「女だから味わわされた屈辱や怒りや恐怖」を思い出させてくれる藤野可織と『消失の惑星』

2021.3.6

「犯人は誰なのか」な話ではない

物語は、8月、カムチャツカ半島の海岸で遊んでいた11歳のアリョーナと8歳のソフィアが、黒いサーフに乗った男に騙されて連れ去られてしまうというシークエンスから始まります。でも、この大きな出来事は以降、物語の後景に退くんです。「犯人は誰なのか」「動機はなんなのか」といった謎にぐいぐい迫っていくミステリーのようには、物語は展開していきません。

父親のいない家で、母親が子供をほったらかしにしているからあんな事件が起きるのだと考え、白人ではない先住民やよそ者に冷ややかな気持ちしか抱けないワレンチナ。そんな彼女から娘との付き合いを禁じられてしまう、母子家庭に育つ13歳のオーリャの気持ちに寄り添った「九月」。

見た目はいいけれど、キャンプにテントを持ってくるのを忘れるような杜撰な性格のマックス。火山研究所で働いている同僚のオクサナからは「あんなダメ男と」と呆れられるけど、自分の年齢を考えると交際がやめられない30代のカーチャの葛藤を描く「十月」。

「九月」に登場し、徐々に大きくなる胸の水疱を深刻な病状と宣告されるワレンチナが、警察署の事務員として姉妹誘拐事件の犯人像にも差別的な意見を持っていることがわかる「十一月」。

7歳年上の白人の恋人ルースランによる過剰で過保護な干渉によって、自分の優秀さを見失いがちな先住民の大学生クシューシャ。同じ大学に入学した17歳の従妹に誘われて舞踏団に入り、そこで出身地のちがう先住民の男性チャンダーと友達に。やがて、粗野なルースランとは正反対の思慮深く知的なチャンダーに想いを告白され、ふたつの愛の間で切り裂かれることになるまでを描く「十二月」。

大晦日の夜、年越しのパーティに参加しているラダ。そこへ、名門大学に進学し、今はサンクトペテルブルクで外資系の仕事に就いているという、何年も音信不通だったかつての親友マーシャが帰郷のついでに顔を出す。白人に差別され、旧弊な価値観のまま変わろうとしない先住民の町から抜け出したマーシャと、そこに留まりつづけたラダ。同性愛であることを隠そうともしないマーシャの身を案じることしかできないラダの内面に分け入る「十二月三十一日」。

愛犬が行方不明になって初めて

夫が仕事で留守がちな家で、海洋研究所で働きながらふたりの子供を育てているナターシャ。そこへ年末年始を共に過ごすため、北の町エッソから、先住民のための文化センターを運営している母親のアーラと、常軌を逸した情熱をUFOに傾けている弟のデニスが来て滞在している。ナターシャはどんな話題にもUFOを絡める弟が我慢ならず、母親との関係も良好とはいえない。彼らの関係に、3年前に書き置きもなく家を出ていってしまった次女リリヤの影が落ちていることがわかる「一月」。

17歳の時に出会い、運命の恋に落ちて結婚した相手と事故で死別し、その7年後に再婚した優しくて頼りがいのある夫をまたも事故で失った55歳のレヴミーラ。愛の喪失と、それでも生きていかなくてはならない無常を短い物語の中に描き切って見事な「二月」。

甲斐性なしのチェガ(「十二月」の主人公クシューシャの兄)との同居を解消して、幼い娘と実家に戻ったナージャ。どんな人間にもなれる未来が待っている娘への思いの中に、もう自分の人生のやり直しがきかないという諦観を織り込んだ「三月」。

警察官の夫を持ち、生まれたばかりの赤ん坊の世話をするためにキャリアを中断せざるを得なくなっているゾーヤが、どこかよその場所からやってきた移民の作業員への憧れと性的妄想を育てるさまを描く「四月」。

「十月」に出てきたマックスの不注意によっていなくなってしまった愛犬を必死で探す、姉妹誘拐事件の唯一の目撃者オクサナ。愛犬とはちがって、マックスや元夫をはじめとする自分がこれまで関わってきた男たちがいかにあてにならず身勝手だったかという憤りと、愛犬が行方不明になって初めて姉妹の母親の気持ちが理解できたというエゴが痛ましい「五月」。

いなくなってしまったふたりの娘の行方を諦めることなく追い求める母親マリーナ。友人夫妻に誘われて参加した文化的少数民族の伝統的祭典で出会ったアーラ(「一月」に登場)から「あなたの娘は白人だから捜索されるけれど、わたしの娘リリヤは先住民だから警察は相手にもしてくれない。コネがあるなら紹介してほしい」と頼まれ困惑する。祭典の場でも誘拐された姉妹の母親として記者から取材を受けるなどして憔悴するマリーナの前に現れたのがチェガ。彼がもたらした「エッソにはトヨタの黒いサーフに乗る変わり者がいる」という情報によって、行き詰まっていた誘拐事件の捜査が大きく動き出す「六月」。

女性の「屈辱と怒りと恐怖」

事件が起きた8月から翌年の6月までの約1年をかけて作者が描いていくのは、なんらかのかたちで誘拐事件に関係していたり、関係はなくても心の片隅に事件が引き起こした感情が巣くっていることに意識的である女性たちのプロフィールです。

「わきまえた女性」という言葉にも違和感が表明でき、「#Me Too」運動も盛んな現代ニッポンとは違って男尊女卑の考えが根深いばかりか、白人と先住民と移民のパワーバランスが歪なカムチャツカ半島に生きる、年齢も出自もさまざまな女性の「屈辱と怒りと恐怖」「かなえられなかった、もしくは奪われてしまった夢や希望」が静かな筆致で浮かび上がってくる1年の物語。近くて遠い半島を舞台にしながらも、彼女たちの姿はわたしたちのそれと重なります。

でも、描かれているのはそうした女性が抱える問題だけではありません。ソ連時代を懐かしむ世代と若い世代の断絶、カムチャツカ半島の美しくも厳しい自然環境、先住民族の豊かな文化、その描写もまたこの小説の美点なのです。

いったんは後景に退いた姉妹誘拐事件が最終章「7月」でどう描かれるかも楽しみに、読み進めていってください。

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