「伊達ちゃんが日本一になって、二郎会は終わった」ハチミツ二郎とサンド伊達みきおが語る“青春の日々”【『マイ・ウェイ』発刊記念対談】

2022.10.2
『マイ・ウェイ』発刊記念対談

文=粟野亜美 撮影=中川有紀子


ハチミツ二郎について、多くの人が持つイメージはおそらく「お笑い、そしてプロレス」というもの。その男臭くディープな世界観は多くの芸人たちからリスペクトされており、その筆頭といえるのがサンドウィッチマン伊達みきおだ。

ハチミツ二郎と伊達の関係は約20年前に遡る。「当時、ほぼ毎日会っていた」という青春ともいえる日々を共に過ごしてきたふたり。ハチミツ二郎が「遺書のつもりで書いた」と語る自叙伝『マイ・ウェイ』(双葉社)について、全部を知っていたという伊達はどんな思いで読んだのか──。

そんな盟友ともいえるふたり、ハチミツ二郎と伊達みきおの特別対談をお届けする。

何度か「二郎さん死ぬかもしれない」を覚悟した

──この本には波乱万丈な二郎さんの人生が詰まっているわけですけど、それを間近で見ていた伊達さんはどんな思いを持っていましたか?

伊達みきお(以下、伊達) この本にも出てくるんですけど、大仁田厚さんとの電流爆破とかね(本編「大仁田厚の言葉 ノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチの大勝負」)、僕もリングサイドで観ていましたけど、正直怖かったですよ。涙出るぐらいの。「なんでそこまでやるんですか?」って何度も思いました。だって体ボロボロでしたからね。

ハチミツ二郎(以下、二郎) あのとき、俺、いろいろあって歩行困難ぐらいの状態で動けてなかったですから。それでもやっぱり「大仁田厚、引退しちゃうんならちょっとやんなきゃいけないな」と。

伊達 リングに上がると、ちゃんとやるんですよね。

二郎 ただ、大仁田さん、翌年復帰したんですけどね(笑)。でも、それが2017年10月。サンドウィッチマンがめちゃくちゃ忙しい時期だったのに、リングサイドに観に来てくれて。

伊達 そりゃ行きますよ! 二郎さん、死ぬかもしれないって何度も思ってますから。この間の大阪の病気もそうですし、コロナもそうですけど、俺、何回か覚悟してますよ。松田(大輔)さんからたまに電話が来るとドキッとする。「なんの連絡だろう」と。

ハチミツ二郎(はちみつじろう)1974年生まれ、岡山県出身
ハチミツ二郎(はちみつじろう)1974年生まれ、岡山県出身

二郎 うちの相方は俺が倒れたり入院しても見舞いにも来ないし、メッセージもなんもない。だけど、大阪で倒れたときも、コロナのときも、すぐに伊達ちゃんには「どうしましょうか」って連絡入れてる。「どうしましょうかー」じゃねえよって(笑)。

伊達 松田さんもそれこそ昔から親しくさせてもらっているんで。最初、松田さんのほうが連絡していたくらいの時期もあった。この本には松田さんへの思いというか、それも描かれていたので。でも、松田さん、読んでないんだろうなぁ(笑)。読んでほしいけどなぁ。

二郎 この間聞いたら、読んでないって言ってた。でも、読まないと思う。俺、松田の本が出たら絶対に読まないもん。

伊達 いや、松田さんの本は出ないですよ。

二郎 うっすいエッセイみたいなのは出るかも。それでも読まないもんな。

伊達みきお(だて・みきお)1974年生まれ、宮城県出身
伊達みきお(だて・みきお)1974年生まれ、宮城県出身

2007年、『M-1グランプリ』の秘話

──本に出てくるエピソードが全部「青春」って感じですよね。

伊達 いや、ほんとにそうですね。

二郎 2007年の『M-1』でみんな決勝に行けなくて。敗者復活戦が大井競馬場であったとき、舞台上で俺は伊達ちゃんに「このあと、何を食いにいくか」って話をしてたんですよ。そのぐらい「どうせ呼ばれないから」って思っていたし、伊達ちゃん本人も自覚なかったし、それでうしろのほうに立っていた。そしたらサンドウィッチマンの名前呼ばれて。「行ってこい!」って背中押して送り出したんですよね。

今考えたら、そっから二郎会終わってますね。伊達ちゃんが日本一になって忙しくなっちゃって。「行ってこい!」って言ったまま帰ってこなくなっちゃった(笑)。

伊達 ふははは。敗者復活からスタジオに向かうとき、二郎さんからメールもらうんですよ。「食らわしてこい」って。「優勝あるぞ」というのも入っていて。なんか二郎さんにそう言ってもらえて頼もしかったんですよね。

二郎 「優勝できると思って行け!」という気持ちだった。敗者復活戦が終わったあとも俺は残って『M-1』を観てたんですよ。でも、あの年って、見てもらえばわかるんだけど、ちょっと火がついていない回だった。みんな不完全燃焼で進んでいってて。それで、「まだ間に合うかな」と思って「優勝あるぞ」と送った。そこに残っていた二郎会のやつで全員横並びでモニター観てて。

伊達 その映像もあって、何回も観ましたけど泣けてきますよね。なんせ東京ダイナマイトは、今は吉本興業ですけど、当時は対吉本の東京の旗振りリーダーだった。なんとか吉本に食らいつくぞというリーダーだったので。だから2004年の『M-1グランプリ』の決勝に出たときは僕らにとってもすごく大きくて。僕らを本気にさせてくれた存在でした。

二郎 今でも反吉本で、内部からぶっ壊してやろうぐらいの気持ちでいるんだけど、どこを刺せばダメージあるのかが大き過ぎてわかんなくなっちゃったよ(笑)。

「一生芸人。生涯芸人。」の心意気

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