咳のできない世界に住みたいですか(荻原魚雷)

2020.3.6

ゼロリスクを追求すれば、何もできなくなるというリスクが生じる

風邪は天下の回りもの――手洗い、うがいを心がけ、外出時にマスクをしていても、風邪をひくときはひく。新型コロナだってそうだ。好きで感染する人はいない。

まとめサイトを見ていたら、スポーツジムやライブハウスなどで新型コロナウイルスに感染した(感染を広めた)人たちを叩くコメントがたくさんあった。

通勤電車に乗るのは仕事だからやむをえないが、ライブハウスやスポーツジムに行くのは趣味なんだから、自粛しろというのはまっとうな意見だ。屋内の娯楽施設をすべて閉鎖すれば、多少は感染の拡大を遅らせることができる。

しかし感染した人に厳しい言動をとれば、当然、自分が感染したときにそれが跳ね返ってくる。

今もわたしは行きつけの喫茶店や飲み屋に通いつづけている。ほぼ毎日新刊書店に行くし、週末には古書会館に行く(これは半分仕事でもあるが)。あと旅行もした。こんな時期だからこそ、自分の好きな場所を支えたい、お金を落としたいわけだ。すでに自分が新型コロナウイルスに感染していたら、店や他のお客さんに迷惑をかけることになる。

用がないなら家にこもっているのが正しいと言われたら、その通りなのだと思う。

自分の行きつけの店が赤字つづきになって閉店してしまっても仕方がないと思えるかどうか。いっぽう自分が感染していたら、お気に入りの店を休業に追い込んでしまう可能性もある。うーん、どうしたものか。

濃厚接触を避けようとすれば、無菌室に閉じこもるしかない。ゼロリスクを追求すれば、何もできなくなるというリスクが生じる。

咳やくしゃみを抑えるのがマナーというなら、病人に対しては「お大事に」とか「早くよくなって」といった温かい言葉をかけるのもマナーである。

マスクをしていないと白い目で見られる咳やくしゃみに厳しい社会、臭いに厳しい社会、音に厳しい社会……。

そういう世の中を志向する人が増えれば、必ずそうなる。それが社会の法則である。

善良で有能できれい好きで健康でマナー違反をしない人だけが生きることを許される楽園はきっと快適に違いない。

わたしはそんな世界に住みたくない。



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荻原魚雷

(おぎはら・ぎょらい)1969年三重県鈴鹿市生まれ。1989年からライターとして書評やコラムを執筆。著書に『本と怠け者』(ちくま文庫)、『閑な読書人』(晶文社)、『古書古書話』(本の雑誌社)、編著に『吉行淳之介 ベスト・エッセイ』(ちくま文庫)、梅崎春生『怠惰の美徳』(中公文庫)などがある。毎日新聞..

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