刑事ドラマの歴史と『MIU404』の普遍性
では、刑事ドラマとして先祖返りしているとはどういうことか。『MIU404』は現代の社会問題を真正面から取り扱っているが、もともと刑事ドラマはそのような性格が強いジャンルだったのだ。
刑事ドラマの嚆矢(こうし)である大ヒットドラマ『七人の刑事』(TBS/1961年)は、刑事の活躍を描くドラマというより、犯人の動機や犯罪発生のプロセス、その背景となった社会の歪みを克明に描いた作品だった。高度経済成長期の急激な変化から取り残される社会的な弱者や孤立する人々が犯罪に走るエピソードも多かった(太田省一「『刑事ドラマ』歴代の名作が映し出す社会の変化」東洋経済オンライン)。
16年にもわたるロングヒットとなった『特別捜査機動隊』(NET/1961年)は『MIU404』と同じく「機動捜査隊」を舞台にしたドラマ。実際に起こった事件をもとに、事件発生から解決までのプロセスをきめ細かく描いた点が人気となった。このころの刑事ドラマの主人公は、刑事ではなく犯人だったと言えるだろう。なお、警視庁の「初動捜査班」がモデルだったが、当時の警視総監がこのドラマのファンだったことから「機動捜査隊」と改称されたエピソードがある。
「青春ドラマ」というコンセプトを持ち、刑事が主人公になった『太陽にほえろ!』(日本テレビ/1972年)でも、初期のころには萩原健一が演じた主人公の若手刑事・マカロニが、社会の歪みゆえ犯罪に走らざるを得なくなった社会的弱者である犯人に自分自身を投影する姿が何度となく描かれた。
印象深かったのは、先ごろ逝去した渡哲也主演の『大都会 PARTII』(日本テレビ/1977年)第5話「明日のジョー」だ。地方から上京した親思いでボクサー志望の青年(水谷豊)が、都会の貧しい生活の中でヤクザの世話になって犯罪に手を染めていくというエピソードだったが、石原裕次郎と松田優作に見守られながら刑事の渡哲也にボクシングスタイルで殴り倒された水谷豊が叫ぶのは、貧しさと空腹で苦しんでいるときにも手を差し伸べてくれなかった警察への怨嗟(えんさ)だった。一方、青年と同じように貧しい境遇で育った渡哲也は、都会でチンピラ同然の生活をしているときに医師の石原裕次郎と出会って諭されて刑事になった過去があった。
水谷豊が演じた青年とヤクザの関係は、『MIU404』における居場所を失った少年・成川岳(鈴鹿央士)と彼を悪の道へと誘う久住(菅田将暉)との関係と同じに見える。また、渡哲也演じる刑事と石原裕次郎の関係は、綾野剛演じる伊吹藍と彼が刑事になるきっかけとなった蒲郡(小日向文世)との関係と同じである。このようなことは、どこにでもあることであり、これまでの刑事ドラマで幾度となく描かれてきた。ふとした「スイッチ」によって、人生の道は大きく異なっていくものだ。
これまで刑事ドラマが描いてきた普遍性のあるテーマを、現代にアップデートしつつ描いているのが『MIU404』という作品なのだろう。最終回へと至る終章でどのような物語が紡がれるのか、楽しみでならない。
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