九龍ジョー AI美空ひばりに感じた違和感を“襲名”という仕組みから考える
話題の本を編集者として手がけつつ、ライターとしても音楽、演劇、映画、プロレスなど幅広いジャンルのポップカルチャーをフォローし、さらに近年は伝統芸能に関する連載を数多く抱えているカルチャー界の目利き、九龍ジョー。
今回の「クイックジャーナル~カルチャーからニュースを読む~」では、そんな彼が坪内祐三さんの訃報から、芸能における“襲名”という不思議な仕組み、さらにはAI美空ひばりまで多様な話題について縦横無尽に論じています。
ライター・九龍ジョー 第1回「AI美空ひばりよりも、2代目美空ひばりの炎上を望む」
「何も書けないよ」と言った坪内さんと飲んだ夜
立ち上がったばかりのこの『QJWeb』原稿を書いているところに、坪内祐三さんの訃報。突然すぎてまだ心の整理もつかないのだが、どうしても坪内さんと初めてお会いしたときのことを思い出してしまう。
2007年、あれも年明けすぐのことだった。『QJWeb』を統括する森山裕之さんが編集長だった時代の『QJ』本誌の取材。私が同誌に初めて関わった企画で、マッスルという実験的プロレス興行の特集である。マッスルの後楽園ホール大会を菊地成孔さん、吉田豪さん、ルノアール兄弟(左近洋一郎、上田優作)さん、そして坪内さんに観てもらいレビューを書いてもらうということになっていた(ルノアール兄弟はルポ漫画)。
だが、坪内さんは「これは何も書けないよ」と言い残して、観戦後すぐに後楽園を去ったのだ。
半ば想像がついたことでもあった。坪内さんの美意識にかなうプロレスではないことは薄々わかっていたからだ。だからこその依頼でもあった。
しばらくして、森山編集長から電話が入った。後楽園ホールを出た坪内さんと、水道橋駅そばの居酒屋で飲んでいるという。合流させてもらうと、坪内さんはマッスルにほとんど触れることはなく、国際プロレスの素晴らしさについて訥々と話した(たしか国際プロレスのDVDボックスがリリースされたばかりの時期だった)。かなり深夜まで飲んだと思う。坪内さんはずいぶん酔っ払っていた。たぶん私も。最後はみなでタクシーで帰った。
振り返れば、贅沢な時間だった。その後、坪内さんとは何度かお仕事をしたし、酒場でご一緒する機会もあったが、真っ先に思い出すのは、あの夜のことだ。
そして、このタイミングで森山編集長の『QJWeb』で時評を書くことに、勝手な巡り合わせを感じてもいる。
なぜ年末年始に歌舞伎役者密着番組が増えるのか
ここ数週間で歌舞伎役者の家に密着したテレビ番組をいくつか観た。年末12/20に『密着!中村屋ファミリー』(フジテレビ)、年明け1/4に『密着3000日!尾上菊之助 新たなる挑戦』(テレビ朝日)、1/6に『市川海老蔵に、ござりまする 2020』(日本テレビ)。なぜ、これらの番組は年末年始に集中するのだろうか。子供ができて、盆暮れ正月、通り一遍の行事をこなすようになり、わかったことがある。
勘九郎の息子・勘太郎、菊之助の息子・丑之助、海老蔵の息子・勸玄らがそれぞれ大役に挑む。厳しい稽古や父たちの叱咤激励のもと、幼い彼らが奮闘する姿に、かつての父たちがやはり同じくらいの歳で同じ役に挑んだ際の映像がインサートされる。
すると何とも言えない感慨に襲われるのだ。そこにあるのは、たんに親子のリフレインではない。いま子供たちを見守っている視線は、過去それぞれ父たちにもたしかに注がれていたのだ、という感触である。
とくに勘九郎の父・勘三郎、海老蔵の父・團十郎はすでにこの世を去っている。彼らの不在は、かつてそこにあった視線をかえって強く印象づける。いや、かつてだけではなく、その視線は今も息子と孫に注がれているように感じられる。
親の教えは厳しいが、子供たちはまだその視線には気づいていない。きっとそれは自分が見守る側になって初めて気づくものだろう。これはたんに家族や血縁だけの話に限らない。芸でも、仕事関係の上においてでも、充分にありうる。
親には親がいる。師匠には師匠がいる。そうした連綿とした流れのなかに私たちは存在している。なるほど、帰省した家族団らんを想定したオンエアもうなずけるのだ。