「推奨される暮らし像」の危うさ『雲を紡ぐ』
杉江 もうひとつの家族小説である『雲を紡ぐ』です。
『雲を紡ぐ』あらすじ
高校生の山崎美緒は自分の感情を表現することが苦手だ。そのために居場所がなくなってしまった美緒は、衝動的に父方の実家がある盛岡を目指す。その地で祖父・紘治郎は羊毛服地の工芸舎を営んでいた。羊毛についての知識を深めていくうちに、美緒は少しずつ自信を取り戻していく。しかし娘のいなくなった山崎家には別の問題が持ち上がっていた。
マライ 「伝統的家業を軸に人間が変化し成長する」という面で『銀花の蔵』と似ています。しかし染織の作業に関する描写が丁寧で細かくて分量多めなので、そこで評価というか好みが分かれるだろうなという印象です。正直、手芸とかアパレルとかに興味のある人向けになっちゃってる的な。私は興味あるから楽しめましたけど。あと個人的には、「地方の生活感覚はアナログ的で、そこには心身の健康と道理に関する叡智が生きている」っぽいユートピア志向が感じられたのが少し気になりました。ドイツの田舎で育った身としては、うーんそれは実際どうかな的な感触が拭えません。
杉江 日本の地方都市がそれほど理想郷とは思えないでいる私ですが、ドイツでもそういう印象はあるのですか。
マライ ドイツはもともと日本ほど一極集中でないので、都市も田舎もバランスよく分散されている気はします。なので過度な期待はもともと低いのだけど、「理想郷だよ田舎は!」的な観光的な売り文句はそこそこ存在します。ちなみに「田舎を理想化」した代表的な存在はナチスですね。たとえば同性愛者にとって、ドイツの田舎は地獄でしかなかったりします。個人的には、特にコロナになってから、「丁寧な暮らし」への強迫観念的なニーズが上昇している気がします。複雑過ぎる世の中だからでしょうか。癒しというか、「単純化」。ちょっと危険視しています。
杉江 あー、コロナ時代における「推奨される暮らし像」。ものすごく自粛的というか、自閉的ではありますね。
マライ そのリアルファンタジー化は危険で、しかも「善意にもとづく他者への強要」がセットで襲ってくる可能性がありますし。
杉江 私が『雲を紡ぐ』でちょっと危うく感じるのは、孫の問題を解決するのがおじいちゃんだというところなんですよね。親の世代がまったく機能しない、役立たずに書かれている。この一世代措いて上の世代とつながるというのは、「かわいい/頼れるおじいちゃん/おばあちゃん」幻想の再生産で、ずっと繰り返してきたことじゃないか、と思うんですよ。もう梨木香歩『西の魔女が死んだ』(新潮文庫)があるからいいじゃん。
マライ たぶん、この構造に意味を持たせながら描いたのが、ギュンター・グラスの『蟹の横歩き』(集英社)です。あれは、戦後の一般的な中道左派がなんだかんだでいろいろ価値観もゆるくて、それが生活態度にも滲んでいたために、ナチ信仰を捨てていない祖父母世代が、親に対して潜在的な不満を溜め込んでいる孫の世代を感化するという構造なんです。単純な対応ですまない深い問題を、実に的確に突いていた。日本でも同じようなことが現実に発生しているのではないかなと思ったりします。
杉江 少し手厳しい評価になってしまいましたが、引きこもりの主人公が自尊心を取り戻すまでの小説としてはいいと思うんですよね。やり直しの効かない人生はないということを書いていて、この窮屈な世相だからこそ読まれる意味があります。
犬の美談に見せかけて『少年と犬』
杉江 最後は『少年と犬』です。
『少年と犬』あらすじ
駐車場で中垣和正が見かけた犬は飼い主とはぐれてしまったようだった。成り行きから犬の世話をするようになった和正は、先輩に誘われるまま窃盗団の運転手を務めるようになる。東日本大震災から半年後の仙台を舞台にした「男と犬」をはじめ、日本中を彷徨う犬を狂言回しとして紡がれる六つの物語。人間の愚行を、犬の多聞は静かに見つめる。
