1980年代半ばには終わりを迎えた「アニメブーム」
どうして「時代」のことを考えてしまったかといえば、展覧会の導入部分にあるグラフが展示されていたからだ。このグラフは、『アニメージュ』1998年1月号の連載「データ原口のアニメのはらわた」第17回に掲載された「TVアニメ放送本数の真実」というものだ。このテレビアニメの放送本数の変遷を記した折れ線グラフを見ると、この展覧会が扱う1978年から1986年までの8年間の大半が「アニメブーム」と呼ばれる時期と重なっていることがわかる。そしてこのブームは1980年代半ばには終わりを迎えているのである。
この展覧会では「アニメブーム」から「スタジオジブリの誕生」へとつないでいるため、冒頭のグラフでも示されている「アニメブームの終わり」に言及されることはない。もちろんこの展覧会は「アニメブーム」の展覧会ではないから、終わりに言及されないことにはなんの問題もない。だが、当然ながら「不在の存在」というものは、とても気にかかるものなのだ。
そもそも何をもって「アニメブーム」と呼ぶのか。製作委員会方式が普及し深夜アニメが始まる1990年代末までは、テレビアニメの放送本数が「ブーム」を判定する目安となる。いくつかの作品のヒットが、単独ヒットの枠を超え、アニメファン全体を増やし、それによってテレビ局やスポンサー(そして出版メディア)が、「アニメに商機あり」と力を注ぐようになる。そしてさらにアニメ・シーンが盛り上がる。テレビアニメの制作本数の増加は、このような正のフィードバックが発生していることのバロメーターとして考えることができるからだ。
ブームの起爆剤となったのは1977年に劇場公開された『宇宙戦艦ヤマト』だ。1974年のテレビアニメを再編集した同作は、ティーンエイジャーのファンに支えられ大ヒットを記録し、封切り前に映画館前に徹夜で行列するファンの様子と共に一種の社会現象として、マスメディアで取り上げられた。そしてこれは個別に活動していたファン同士が、より広い範囲で同好の士が存在することを実感することにもつながった。そもそも、同作の宣伝の過程で「漫画映画」「テレビまんが」といった従来の言葉を排し、意図的に“アニメ”と謳ったという指摘もあり、(以前から使われていたものの)現在の意味合いに近いかたちで「アニメ」という単語が定着したのがこの時期であった。
こうして「アニメファン」の存在が可視化されたことで、出版業界はさまざまなアニメの出版物を企画するようになり、『アニメージュ』が誕生するのもこうしたムーブメントの中で起きたことだった。1978年は夏に『ヤマト』の続編映画『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』も控えており、『アニメージュ』の創刊号の表紙が『ヤマト』であるのはごく自然なことであった。
「ロリコントランプ」を忘れるわけにはいかない
そして1979年には『ヤマト』が可視化したティーンエイジャーのファンを想定して企画された『機動戦士ガンダム』が放送開始となる。ちなみに1970年代後半はティーンエイジャーのファンの発見と併せて、人口の多い団塊ジュニア(1971年から1974年に生まれた世代)も存在しており、この幅広さがアニメの制作本数を増加させていくことになった。
たとえば『アニメージュ』編集部による『TVアニメ25年史』(徳間書店*絶版)は1979年の項に以下のように記す。
飛躍的に作品本数が増えた、この年から数年間が、まさしくTVアニメの黄金期となる。動物物、ロボット物、ギャグ物、メルヘン物、魔女っ子物、スポ根物、ホームコメディ物、宇宙物と、ありとあらゆるジャンルのオンパレードであった。
『TVアニメ25年史』(徳間書店)
以降、1984年までテレビアニメの放送本数は(ほぼ)右肩上がりで増えていき、1984年には78タイトルにまで増加する。1976年の37タイトルと比べて倍増である(数字は『アニメ産業レポート2020』より)。そしてその内容も、『ヤマト』『ガンダム』のヒットを受けてティーンエイジャーを意識したものが増えていく。それはさらに「アニメブーム」を盛り上げていくのだった。
