ヘビースモーカーで酒飲みという時代と逆行するキャラクターと“街ディス”を武器に、ブレイク中の納言・薄幸(すすきみゆき)。
ハロプロのキッズオーディションに落ち、子役として活動していたが、なかなか芽の出なかった薄幸がお笑いの道を選んだきっかけは、さまぁ~ずだった。そんな“憧れの人物”と先日初めて仕事ができたという薄が、挫折つづきだったブレイクまでの道のりを振り返る。
目次
モー娘。になりたかった少女時代
“憧れの人物”という存在は、誰しもが歳を重ねるごとに変わっていくものだと思う。
私も例外ではなく、鼻水を垂らしながらうれしそうに雪を食っていた幼稚園児のころの憧れの存在は、ピカチュウだった。高熱が出て頬が赤くなった自分の顔を鏡で見たときは、やっとピカチュウになれるんだ。へー。ピカチュウって頬からなっていくもんなんだ。と、薄れゆく意識のなか、期待に胸をふくらませたことを今でもよく覚えている。
そんな期待も虚しく、頬の赤さも翌々日には消えた。いつになってもピカチュウらしき耳や尻尾は生えてこず、どれだけ力を入れても、自分から電光石火が放出されることはなかった。ピカチュウにはなれないことを悟ったのだった。
小学生のころの憧れの人物は、架空のキャラクターから実在する人間へと変化していった。モーニング娘。の辻ちゃん(辻希美)加護ちゃん(加護亜依)だ。これはもう、当時の小学生女子は全員憧れていたんじゃないかというくらい、圧倒的な人気だった。
クラス内で辻ちゃん派と加護ちゃん派で別れ、論争することまであった。そんななか、私はなぜか中立の立場で「まあまあ、どっちにも違う魅力があるわけだし、こんなことでケンカしたら、一番悲しむのは辻ちゃん加護ちゃん本人たちだと思うよ?」これのめちゃくちゃに語彙力が低いバージョンのような発言をして、クラスを変な空気にしていた。
人生初めてのオーディション
そんなモー娘。大ブームのなか、小学校中学年のころだっただろうか。モー娘。の妹的グループ「ハロー!プロジェクト・キッズ」のメンバーオーディションが開催されることとなった。もう、それはそれは学校中大騒ぎ。
クラスの半分以上の女子がオーディションに参加した。第一審査は書類選考。これは私も含めクラスの女子の参加者全員が通過していたから、おそらくだけど、おじいさんとかではない限りほぼほぼ通していたんじゃないかと思う。勝負はここからだ。
第二審査は、実技審査。質疑応答のほかに、歌の審査もあった。この人生がかかった大切な1曲に私が選んだのは、「故郷(ふるさと)」だった。モー娘。の「ふるさと」ではない「故郷」。童謡のほう。「うさぎ追いし〜」のほうだ。オーディションで「モー娘。大好きです。一生懸命ふるさとを歌います」と言って「故郷」を歌ったら“なんだコイツ。変わっている。天才だ、合格にしよう”となるという、確たる自信があったのだ。
結果は、ものすごく不合格だった。歌のあとに質疑応答があると聞いていたのだが、それも省かれるくらい、ものすごく不合格だった。そもそもの話、選曲どうこうの前に私はめちゃくちゃに音痴なのだ。
「どれだけ努力してもうまくならない」と言われた子役時代
オーディションに参加するくらいだからもともと憧れはあったが、これを機に芸能界に入りたいという気持ちが、さらに強くなっていった。アイドルは駄目だし、ピカチュウなんて話にならない。どうしようか? そうだ、女優になろう。
そう思った私は、すぐに子役の事務所のオーディションを受けた。このときは明確な人物こそいなかったものの、女優さん全般が憧れの対象となっていた。その事務所は所属者何百人もいるようなマンモス事務所だったので、すんなりと合格して所属することができた。

それから6年ほど役者をしてはいたが、CMや再現VTRのちょい役くらいしか仕事が来ない毎日。そんななか、呼び出しをくらい当時の事務所に向かうと、マネージャーが首落ちるくらい頭を抱えていた。そして申し訳なさそうに、私にこう言う。「世の中には100人にひとりどれだけ努力しても演技がうまくならない赤ちゃんが産まれてしまうの。それが、あなたです」。
私だった。天性の演技不向きの赤ちゃんが、私だった。そんなん、もう絶対無理じゃーん。そう思い、その日すぐ事務所を辞めた私は、帰宅後とりあえず家でゆっくりとテレビなんかでも観るか、とテレビをつけた。不思議とそこまで落ち込んではいなかった。
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