自信だけで上京するも「全部なくなった」。どん底を経験したなすなかにしが“ロケの達人”になるまで

2023.7.31
なすなかにし

文=釣木文恵 撮影=山口こすも 編集=梅山織愛


ロケの達人・なすなかにし。いつ、どこに、誰と行っても必ず盛り上げる彼らのロケ技術は、朝の情報番組からゴールデンのバラエティまで、さまざまな場面で重宝されている。

そんな彼らは、何をきっかけに“ロケ”に居場所を感じたのだろうか。これまでの道のりを振り返りながら、「ロケの達人」と呼ばれるまでを聞いた。

なすなかにし
那須晃行(なす・あきゆき/1980年12月14日生まれ、大阪府出身)と中西茂樹(なかにし・しげき/1977年9月24日生まれ、大阪府出身)によるコンビ。2001年に結成、松竹芸能に所属。2008年に東京進出をして以降、東京を拠点に活動。現在はライブのほか、『なすなかにしのバズっちゃ!!―100万回再生への道―』(チューリップテレビ)、『ラヴィット!』(TBS)などテレビでも活躍している。

突然、「ロケの達人」と呼ばれ始めた

なすなかにし
なすなかにし(左・中西茂樹、右・那須晃行)

──おふたりといえば「ロケの達人」というイメージが強いですが、ご自身ではいつごろから、ロケに対して特別な意識を持っていましたか?

中西茂樹(以下、中西) 今の流れの最初は、『ウチのガヤがすみません!』(日本テレビ)という番組ですかね。コンビでロケに行く機会をいただきまして。その放送を観た『笑神様は突然に…』(日本テレビ)のスタッフさんが深夜番組『笑神様は真夜中に…』に呼んでくださって、「ロケのスペシャリスト」という感じで紹介してくれたあたりから、自分たちでも意識し始めたんかな。そのイメージを『ラヴィット!』(TBS)が一気に拡散してくれました。

那須晃行(以下、那須) もともと、大阪にいたころはロケの仕事も多くて、経験はあったんです。でも上京後はほとんど機会がなくて。『ウチのガヤ』に出るまでは仕事自体少なかったですし、「俺らはロケが得意なんやから行かせてほしい」なんてこと、考えてもいなかったです。

──上京直後、2009〜2010年ごろのおふたりといえば、『おもいッきりDON!』『PON!』(共に日本テレビ)で活躍されていた印象がありますが。

中西 『PON!』ではスタジオ出演と、VTRも芸能人の方にインタビューに行くという役回りだったので、ロケはなかったんですよね。ロケといったら2013年から数年間、オードリーさんMCの『マサカメTV』(NHK)でたまに行っていたくらいで。

──『マサカメTV』! あの番組はロケのメンバーが独特でしたよね。

那須 若手らしい若手があんまり出てなくて、渋いメンツで。

中西 三拍子さん、マシンガンズさん、タイムマシーン3号さんとか。僕ら含め、けっして旬とはいえない芸人たちが出てましたね(笑)。

那須 でも、伊集院(光)さんが番組のゲストに出演されたあと、ラジオで我々のロケの話をしてくださったりしたんですよ。

中西 あれ、うれしかったな。だけど本当に『マサカメ』以降はしばらく何もなくて。

那須 だから、皆さんに「ロケの達人」「なすなかといえばロケ」と言っていただけるようになったのは、ほんまにここ1、2年のことで。きっかけとなった『ウチのガヤ』も、実はロケ自体は2回くらいしか行ってないんですよ。

中西 その2回で『笑神様』に呼んでいただいて、『ラヴィット!』につながって……。

那須 『ラヴィット!』に出始めたころ、コロナ禍でお休みされる芸人さんがけっこういたんですが、その代演で何度も呼んでくださった。それで「めっちゃ出てる」というイメージがついたんだと思います。

中西 僕らは、ずっと長篠の戦いの2列目におる感覚でした。

那須 鉄砲隊のな。すぐに1列目と入れ替われるように。

中西必携のロケマニュアル

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──おふたりは、ロケの際の登場や、食レポのバリエーションがものすごくたくさんありますよね。

中西 そうですね。

──あれは意識して増やしていったんですか?

中西 ロケ中のやりとりとか、現場でできた流れとかを「ちょっと書き留めておこう」と残していったら、どんどん増えていった感じです。

──それが以前『ラヴィット!』でも披露された「ロケマニュアル」に?

中西 そうです。今日、「ロケマニュアル」を持ってきましたよ。ロケに行くたびに増えるので、今は新しいマニュアルを作って整えているんですが、これは旧型。

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ロケマニュアル

──すごいです!

中西 オープニングの動きを絵で描いてます。

──これはいつごろから書き始めたものですか?

中西 本当に最近、『笑神様』のロケに行き出したくらいからですね。ロケのお仕事がわっと増えたので、じゃあ本当に自分らでも特化してパターンを作ろうと思って書き始めました。今はこれよりもっと増えてます。

──現時点で、だいたいどれくらいありますか?

中西 オープニングで100くらい。食レポも100あるかな。ほとんどは携帯にメモっていて、それを今、新しいノートに書き出しているんですけども。

──じゃあ、その新しいノートが完成したら「なすなかにしロケマニュアル“完全版”」になるわけですね。

中西 そうですね。完全版はいずれ息子に託そうかなと。

那須 役に立たんやろ。

中西 ロケ芸人の血は終わらん。

那須 え、これ、子孫に語り継がれていくん?

中西 いずれは上方演芸資料館にも置かれたらいいなと思ってるんですけどねえ。

──(笑)。このマニュアルの中から、「今日はこれをやろう」というのはどう選んでいるんですか?