この1980年代前半の盛り上がりというと、『アニメージュ』1982年4月号の付録についた「ロリコントランプ」を忘れるわけにはいかない。これはさまざまなアニメの美少女キャラクターを集成したトランプで、なぜ“ロリコン”と銘打たれたかを雑駁にまとめるなら、当時は今なら「美少女に萌えること」を“ロリコン”という言い回しで表現していたからなのだ。その点で、この「ロリコントランプ」は、当時のファンのノリを反映した——それはつまり編集部とファンの間のある種の共犯関係を感じさせる——付録だった。この「ロリコントランプ」も、展覧会ではガラスケースの中に展示されており、当時を知る往年のファンの人たちが大いに反応していた。
なお1982年は多くの女性ファンを『六神合体ゴッドマーズ』が魅了していた年でもある。そのため『ゴッドマーズ』が4回表紙を飾り、そのうち3回が男性キャラクターが取り扱われている。アニメブームとは、二次元のキャラクターを実在のアイドルのように愛好するという楽しみが一気に広まった時期でもあるのだった。
こうしてテレビアニメの中に、ティーンエイジャーを意識した作品が増えていく。1983年には43タイトルが新たに放送されているが、ざっと3分の1程度が、ティーンエイジャーのアニメファンを意識した作品になっている。
ロボットアニメの本数を調べてみる
しかし、このような流れは1984年に大きく変わる。ここからが今回の展覧会では触れられていない、「ジブリ誕生」とはまた別の“結末”である。
というのも1984年7月の時点で、テレビアニメの放送本数が3分の2ほどに減るという現象が起きたのだ。『アニメージュ』1984年9月号は、これを受けて「テレビアニメの“激減“部分をさぐる!」という記事を載せている。
記事はジャンルごとにその減少数を調べ、ラブコメ学園ものが10本から3本、ロボットアニメが12本から6本と共に大きく減っていることを指摘する。
この記事ではロボットアニメの不振の原因を玩具関係者の談話として次のように紹介している。
「要するにどのメーカーも『ガンダム』のあと、2匹目、3匹目のドジョウをねらっていたわけである。そこへ『マクロス』がでた。『そうか、やっぱりまだ売れるんだ』とばかりに、続々と新製品=新番組を投入したのが、去年(引用社注・1983年)のロボットものの乱立を呼んだわけですね」
「結局、こうして生まれた12本がのきなみ不調だったということですね」
ここでいう不調とは視聴率ではなく商品のセールスの不調である。記事では、セールスの不調の象徴として1984年5月のタカトクトイス(『超時空要塞マクロス』『超時空世紀オーガス』のスポンサー)の倒産を挙げている。
実際にロボットアニメの本数を調べてみると、
■1983年秋番組 10タイトル
銀河疾風サスライガー/光速電神アルベガス/サイコアーマー ゴーバリアン/亜空大作戦スラングル/装甲騎兵ボトムズ/銀河漂流バイファム/聖戦士ダンバイン/機甲創世記モスピーダ/超時空世紀オーガス/プラレス3四郎
■1984年秋番組 6タイトル
特装機兵ドルバック/超力ロボ ガラット/機甲界ガリアン/重戦機エルガイム/星銃士ビスマルク/ビデオ戦士レザリオン
さらに6タイトルのうち、2タイトル(『重戦機エルガイム』『星銃士ビスマルク』)を除くと、後番組はロボットアニメではなくなっている。
一方、ラブコメの減少について同記事は「視聴率がとれなかったこと」が原因としている。こちらも見てみると、
■1983年秋 6タイトル
Theかぼちゃワイン/愛してナイト/うる星やつら/伊賀野カバ丸/みゆき/ななこSOS/さすがの猿飛
■1984年秋 1タイトル
うる星やつら
終了した番組の後番組を見てみると、『Theかぼちゃワイン』の後番組が特別番組枠、『伊賀野カバ丸』の後番組が『ミッキーマウスとドナルドダック』、『みゆき』の後番組がバラエティで、編成局が「ティーンエイジャー」ではなく、ファミリーやキッズにターゲットを変えたことが伝わってくる。
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