第165回直木賞全候補作徹底討論&受賞予想。両者激賞『テスカトリポカ』、激論『スモールワールズ』からの直木賞選考の器問題

2021.7.14

逆転の技巧が効果的な『おれたちの歌をうたえ』

『おれたちの歌をうたえ』呉勝浩/文藝春秋
『おれたちの歌をうたえ』呉勝浩/文藝春秋

『おれたちの歌をうたえ』あらすじ
元警官の河辺久則は、20年間音信不通だった五味佐登志が孤独死したことを知る。訃報を知らせてきた茂田は、佐登志が残した暗号を解いて隠し財産を手にしようと迫ってきた。だがそれは、河辺にとっては忌まわしい10代の思い出を掘り返すことを意味していたのだ。

マライ 昭和あるある的な要素が色濃いのですが、実際に知識を共有していないとおもしろ味を感じられないネタ展開感が弱点であるように感じられます。愛着を共有する同族向けに書かれたっぽいというか。

杉江 それはそうですね。呉さんに伺ったところでは、出発点で想定していたのは藤原伊織『テロリストのパラソル』だったとのことです。全共闘世代で人生に挫折した主人公が初老になって再び事件に巻き込まれ、結果的に再起を果たす犯罪小説ですね。呉さん自身は全共闘世代じゃないからその時代を自分のものとしては描けない。ではどのようにすれば同じような構造の小説を書けるだろうか、ということから始まった小説とのことでした。ある時代に挫折を味わった人たちが現代に再挑戦するという物語は読者にその時代についての記憶を要求するという一面はあると思います。

『テロリストのパラソル』藤原伊織/KADOKAWA
『テロリストのパラソル』藤原伊織/KADOKAWA

マライ そこですね。「勉強がんばりました」感はあるけど、第三者的な読者が求めているのはそこじゃないというか。特にドイツ人として!(笑)

杉江 まあ、ジャンル読者としては非常にこれは支持したい小説ではあるんですよ。現代パートと過去パートの両方で事件が起きる構成になっていて、いちいち過去を参照しているにもかかわらず現代パートの疾走感が失われないところが素晴らしい。また、謎解きも手がかり呈示の仕方が非常にフェアかつさりげなくて、そのパーツを使うのか、と納得させられました。登場人物の顔がどんどん変わって見えるのもいいところで、紋切り型の性格に見せておいて後半でそれを引っくり返す、という逆転の技巧が効果的に使われています。

マライ ただ正直、キャラクターの類型的&やたら味付け濃い目の感じが、心理描写の微妙な不自然感と相まって、イマイチ話に没入できない要因になっていた感があります。

杉江 うん、まあ、類型的というのは小説としてのトリックでもあるのですが、ネタばらしになるのでそこは言えない(笑)。心理描写の不自然さというのはたとえばどういうところですか。

マライ たとえばですが、文脈を断ち切る激昂場面とか。

杉江 ああ、なるほど。不自然に激昂しているように見えるということですか。やたらとみんな怒っている話ではあるんです。

マライ そう、テンションアップダウンのために登場人物にあえて感情を変化させているように感じました。言うなれば「登場人物がベストを尽くすように動けていない」。私の思うに、そこが『テスカトリポカ』との最大の違いかなと。

杉江 登場人物が作者の都合で動いていると思われたということですね。そこはもしかするとマライさんが先におっしゃった、作品を楽しむための事前情報が読者にインプットされているか否かの問題かもしれないなとは思います。昭和〜平成に流れていた時代の空気みたいなものを登場人物理解の前提としている部分はあるとは思います。

マライ でも『天才バカボン』の歌を「知ってる」ことを前提にして話を引っ張るのは、あまりイケてない気がします。

杉江 いや、『天才バカボン』は国民的アニメだった時代が長かったんですよ、と赤塚不二夫主義者としては一応言わせてください(笑)。

杉江松恋
杉江「『天才バカボン』は国民的アニメだった時代が長かったんですよ」

世界レベルの傑作『テスカトリポカ』

『テスカトリポカ』佐藤究/KADOKAWA
『テスカトリポカ』佐藤究/KADOKAWA

『テスカトリポカ』あらすじ
メキシコの麻薬王・バルミロは敵の攻撃ですべてを失う。再起を期して国外へ逃れた彼が辿り着いたのは日本だった。一方、麻薬組織から逃れて日本にやってきた母から生まれた少年コシモは、超人的な体力の持ち主に育っていた。ふたりはいかにして出会うのか。

