ゲーム好きならわかる「ファーストチェス理論」の嘘。「自分の直感を信じなさい」とか言うヤツらに気をつけろ

2020.11.1
ファーストチェス理論

文=米光一成 編集=アライユキコ


チェスにおいて“5秒で考えた手”も“30分かけて考えた手”も変わらないという「ファーストチェス理論」が、ライフハックとしてネット記事によく出てくる。「ゲーム好きに言わせると、それは理屈が通らない」と、ゲーム作家・米光一成は怒っている。

孫正義の意思決定も「ファーストチェス理論」?

「5秒で決めようが30分で決めようが、チェスって結果はだいたい一緒なんだって。だから悩んでるヒマがあったら自分を信じて行動するのみ、Do it!」
「ファーストチェス理論」についての記事があった。
有名な理論なのだろう。「ファーストチェス理論」を検索するとたくさんの記事が出てくる。

「ファーストチェス理論とは、チェスにおいて“5秒で考えた手”と“30分かけて考えた手”の86%が同じ手だったという研究結果から導き出された理論だ」
などと、そういうサイトには書いてある。

さらに、こうつづくことが多い。

「孫正義は『どんなことでも10秒考えればわかる。10秒考えてもわからない問題はそれ以上考えても無駄だ』と言っている。孫正義の意思決定はファーストチェス理論に基づいているのだ」

ビジネス系の大きなサイトにも、この理論は出てくる。「話し合って決めると失敗するから、リーダーが即決せよ」などと結論を導き出したりしている。
ライフハック的なサイトにも登場し、「悩んでいるヒマがあったら、直感に従って行動したほうがいい」と背中を押す。
「自分の直感を信じることが大切なのだ」と勇気づけるサイトもある。
女性向けサイトでは「ひと目惚れは正しいファーストチェス恋愛テク」などと言い出す始末だ。

デタラメである。

ゆっくり考えれば「ファーストチェス理論」から「直感を信じろ」なんていう結論は導かれない。
そもそも、途中で「名人が」という前提が抜け落ちる。
チェスの名人は、膨大な回数チェスのコマを動かしている。何度も何度もトライアンドエラーを繰り返し、配置をチャンク化して記憶し、定跡を身につけている。
そういう状態だから「5秒も考えればわかる」のだ。
厳密なルールの中、限定された展開を繰り返すゲームで高度に習熟した結果、即決できるようになったのだ。「高度な学習」に基づいている。

羽生善治も『直感力』の中でこう書いている。

直感は、本当に何もないところから湧き出てくるわけではない。考えて考えて、あれこれ模索した経験を前提として蓄積させておかなねばならない。

『直感力』羽生善治/PHP研究所
『直感力』羽生善治/PHP研究所
『直感力』羽生善治/PHP研究所

直感を信仰することの危険性

もうひとつの罠は86%の中に潜んでいる。
「“5秒で考えた手”と“30分かけて考えた手”の86%が同じ手」であるということは14%は違うということである。
チェスをやっている人はすぐわかると思うが、この14%が大きい。ここで勝負が決まると言っていいだろう。
チェスは、将棋などより早く勝負がつく。1ゲーム、平均して30手~40手と言われる。
そのうちの、確かに86%ぐらいは「指し手がぱっとわかる」かもしれない。序盤、定跡が適応できるとき、相手の手に応じるとき、局面が限定的なときなどなど。だが、そういった「指し手がぱっとわかる」状況は、勝負どころではない。

当然だが、即決してよい局面で試合の勝敗は決しない。残り14%の打つ手によって勝敗は決するのだ。
だから、「しっかり考えてもたった14%しか違わないんだから、しっかり考えなくてもいい」なんてことにはならない。
もし「ファーストチェス理論」が正しいとしても、「即決できる場面では即決して、そうじゃない場面ではちゃんと考えよう」という常識的な考え方が導かれるだけだ。
いや、名人の勝負を見ると、即決していいと思わせる局面を作り上げて相手を間違った即決に導くという勝負が多々ある。
そう考えると、ファーストチェス理論から導かれる教訓は、「即決してはいけない14%がいかに大切か」もしくは「直感を信仰することの危険性」である。

日常生活の中での決断のシーンを考えてみるといい。朝起きて、顔を洗って、歯を磨いて、そういう場面で、我々はもう即決している。歯を磨こうかな磨くのよそうかななどとは思い悩まない。
日々の86%以上を、即決に次ぐ即決で過ごしている。
人生の分岐点になる場面など、日々の生活の中の14%もないだろう。

ヤツらは、考えずに即決してほしいのだ

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