学生芸人からプロへ行く流れのターニングポイントは『わらゼミ』
——令和ロマン(当時は魔人無骨)を組んだのはいつごろですか?
ケムリ メロメロ産業が終わった瞬間ですね。
くるま 組んだのは2015年の夏以降。
ケムリ その前までメロメロ産業で『わらゼミ』出てましたから。
星野 『わらいのゼミナール』ね。
※『わらいのゼミナール』(通称『わらゼミ』)
『学生才能発掘バラエティ 学生HEROES!』(テレビ朝日)から生まれた企画のひとつ。2011年から2015年頃まで、学生芸人のライブやコンテストが行われていた。現在プロとして活躍している、真空ジェシカやストレッチーズ、さすらいラビー、サンストレンジ(ママタルト檜原洋平が以前組んでいたコンビ)などが参加していた。
一平 俺ら初回のオーディション行ったもんね。
星野 僕らが高校3年生のときの3月だね。そのあたりで初めて、大学生でお笑いやってる人たちに会った印象がありますね。
一平 そのときに人力舎のスパナペンチ(現在は解散)とかがすごくて!
ケムリ スパナペンチが『THE MANZAI』(フジテレビ)の認定漫才師になったりとか、真空ジェシカさんもそのくらいの代で。
くるま そこがひとつの大きなターニングポイントになってますね。スパナペンチと真空ジェシカが人力舎にスカウトで入って、「学生芸人がすごいらしいぞ」ってプロ側の人に認識され始めた気がする。
一平 そこから学生芸人もプロのステージで戦うような流れになってきた。
くるま 真空ジェシカ川北(茂澄)さんの『R-1ぐらんぷり』準決勝進出も大きいんじゃないですか。
星野 大学お笑いの団体戦に川北さんがピンで出ていて、「R-1準決に出た人がいる……すごい……」みたいになりましたね。
——学生お笑いからプロに行く流れが、どのあたりから増え始めたのかは気になりますね。
一平 我々のよく知る大学お笑いでいうと、ハナコの岡部(大)さんが入ったところあたりから?
くるま それは個人的に入る流れじゃないですかね。お笑いサークルで積み上げてきたというよりは、「プロになりたい」とサークルに入る時点ですでに思っていて、プロになる機会を得て進んでいく感じ。アンゴラ村長とかも。
星野 大学お笑いからの積み上げで言うなら、ストレッチーズくらいからじゃないですか?
一平 だからやっぱり、『わらゼミ』はめちゃくちゃ大事。
——昔に比べて「大学お笑い出身」がブランドのようなものになっている印象もあります。その転換期はどのあたりなんですかね?
くるま 転換と言えるかどうかはわからないけど、『NOROSHI』の存在は大きいんじゃないかな。
——それこそGパンパンダさんのチームが『NOROSHI』で優勝されて、きっとそのインパクトも大きいんじゃないかと……。
星野 あら、うれしい。
一平 Gパンインパクト?
くるま それは大きいですよ!! 俺はGパンインパクトから逃げてO-keis入ってますから!!
——どういうことですか?
くるま 大学1年生のとき、「早稲田のお笑いサークルに入ろうかな」と思って、LUDOの新歓ライブに行ったんです。でも、あまりにみんなおもしろ過ぎて、「ここではもう何もできないな」と思って、逃げたんですよ。まんぷくユナイテッドとか、サーフボードストレッチとか、名だたる人たちがいて……。それでLUDOに入るのをやめたんです。
関連記事
-
-
サバ番出演、K-POPへの憧れ、両親へのプレゼン…それぞれの道を歩んだ5人が、新ガールズグループ・UN1CONになるまで
UN1CON「A.R.T.」:PR