宮川大輔、覚悟を決めた瞬間「自信はないし将来は不安。だから毎回、命がけで真剣に」
宮川大輔はかつて、20代半ばでお笑い芸人としての人生を一度リセットし、役者としての再スタートを経て、笑いの世界に戻った経歴を持つ。もはや生涯雇用が現実的ではなくなり、副業を持つことも珍しくはなくなった今、そうした経験はむしろ財産になるはずだ。
芸人として多くのバラエティ番組に出演しながら、公開中の映画『ヤウンペを探せ!』などで役者としても活躍。先の見えない業界で、彼が試行錯誤してきた生き方は、「自分らしさ」を追求することだった。
「やむを得ず」お笑いの道に入ってしまった
──NSC(吉本総合芸能学院)大阪校に入る前から役者志望だったそうですね。
宮川 初めは「テレビに出たい!」「アイドルにもなってみたいわ!」とかそれぐらいの夢やったんですよ。芸能界に入りたいという漠然とした憧れがあって、オーディションを受けたりしたこともあったんですけど、高2の終わりくらいに親父から「この先の人生どうすんねん?」と言われて、改めて自分の将来と向き合ったときに、やっぱり芸能人になりたいなと思ったんですよね。
ただ、それが芸人というわけではなかった。学校で「おもしろい」と言われたりはしてたんやけど、恥ずかしがり屋やったし、お笑いができるような性格ではないというか。
──それがどうして芸人の道を歩むことになったのですか?
宮川 吉本興業の養成所やったら、役者とか歌手とかいろんなコースがあると聞いて、高校卒業後に入ったんです。それがいざ入ってみると、全員がお笑いを目指してた。やむを得ずそこに加わるかたちになって、同期の星田英利とチュパチャップスを結成したけど、卒業したら辞めようかなと思ってました。
そしたらトントン拍子に「吉本印天然素材」(吉本興業所属の若手芸人たちによるダンスとお笑いの混合ユニット)に入ることになって、わりとすぐに人気が出て、ワーキャー言われて。でもお笑いにはずっと自信がなかったですね。
──「天然素材」が解散して、役者として再出発したとき、舞台というジャンルを選んだのはなぜでしょうか。
宮川 「天然素材」でも舞台に立って、ライトを浴びてセリフ言うてというのはおもしろかったし、自分らしくもある気がしたので、そこで勝負してみようと。そのためにコンビも解散して、いろんなオーディションを受ける中で、宮本亜門さんが演出を手がける『BOYS TIME』のキャストに合格したんです。それが27歳くらいのとき。ほんまに裸一貫で劇団に入るような気持ちでした。
ひとりで、自分の力を試したくなった
──そのころ一緒に役者を目指していた仲間はいますか?
宮川 『BOYS TIME』の出演者には、森山未來と佐藤隆太もいて、それが彼らのデビュー作でもあったんですよね。僕にとっては、役者としてようやく細い光が見えた舞台やったんですけど、これをきっかけになんとしても有名になりたい、売れたい、成功したいと思っていて、その気持ちはみんな一緒やったんです。
当時僕は28歳で、未來君は15歳でしたけど、同じ青春を過ごして熱く共鳴する魂があった。今でもあのときのメンバーと会うと、すごく懐かしくて居心地がよくて、心の奥が揺さぶられるというか。そんな仲間です。
──それは「天然素材」で経験した、芸人仲間同士の関係性とはまた違うものですか?
宮川 「天然素材」は部活というか、同志は同志なんですけど、自分でもワケがわからんまま流れに乗って、アイドルのようにもてはやされていた瞬間で。その中でも僕は一番年下やったんで、まわりはみんなお兄ちゃんみたいな。ひとりじゃなくてコンビでしたしね。
でも「天然素材」はリーダーもいなくて、チームとしてやっていく体制ができていなかったから、短い間でバラバラになったんです。完全に若気の至りで調子乗ったヤツでした。自分から変わらなあかんと思って、そういう意味でもひとりになったんで、『BOYS TIME』に参加したときは、「天然素材」で自分があかんかったと思うところに気をつけるようにしてましたね、スタッフさんたちへの気遣いとか。
──人としてもう一度やり直すような。
宮川 そうですね。とりあえずコンビとしてのお笑いはもう無理やった。とにかく自信がなかったんです。
──他人の反応を見てそう思われたのですか?
宮川 人の反応ではなかったですね。自分がもう相方とはやってられへんというか、窮屈やったんですよね、一緒にいることが。ひとりになって、個人として自分の力を試したい。そんな思いがあったのかもわからないです。
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