マライ 旧来型の知的エンタメアクション小説の精髄というか、まぎれもない傑作です。冒頭のメキシコの片田舎の描写からして、読み手を惹きつける磁力がものすごい。昭和から連綿とつづくアクション小説の文脈に沿った評価は杉江さんにお任せするとして、個人的に気に入ったのが、登場人物がだいたい「その立場としてベストな動きをしている」あたりです。パニック映画とかにありがちな「それ絶対死ぬし」的なキャラクター誘導が無い。それって、得てしてストーリーのおもしろさと二律背反的な関係にあるんですけど、本作では両立している! そこがスゴイ。

杉江 これ、他のところでも言ったんですが、『テスカトリポカ』には『水滸伝』的な要素があると思うんです。各人が自分の思うように動いた結果、川崎に引きつけられてくるという集団小説。登場人物はそれぞれが列伝の主人公ですよね。

マライ ああ、なるほど。いい意味での定番フォーマットの強さ。

杉江 さらに言えば山田風太郎の忍法小説的でもある。この小説の厚みというのは、自律的に動き回るキャラクターたちを多数配しながら、それが集合したあとも推進力を失わないで、崩壊までをきちんと群像劇として書けたということだと思うんです。

マライ 同感です。

杉江 さらに、メキシコから日本に主人公が辿る道筋は、貴種流離譚のそれになっています。自分の王国を奪われた者が新たに王国を築き直すという。佐藤作品は、表面に出ている部分が小さくて、背景に神話的な構造を備えているというのがこれまで発表された長篇でした。その神話性を前面に押し出しています。

マライ 彼(バルミロ)に顕著なのですが、本作の大きなテーマとして「イニシアティヴの獲得と維持・成長」があると思います。日本人の主要キャラがどんなに頭がよくて優秀でも、多国籍的かつ不安定状態に置かれるとイニシアティヴを必ずしも握れないし、才能も十二分には活用されない。あの「可能性と限界」感のリアリティって、これまで、日本人作家の作品にも外国人作家の作品にもなかったように思います。日本だとむしろ漫画やアニメのほうが伝統的に優れている領域ではないでしょうか。

杉江松恋の直木賞イチオシ
杉江「神話性を前面に押し出しています」

杉江 それはありますね。

マライ 漫画といえば、本作に出てくる〈コシモ君〉って、ビジュアル化すると板垣恵介先生の絵でしかあり得ないですよね、絶対(笑)。

杉江 まあ、絵柄としては『バキ』ですよね。板垣恵介作画で描かれた小池一夫原作というか。過去の作品に比べてアクションシーンも格段にいいんですよ。玄人好みのところもあった作家でしたが、今回は正面突破のアクションとかスリルで読ませる。『ガロ』出身作家が『ヤングジャンプ』で大出世、みたいな感じ。

『バキ』<1巻>板垣恵介/秋田書店
『バキ』<1巻>板垣恵介/秋田書店

マライ 武器考証とかも、かなりマニアックなんですが説明がクドくないのがよいです。

杉江 細部がきちんとしているのに、スマートですね。登場人物がどんな小道具で特徴づけられているかが明確でした。これも群像小説としての秀でた特徴です。

マライ 警察小説っぽさと国際アクション小説っぽさのマッチングの妙とか、とにかく評価点が多い。あと神話性というか呪術哲学。あれで世界の道理が脳内に叩き込まれる場面とか、超旧作ですけどイアン・ワトスン『マーシャン・インカ』を思い出させる面があったのも興味深かったです。『マーシャン・インカ』は、乱暴に言ってしまえば『テスカトリポカ』と貴志祐介先生の『天使の囀り』を足して2で割ってグロ成分を抜いたような知性体進化SFですが、やっぱ、スペイン人に滅ぼされた南米文明というのは、欧米型文明を暗殺する知的呪術めいた主体として使いどころ豊かなんでしょうかね。「麻薬組織+暗黒神」を綿密考証ベースで前面に押し出した時点で勝ちともいえる。

『マーシャン・インカ』イアン・ワトスン 著 寺地五一 訳/サンリオSF文庫
『マーシャン・インカ』イアン・ワトスン 著/寺地五一 訳/サンリオSF文庫
『天使の囀り』貴志祐介/KADOKAWA
『天使の囀り』貴志祐介/KADOKAWA

杉江 新大陸の神が旧大陸の征服者に復讐するわけですし、英訳したら勝手に叛アメリカ小説としても読んでもらえそう。なんなら直木賞はとらなくても別にいいので、とっとと英訳してエドガー賞(アメリカ探偵作家クラブ賞)をとってもらいたいです。

マライ あと「巨大市場」中国とかに売り込むのは無理ですかね。制約もいろいろありそうですけど、文化的戦略商品として、ぜひぜひ。

マライ・メントラインの直木賞イチオシ
マライ「中国とかに売り込むのは無理ですかね」

杉江 とにかく、日本で評価されないと世界に持っていかれちゃうよ、っていうくらいの収穫でした。

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