれを頑固に拒絶。なぜなのか。〈あなたはほんとにわかってない。昔もそうだったし、これからもきっとそう〉。再会したベロニカが繰り返すこの言葉は何を意味するのか。
記憶を捏造する生きもの
忘れてしまっていた酷い仕打ち、エイドリアンの自殺の本当の理由、ベロニカの苦悩の半生。物語の終盤で過去が真実という牙をむき、〈私〉の魂を食いちぎりにかかってきます。すべての謎が解けるラスト、ショックを受けるのは〈私〉だけではありません。本当のことを知っておののき、その哀しい顛末に心震わせるのは〈私〉だけではありません。時間のなかに生き、時間に翻弄され、時間に騙される、それが生きるということで、人間は自分に都合のいいように記憶を捏造する生きものだということ。その苦い苦い苦い真実に、リアルに迫るこの物語に最後までつきあうと、年をとっていればいるほど〈私〉の痛い体験が他人事ではなくなるんです。
大袈裟でもなんでもなく、わたしはこの物語を読み終えた時、しばし呆然となり、その後、自分の過去を思って背筋が寒くなりました。あまりに怖いから、過去を思い返すのを即座にやめました。「人の振り見て我が振り直せ」とはよく言いますが、この小説を読むと「過去の振り見て今振り直せ」と肝に銘じたくなります。今この時もすぐに「過去」になる。だから、これから先の人生で復讐されることのない「今」を生きなくてはならない。そんなことを深く深く深く考えさせられる、これは素晴らしい小説なのです。
オマケの作品情報
付け足しで、ジュリアン・バーンズ(1946年生まれ)が未知の作家だという方や、もうちょっと若々しい内容の作品も読んでみたいという方にオマケの情報も。
退職した老医師がフロベールに関する著作の執筆を計画しているという物語枠を用いて、小説と評論を合体させてしまった『フロベールの鸚鵡』(白水uブックス)。ノアの箱舟に乗り込んだ意外な密航者による、漂流生活のリポートと独裁者然としたノアの欠点のあげつらいを描いた第一章をはじめ、物語としての歴史の洗い直しのごときエピソードがとてつもなく愉しい『10 1/2章で書かれた世界の歴史』(白水uブックス)。ブリテン島の下腹に張りつくように位置する小さな島に「イングランド」の大規模テーマパークを建設し、偽物が本物以上に本物化していくさまを描いてアイロニカルな『イングランド・イングランド』(創元ライブラリ)。
この3作もオススメです。
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