「現実」の風圧に立ち向かう、新型コロナ時代の演芸

2021.1.14

神田伯山の活躍

松之丞時代にもじゅうぶんに活躍をしていたけど、2020年2月に大名跡の「伯山」を襲名して真打昇進。新宿、浅草、池袋の寄席をコロナ禍のなかで披露目をして(この時点では入場者の制限やマスク着用の要請などはなかった。約1年前のことなのだが、時代の証言として書いておく)、同年3月の国立演芸場公演は中止に。ギリギリのタイミングで寄席三軒での披露ができた「引き」の強さも彼らしい。運のよさってのは実力だからね。

私は末廣亭の1日だけ行けたのですが(午前中に整理券をもらいに行ったりと大騒ぎ)、その日の演目が「グレーゾーン」。披露目中唯一の新作講談で、内容は架空の落語家がテレビに魂を売り渡して「売れる」道を選ぶというバックステージもの。おもしろかった。

伯山一党の動きのよさは、コロナ騒動になる直前にYouTubeチャンネルを立ち上げていたこと。そこで披露目の様子を連日アップした。それを観た人たちが寄席に押しかける、といい循環を生む。特筆したいのは正月に池袋あうるすぽっとで口演した「畔倉重四郎」全段(19席)を無料公開したこと。平凡な男が悪人になり、やがて破滅するまでを描いた世話物で、伯山の根底にあるダイナモによく合致している。

彼はほかの芸をよく観ていて、重四郎でも、悪事が露見し処刑される間際に、主人公が平々凡々とした「善人」たちを嘲笑して終わるのは、芝居の「不知火検校」(宇野信夫)を取り込んだものでしょう。

芸人ってのは客席にいたときの感覚を忘れてしまう人が多いのだけど、彼は客席での貯金が多いところがいい。

『1冊まるごと、松之丞改め 六代目 神田伯山 』(Pen BOOKS /CCCメディアハウス)

寄席の逆襲

これは前のトピックとも関連します。

2021年が立川談志没後10年ということで、いろいろ思い出したことが多いのだけど、立川流創立後の彼は「寄席でちゃんとした芸はできない」ということをたびたび主張していた。「持ち時間」としても、寄席へ来る観客層的にもそれは難しいと。だから落語家は本意気の芸をぶつける場として独演会をベースにすべきだと言い、実際、談志の主戦場は国立演芸場の「ひとり会」でした。今、振り返ってみると、これはそう言わざるを得なかった成り行き(寄席から去った)でもあったと私は考えます。

今は、春風亭一之輔に代表されるように、売れっ子になっても寄席も独演会も共に大事にする芸人が増え、また観客のほうも意志的なチョイスをした上で聴きに来るので、寄席でもちゃんとした芸を鑑賞することが可能になっています。

東洋館に出つづけるナイツなんかも同じです。ついでに言えば、古今亭志ん朝なんかは、40代のころ寄席なんかほとんど出ていない。当時は売れっ子は寄席に付き合わなかった。寄席はマスじゃないから意味が低いと見なされていた。

今は違う。出演者の意識、観客のレベルが上がったということと、インターネットによって、観客から見れば芸人が「今日何をやったか」と、実演家から見れば「観客の反応」が可視化されるようになったことが、地味だけど大きいと思います。

こうした要素が重なり合って「寄席はおもしろい」場になった。

寄席の復権と談志没後十年がクロスすることは偶然ではないでしょう。

それから、これは新宿末廣亭に顕著だけど、圓楽一門や上方の落語家が落語芸術協会の定席に普通に出るようになった。三遊亭萬橘みたいな人が寄席に出るのは大きくて、観客、寄席、演者の皆に利がある。

芸協は秋の昔昔亭A太郎、桂伸衛門、瀧川鯉八の真打披露もきっちり盛り上げたし、講談の神田阿久鯉、活動弁士の坂本頼光、指揮者ものまねの好田タクトなどの才能をピックアップして寄席に出している。このあたりの戦略が見事です。

『いちのすけのまくら』(春風亭一之輔/朝日新聞出版)

さらに磨きのかかる芸、新しく躍動する芸

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