『VRおじさんの初恋』がロスジェネ世代に突き刺さる「オタク、ネクラ、キモい、だって俺その通りなんだもんな」暴力とも子に聞く

2021.4.16

負い目を背負ったロスジェネ世代

──ところで先ほどおっしゃっていたロスジェネってどのあたりの世代を意識していましたか?

暴力 40代くらいの就職氷河期ど真ん中を通ってきて、社会の中で悩んできた世代のイメージですね。

──「バブル世代」と「ゆとり世代」の間くらいですね。

暴力 その世代の作家さんが描いているマンガは、ある意味ではひとり残らずロスジェネが生んだものになると思います。「団塊の世代」以降、マンガの主人公の「自己責任感」が作品の中に反映されているものが多いと思っているんです。敗者に対して「負けたのはお前の理解が足りなかったからだ」となる。「団塊の世代」や「バブル期」はがんばればなんとかなるんだっていうニュアンスで使っていたりするんですが、「ロスジェネ期」の作家さんはそこが悲痛になっていて、ウェイトの乗り方が違う。

──主人公が「失敗はぼくの責任だし、世の中はそういうもんだぞ」とネガティブに滅入ってしまうんですか。

暴力 甘くないぞっていうのを説教ではなく、自分事として描いている感じがあると思っていて。自分はその感覚の作品を読んでしんどく思っていた時期があるんです。

──バブル世代やゆとり世代はしばしば話題に出ますが、ロスジェネ世代って意外と話題にならないですよね。

暴力 ロスジェネ世代、と言っても、いまや「そこらへんにいる大人」くらいの存在だと思うので、世代としてわざわざ意識されないと思うんです。ままならなさを自己責任で封じてきたっていうメンタリティの人間のどうしようもなさは、手を貸してあげられないんです。

──ほかの人との関係では救いがもたらされない?

暴力 そうです。ロスジェネ世代って「うまくいかない理由は自分にあったんだ」って自分で思っているところが一番怖いと思っていて。「政府の政策がよくなかった」とかを口では言いながらも、自己責任論が染み込んでいるし、とはいえ同世代で成功している人もいる。結局は自分が社会に最適化できなかった、という負い目を背負いつづけている。だから『VRおじさんの初恋』では、ナオキはホナミが資金的な援助をしようとしても、嫌がるんじゃないかというのも作中で匂わせています。

現実の世界でのふたりは、VR世界でアバターをまとったふたりと同じでいられるわけではない
(C)暴力とも子/一迅社 2021

──現実の家族に紹介する、というくだりですね。

暴力 ナオキの問題でしかないんですけど、人が助けの手を差し伸べているとしても本人にその手を取る気がなかったらどうしようもないじゃないですか。それに、救いの手を差し伸べるってある程度屈辱を強いる行為というか、お前の無力を認めろって話にもなるので。恋愛の話であれば「素直になれよ」くらいなんですけど、人生の自己責任と結びつくと、かなりややこしくなる。

──半端に年取ってますからねえ。

暴力 プライドもナオキなりにありますし。ナオキのこだわりなんて大したことのない話ですが、それが本当に大したことないかどうかはナオキしか決められないので、どうしようもない。

自己責任の中で終わらせてしまう、少女姿のロスジェネ世代
(C)暴力とも子/一迅社 2021

──ナオキの「『オタク』『ネクラ』『キモい』…だって俺その通りなんだもんな」っていうセリフは印象的でした。この諦念や言葉のチョイスが、40代だなあって。

──そうなると誰かの助言でどうこうならないですね……。

暴力 90年代の宮崎勤事件絡みとかで「オタク」であることが迫害してもいいレッテルみたいに扱われていた時期っていうのをナオキは経験しているので、思春期ちょいあとくらいに自己分析をする必要があったんですよ。世間一般的には日陰者としての扱いを受けるし、そのことを認識していないと自分は何か問題を起こすんじゃないかと。20代30代をかけてずっとアルバイトや派遣で暮らしながら、自分のスキルと努力が足りないと感じつづけてきたのが蓄積されている。自分の責任だから他人に頼る話ではない、と思っている感じです。

暴力 ナオキに自己肯定感をあげるには時間がすごく必要だけど、彼にその時間をかける価値を誰が感じるんだろうって。ホナミにはあったかもしれないけど、恋人同士という結びつきになったのはアバター同士なので、現実世界で「負い目を感じる必要はない」とか「生活が苦しいんだったら援助してあげる」というのをホナミがナオキに言うのも違う。ホナミがナオキをいい感じにするために具体的な金銭が発生したら、ご家族がまずそれを許さないんですよね。作中でホナミの孫の葵くんが最初にナオキを知ったときに、詐欺のような犯罪とか事件ではないのか?と考えたのもその匂わせですね。

2部から登場する、ホナミの孫の葵。自分の知らないおじさんとおじいちゃんの恋愛的コミュニケーションに最初は仰天
(C)暴力とも子/一迅社 2021

──VRと現実の差の話だと、世代は異なりますが『レディ・プレイヤー1』を思い出しちゃいますね。今の世代か、さらに次の若い世代でしょうか。

暴力 その世代を書こうとしているスピルバーグ世代の話、でしょうね。すごく未来を信じている。

──となると、ロスジェネ世代はかつて未来に夢を描いていた世代と、今未来に希望を見ている世代の、溝の部分になってますね……?

暴力 溝です。でも溝の底はこんなに悲惨なんだぞ、というのを伝えたいマンガではないです。ただ、ロスジェネという世代をそのまま描くことで「そこに溝があることを認識してほしい」と訴えたい気持ちはありました。あなたの隣りにいるロスジェネも、一見ただの冴えない中年かもしれないけれども、わりと仕方なく溝にはまったところもあるんだよ、って気持ちになってほしい。

──ロスジェネであったゆえに責任感から抜け出せず溝にはまってしまった人たち……。

暴力 まわりの人ができることはすごく少ないかもしれないし、かといって自力でどうこうするのも難しい人がいる……ということを伝えるためには、第三者目線としてホナミの孫にあたる葵くんの存在が必要だったんです。

ナオキが語る美しい言葉の裏には、どうしようもない諦念も漂う
(C)暴力とも子/一迅社 2021

──ナオキが葵くんが語る「初恋」という単語の使い方はこだわられてますね。

暴力 ナオキは、自分とホナミの関係を「付き合っている」と定義したら、ホナミが自分との関係に満足しているかを確認しないといけないんじゃないかと思っているんです。知識でしか恋愛を知らないので、何か恋愛らしいイベントをして思い出を作らないとダメなんじゃないか、それができないなら恋人じゃなくていいんじゃないかって。自然体の成り行き任せというのができないんですよ。

女性読者にしっかり届いた

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