6月12日にKADOKAWAから1・2巻が同時発売された、新井英樹の最新作『SPUNK -スパンク!-』。本作の“参謀”を務めるSMサロン「ユリイカ」オーナーの鏡ゆみこ、そして新井作品に惚れ込む音楽家のマヒトゥ・ザ・ピーポーを迎え、3人の鼎談が実現した。
後編では、ゆみこがSMで感じた「欲望のリミット」を外すことの怖さ、新井が鼎談にマヒトを呼んだ理由が明らかに。
SMサロンは「かりそめの場」。だけど人は変わっていく
マヒトゥ・ザ・ピーポー(以下:マヒト) これは自分のテーマでもあるんだけど、自分の内側にある欲望やコンプレックスに、音楽やマンガ、SMを通して気づいていく。そうやって自分のことを知れば知るほど、その人は救われるのかな?
鏡ゆみこ(以下:ゆみこ) 救われないと思ってる。でも、それが絶望とは思ってなくて。救われないけれど「うん、そっか」って。救われないってことを諦観するのが大事。
SMに限らず、みんな脳内で思い描いていることが最高だと思うんですよ。でも実際、生身の人間同士で会ってみたら、ちょっと違うなって気づいたりするんだよね。相手も人間で、違う人間同士、それを笑ったり噛み締めたりする作業をやってるんだと思ってます。
マヒト 自分は音楽を好きになって、自分の内側にあった、まだ輪郭のなかったような感情を言葉にすることもできるようになったり、こういうことだったんだと気づいていくことは増えたんです。
でも、そのディテールをもっと磨いて知っていくこと、簡単にいえば知性を蓄えていくこと。そのことが自分を幸せにしてるかどうかは、また全然違う題材だなと思ってて。
ゆみこ 一瞬一瞬の達成感とか、今日あのときすごく楽しかったとか、そういう瞬間があればいいかなって。それに、毎回必ずそうじゃなくてもいいとも思う。
今日めちゃくちゃよかった、この人のことを今日改めて好きになったとか。それがあるだけでしばらく生きていける糧にもなるし。本当にうんざりすることがあったり、もうおしまいだ……みたいなときも「いや、でも」ってちょっと深呼吸して。一瞬、光が差すみたいな気持ちになれればいいかなと。
新井英樹(以下:新井) だから、妥協とか諦観もけっこう幸せにつながる道じゃない?
ゆみこ 要するに「ごっこでしょ、こんなもん」っていうのも含めて、実はそれで真剣になれたり、元気になれたり、夢中になれたりする部分がすごくあるんだよね。
SMサロンって、端から見たらしょせん「かりそめの場」。でも、見ているうちに人はちゃんと変わっていく。私はある意味、私もあなたも違う人間っていつも思ってるの。SMに限らず。
「こんなの遊びだから」号泣するM男さんに告げた理由
マヒト ゆみこさんの話って、ヒントになることもあるし、感心しちゃうときもあるよね。俺が気になるのは、やっぱその時間は終わるわけですよね。日常に帰っていく。
ゆみこさんがさっき言った「一瞬の光」っていうのは本当に自分もそうで。ライブとかで自分が掴んで投げたときは気持ちいいんだけど、そこでのアドレナリンとか、見た世界の広がりみたいなものと、日常とのギャップに自分が絶望することもあるんです。
だからもっと強い言葉でいえば、その喜びが加害的な時間になり得る可能性もある。だって、SMサロンにも閉店時間があって、M男さんたちは帰っていくでしょ。
俺もそう。ライブにお客さんが来て、わー!って盛り上がって、「こういう世界であってほしいな」っていう時間を作ったあとに、もうほっぽり出すわけですよ。何事もなかったかのように。その人の喜びのリミットを外して、外に出すわけですよ。
一人ひとりの欲望のリミットをどう外していくかに向き合っているがゆえに、リミットが外れて、そのときが美しい時間であったことが、その人の日常を圧迫していく可能性があるんだよね。
つまり、SMの暴力的な──身体をどうするかって意味の暴力じゃなくて、その人と親密に向き合い過ぎてしまうことは、暴力的とも呼ばれ得るんじゃないかな。
そういう怖さについて、考えや言葉が自分を救ってくれてる気がしないの。自分が広がっていくこと、いろんなことを知っていくことが幸せなのかわからない。こっちが滑稽の要素で様式としてやってるつもりでも、本気のスイッチが入っちゃう人もいるわけじゃない。
ゆみこ いる。実際にいて、本当にすごい。私のほうが怖くなっちゃって。足にすがりついてきて、いろいろ懇願されるような状況のときに、「でも、こんなのさ、遊びだからさ」って言ったら、号泣されたことがあって。それでも私は足を振りほどいて、「いや、こんなの、ただの遊びだよ」って。
実は『SPUNK』の連載が始まってからも、私がSMサロンのプレイヤーとしてプレイしてたころのM男さんが急に現れて、「『SPUNK』読んでます」って言ってきたの。
「本当? うれしい! 久しぶり! 元気だった?」って言ったら、「自分はあのとき、本当に命がけで体張ってたし、気持ちもあったんですけど、ゆみこさんにとっては軽いものだったんですね」とか言われちゃった。『SPUNK』は私の実話じゃなくて、新井英樹のマンガなんだけどな。