杉江 馳さんはこれが7回目の直木賞候補ですよ。過去のノミネート回数は古川薫が10回で断トツ、8回の阿部牧郎・白石一郎が2位ですが、それにつづく回数で、平成以降では最多かな。前回の『アンタッチャブル』が馳さんとしては新境地の警察小説だったんですが、今回の『少年と犬』は一見名犬ものの美談に見せかけながら、犬が各地で出会う人々を通じて日本の現代を描いていくという、諷刺小説的な要素があります。
マライ 帯からしてMAX「犬推し」なんですよね。私も実は犬派なんですが、もともと犬好きな人以外にも魅力的に感じられる小説かといえばビミョーだな、というのが率直な印象です。
杉江 おお、手厳しい。
マライ なぜかといえば定型的な犬の神聖視があるからで、そこが犬好きの自己満足に収束しちゃうと思うのですよ。最終話以外は、犬という存在が各話の登場人物の宿業というか、運命の本質を最短距離で炙り出して強制的にゴールに直面させる機能を持つ「神の鞭」的な存在に見えるようにも描かれているんです。この描写と展開は萌えました。むしろそれゆえに、最終話が「ありがちな犬礼賛」ぽい締めに感じられてしまった点が、うーん、ちょっとなぁ、というしょんぼり感だったのです。小説じゃなくて映画だったらこの展開はむしろベターだと思うのですが。
杉江 私が雑誌発表時に読んで一番よかったのが「泥棒と犬」で、人間の愚かさを描くためのツールとしての犬なんだろうな、と思っていました。というのは、馳さんには『古惑仔』(角川文庫)などの、愚かな振る舞いをした人間の末路を描いた犯罪小説短篇集があるからですね。
マライ なるほど。その章には犬が登場する意味がありますね。触媒としての犬ですね。
杉江 馳さんの小説観って「人間は馬鹿」「犬は賢いが人間とはわかり合えない」「でもとりあえず人間は犬より馬鹿」なんですよ。そのへんの皮肉な感じを出すようには書かれていないので、美談という印象でまとめられちゃう危険はあるかと思います。
マライ その構造を維持しつつ、犬を理想化しなかったら文句なしに推しなんです。私がドイツで飼っていた愛犬はすごいバカ犬で、でもそこがよかった。
杉江 犬が実は途中で死んじゃってて、各話でまったく違う別の犬が人間を変化させる触媒みたいに登場する展開でもよかった気はしますね。震災のせいで人間が無責任に手放してしまった犬はいっぱいいるでしょうし。触媒としての犬なんで、名犬である必要はないんですよ。そのへんは選考でも批判されそうです。私は最初に言ったように現代を横断的に描いた諷刺小説的な側面は評価したいと思いますね。これ、「犬は飼い主を選ぶ」という小説になっていて、人間の愚かさが際立つ仕掛けにもなっていますし。
マライ 犬に罪はない!(笑) そしてさまざまなツッコミにもかかわらず、この作品が賞を獲りそうな気がする。それはなぜか。それこそ犬の誇る霊力と、馳先生の犬愛の相乗効果パワーなのか。
杉江 (笑)。私は一応ミステリーが主舞台ということになっているのですが、特にジャンルを意識せずに毎回直木賞の候補作は読んでいます。初めての候補作である『銀花の蔵』を『少年と犬』と並べて受賞と予想したのは、作者として進境著しいこともあるんですが、旧弊な価値観に縛られた主人公が現実と向き合って自分を肯定するようになっていく小説でもあるからなんですよね。5作を並べてみたときに、そういう現実の見方をした作品は『銀花の蔵』と『少年と犬』だったんです。だから希望的観測も含めて2作受賞。とはいえ、魔が棲む直木賞ですからどうなることか。選考を楽しみに待ちたいと思います。
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