中西 その場その場ですね。

那須 これと決めず、片方がしゃべり出したらそれに合わせる感じで。

中西 特に打ち合わせとかもなくて。だから過去のどれかになるかもしれないし、新しい何かになるかもしれない。やってみないとわからないんです。

──マニュアルの裏にも何か貼ってありますね?

中西 全国各地の名産をプリントアウトしたものです。

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全国の名産が書かれたページ

──名産! これは、ロケの中で活かそうと?

中西 最近はやってないですが、食べたものに線を引いていったらスタンプラリーみたいで楽しいかなと思って(笑)。あとはロケ中って、スタッフさんとしゃべることが多いんですよ。だから「ここの土地の名産ってなんですかね」と聞かれたときにパッと答えられるように。

那須 そうそう。

中西 別のページにはご当地ラーメン一覧も貼ってあります。「お昼ごはんどこで食べますか?」となったとき、スタッフさんにもラーメン好きな人が多いんで、「こんなラーメンありますよ」と答えると盛り上がるんです。

那須 備えてるね。

──備えている内容が、映る側ではなく裏側の部分なんですね。

中西 そうですね(笑)。ロケはスタッフさんとみんなで楽しむのが大事。

──漫才のネタも絵で描かれると聞きました。

中西 昔は動きを絵で描いたりしてました。最近も、描くことはありますけど……。

那須 動きがあるときはね。

中西 基本的に、もうほとんど動かないんで。

那須 じっとしてる(笑)。

中西 そう、じっとして漫才やってるんで。

なすなかにし

芸人仲間による「なすなか広報活動」

──芸歴23年の中で、転機というとどのタイミングですか?

中西 まず、2008年に東京に出てきたことは相当大きかったと思います。東京で、いったん仕事がゼロになって。あの期間がなかったら、また違う人生を歩んでいたと思いますね。

──上京のきっかけは?

中西 ほとんど何も考えず、なんの計算もなく出てきました。若かったから調子に乗ってて、根拠のない自信だけあって「いけるやろ!」と。

那須 大阪で早くにデビューさせていただけて、そこそこ仕事もいただけて。だから自信とプライドだけ持って東京に来たんです。

──このままの勢いで東京でもすぐに売れるだろうと。

那須中西 はい。

中西 でも全然で。

──上京後はどう過ごしていましたか?

中西 ほとんど仕事がなかったので、僕は上野動物園の前で肉まんを売るバイトをしてました。あとはパチンコ。キツかったですねえ。でも「いずれなんとかなるやろう」という気持ちはずっと持っていて、芸人を辞めるという選択肢は一切なかったですね。

那須 僕は内職してました。ビーズを紐に通したものを大量に作って、ダンボールに詰めて送る。すると不合格のものが送り返されてくる。何もない部屋でそれをずっと眺めてました。

──バイトの内容がかなりクラシカルな……。

那須 昭和ですよね(笑)。プライドがあって、外でバイトができなかったんです。近所に大阪時代の我々を知っている後輩が住んでいたので、その子たちに「バイトしてる」とは言いたくなかった。だからこっそり内職をしてました。大阪時代に乗ってた車も売ってたんで、全部なくなった時期でした。

──2009年に『おもいッきりDON!』に出演するようになって、多少楽に?

那須 『PON!』のころも苦しかったね。

中西 うん。

──2010年にコンビ名を「いまぶーむ」に改名されますよね? 1年ほどで元に戻されましたが、あのころはどうでしたか?

那須 あのときこそ、めっちゃしんどかったですね。

中西 ほんまにしんどかったです。

那須 『PON!』の飲み会で話が盛り上がって改名することになるわけですけど、改名後すぐに番組が終わってしまって。何もかもなくなったのが「いまぶーむ」の1年間でした。そこからはたまのライブしか仕事がなくて。

中西 極端に変わったのはやっぱり『ウチのガヤ』からかなあ。で、本当にこんなにテレビに出させてもらえるようになったのは『ラヴィット!』が始まってからです。

那須 それまでは僕ら、「お笑い好きな人は知ってる」存在だった。制作会社の方に聞いたんですが、面接で「誰が好きですか?」と聞かれたときに「なすなかにし」と答えると、「渋いとこ知ってるね、そんなところまで知ってるのか」と思われるポジションだったと。

中西 「なすなかにし」と答えると採用率が高かったらしいです(笑)。

──「お笑い、わかってるね」という基準のような。

那須 そういう位置でした。あと、若手芸人が大喜利で我々の名前を使って爆笑を取るという。

──Aマッソさんが『THE W』の決勝のオチでなすなかにしさんの名前を出したのが印象深いです。

中西 そうそう。

那須 あんな位置でしたね、つい最近まで。それを、うちの相方は広報活動って呼んでた。

中西 そう。Aマッソやら真空ジェシカやら、みんなに広報活動をしていただいてたんです。

──芸人仲間の方の広報活動とは少し異なりますが、川島さんの奥さんがおふたりのアクリルスタンドを持って食事に行っているというツイートも拝見しました。

中西 そうなんですよ。びっくりしましたね。あれがツイートされて、そっからまた飛ぶようにあのアクリルスタンドが売れたので。まさか川島さんの奥様が広報活動してくれるとは思いませんでしたね。

那須 なので「引きつづき広報活動お願いします」と、ほかのグッズもお渡ししました(笑)。

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釣木文恵

(つるき・ふみえ)ライター。名古屋出身。演劇、お笑いなどを中心にインタビューやレビューを執筆。

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