初めて金を借りたのは8歳の時だった(岡野陽一)

20062
2020.7.28

パチンコ?あんなんおもろいの?

こうして、8歳にして借金の味を覚えた岡ちゃんマンは、次の日からクラスメートから消しゴムと金を借りまくって小学校を退学させられる事になる。

みたいな痛快な話であって欲しかったが、現実はそうはいかない。
人生なんて基本陰湿なもんだ。

僕はここから高校卒業するまでの10年間、誰にも借金する事なくめちゃくちゃベタに育つ。僕は岡ちゃんマンから普通の岡野になったのだ。
それなりに思い出もあるし、そんなに大した思い出もない。

人並みに勉強して、人並みに遊んで、人並みに反抗期を迎え、人並みに悩み、人並みに恋をして、人並みにバイトして育った。
人並みー! と言われたら振り返れるくらい人並みだった自信がある。
もしかしたら、無意識にあの日の岡ちゃんマンに恐怖を感じて、岡ちゃんマンが出ないように暮らしていたのかもしれない。

高校を卒業して、京都の大学への進学が決まっていた僕は、卒業式から大学が始まるまでのあの空白の何にもしなくていい1カ月間、当時付き合っていた美奈ちゃんと毎日遊んでいた。

普通なら車の免許をとって、車でいろんなとこに行く時期なのだが、我々は両方何故か免許もとらずに毎日、自転車で地元を徘徊する毎日を送っていた。
そんなある日、チャリに乗りながら美奈ちゃんが言う。

「パチンコ行く?」
「えー、パチンコ?あんなんおもろいの? やり方もわからんし」
「ついて来な!」

そういうと美奈ちゃんはいきなり立ち漕ぎを始める。

「おい!やめろよ! 立ち漕ぎやめろって!」

当時、女子の立ち漕ぎは見てられないという差別発言をしていた僕への当て付けだ。

美奈ちゃんを追いかけると、そこはパチンコ屋だった。
美奈ちゃんは生粋のパチンコ家系で、幼少期に親にパチンコを叩き込まれたパチンコ英才女だったのだ。
お父さんの車がセルシオだった時点で気付くべきだった。
皆さん知ってるとは思うが、セルシオに乗っててパチンコをしない人はいない。
ギターケースを担いでるのに音楽やらない人と同じくらいいない。

セルシオはパチンコだし、パチンコはセルシオだ。

ずっと連チャンする美奈ちゃんの横で、僕は訳もわからず15000円失った。
今であれば、15000円負けはもはや勝ちだと胸を張って言えるが、当時時給650円でショートケーキにイチゴを載せるバイトをしていた僕にとっては信じられない出来事だったのだ。
僕は、目の前の止まったまま動かないサメとタコをひたすら睨み続けた。

ピキピキ、ピキピキ。

自分が割れる音がした。

当時はわからなかったが、今なら見える。
その裂け目から覗いていたのは、紛れもなく岡ちゃんマンだったのだ。
人生にターニングポイントがあるとしたら、間違いなくこの日だっただろう。
もしこの日がなければ、僕は間違いなくスタイリッシュ伏線回収コント師か、オーダーメイドピチピチスーツ漫才師をやっていたはずだ。

この日から僕と岡ちゃんマンのマウントの取り合いが始まるのだ。

結局、岡ちゃんマンに支配された僕は、憧れのキャンパスライフの代わりに、学生ローンとパチンコ屋を往復するキャッシングライフを送り、大学を4年間で0単位で辞める。
20年経った今も、岡ちゃんマンにマウントを取られて日々ボコボコにされているが、僕はまだ諦めていない。

ピキピキ。ピキピキ。

そろそろ何かが出てくる音がしている。
僕は知っている。
これを見てくれてる皆様の中にも必ず岡ちゃんマンは潜んでいる事を。

ピキピキ。ピキピキ。

皆様も音がしたら御用心を。


『アルバムって覚えてる?』プリンスの言葉がずっと頭の中に渦巻いていた――西寺郷太インタビュー(PR)

この記事の画像(全3枚)



岡野陽一

WHAT'S NEW新着

あなたにはこちらもおすすめ