マヒト 「こんなの遊びだから」ってひと言は本当に大事だし、すごい残酷だよね。ゆみこさんは「怖くなる」って言ったけど、その感覚がすごく大事なんだと思う。
そこをぼやかして、力を持ち過ぎた人がおかしくなる。簡単にいうと、人がひとりの人以上の力を持っちゃいけない。神様になっちゃいけない。
“高を括って”SMをやってはいけない
ゆみこ 私が自分に言い聞かせてるのは、高を括ってSMやっちゃいけないってこと。高を括るんじゃなくて、腹を括らなきゃいけないんだと、常に意識しています。そうじゃない人が悪いとか間違っているわけじゃなくて、あくまで私の場合は、ですけど。
やっぱり人を“身体に預かる”っていうか、気持ちを受け止めたり、気持ちを向けさせて自分のペースに巻き込んだりする部分がSMは大きいから。単純に事故が起きてはいけないとか、ケガさせてはいけないとか、そんなことじゃなくて。
身体の傷なんて治るんですよ。跡も消えるし。ただ、心が傷つくと変なことになるから。やっぱり高を括ってると、いつかしっぺ返しを食らうんじゃないかなって。だから、毎回そのあたりは手探りでやってます。難しいですけどね。
新井 そっか! 俺が『SPUNK』でやりたいことの中核って「距離」なんだ! その一瞬一瞬は詰めてもいいけど、その直後にはまた距離を取る。実際、俺もそういう生き方をしてると思う。
動機がなんであれ、一瞬は本気でいいと思うし、そのときは本気だっていうのを認めちゃっていいと思う。でも、その時間が終わったら、また距離を取り直さないと。
「言葉に鋭くなり過ぎるのは気をつけて」
新井 俺は「言葉」って、ろくでもないけど、一番価値のある遊び道具だと思ってんのね。前作の『ひとのこ』は言葉で埋め尽くして、言葉の意味すらなくしてやろうって思って描いた。その実践編が『SPUNK』かな。
マヒト そういえば、初めて新井さんに会ったときに、「言葉に鋭くなり過ぎるのは気をつけたほうがいいよ」って言われて。そのときの、自分がほぐれた感覚は覚えてます。
前に、誰かにも言われたんです。そいつには「鈍感になれ」って。会ったときに、初対面で顔を見た瞬間にそう言われて。そういう意識の速度で生きてないと言えない言葉ですね。
新井 そうそう。それまでマヒト君の音楽とか歌詞とか小説を読んでいて、言葉に鋭過ぎるなって思ってた。喫煙所でふたりきりになったときに、そんなことを言った気がする。
マヒト ある種、自分も同じようなトラブルの中にいるんで。考えてることは違うにしても、そういうことが自分を追い込みかねないってことを知ってる人しか言えない言葉だから。それを「優しい」と思った時点で、心が開いちゃってます。
解像度が上がっていくと、いろんなものが見えてしまって苦しくなる。だから、鈍感さも一緒に育てないと。表現って屈折したところからスタートしてるんだから、すごく解像度高く見ていくと、やっぱり矛盾にぶち当たるのは宿命なんですよ。
マンガもそう。物の上に成り立ってるっていう時点で、追い込んでいくと絶対に矛盾と向き合っちゃうんだから。でも、そもそも音楽もマンガも好きで始めたんじゃんっていう、そういうわがままさも一緒に育てていいんじゃないかって。
要するに、使いどころなんだよね。万人がどんなシチュエーションであれ、通用する言葉って、この世には存在しないと思ってて。確かに言葉だけ取ったらそうなんだけど、人としてそこは使っちゃいけないってところで、鈍感さを使っちゃいけない。
どんなに汚いことをやっても、それを飲み込むのが大人だとか、世の中っていうのはそういうもんだっていうのを逃げ道にして、自分の悪事をOKにする人がいるけど、鈍感っていうのをそこで使うのは、言葉に対して失礼だと思う。
ゆみこ 今回、ぜひマヒト君に鼎談をお願いしようと思ったのは、この人って正直じゃないですか。『不完全なけもの』っていうマヒト君のアルバム、あれ、私大好きなんだけれど、マヒト君そのものっていうか。
正直だし、今の自分より下の20〜30代の人って、わりとみんな如才(じょさい)なく行儀がいいんですよ。この人は、そうじゃないから。
新井 うん。言葉を大事にしてる人だし、いろいろ投げてくれるんじゃないかなと思って。ほかの方だと気遣って、きれいにまとめられちゃうかなと思ったので。マヒト君、今日は本当にありがとう。
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『SPUNK -スパンク!-』1・2巻/新井英樹/KADOKAWA
「好き」をナメるな。鬼才渾身の人間讃歌、1・2巻同時発売!
「あたしは、あたしが好き!」
「つまんねえ」は嫌い! 「楽しい」は譲らない!!
「好き」を奔放に希求するパワフルガール・夏菜(かな)。「だって……」「でも……」「私ごときが……」
男も女も、外界も世界も、そして自省も「ブロック」。
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