マームとジプシー『cocoon』を再訪する【第1回後編】音のない世界で
ひめゆり学徒隊に着想を得て、今日マチ子さんは『cocoon』を描いた。マーム とジプシーを主宰する藤田貴大さんが、初めて『cocoon』を舞台化したのは2013年の夏のこと。この作品は2015年に「再演」され、今年、2020年の夏に再び上演されることになった。「再演」というと、同じ舞台が繰り返し上演されるような印象を受けるだろう。だが、2013年に上演された『cocoon』と、2015年に上演された『cocoon』とでは、出演者も違えば、作品から受ける印象も違っていた。今年の上演もきっと、まったく違った作品になるのだろう。稽古が始まるよりもずっと前から、上演に向けた作業は始まっていた。そこで鍵を握るのは、ひとつには、「音」であるようだ。
音のない世界で
3月と4月とのあいだに引かれる境界線のことを、藤田くんたちと一緒に、ここ数年考えてきたように思う。
そのことを、今、あらためて考えている。
4月に入り、緊急事態宣言が発出された。飛行機も大幅に減便され、玉城デニー県知事は来県自粛を呼びかけている。今となっては渡航できていた頃が遠い昔に思えてくる。あの頃はまだ、感染を拡大させないようにと神経を尖らせながらも、まだ沖縄をめぐることができていた。
朝4時、国際通りで待ち合わせて、クルマを走らせる。目指すは島の南端にある荒崎海岸だ。そこには「ひめゆり学徒隊散華の跡」の石碑がある。解散命令が出たあと、海辺まで追い詰められていた教員と生徒たち10名は米兵から自動小銃で突然の攻撃を受け、混乱のなか手榴弾で自決した。沖縄を訪れるたび、藤田くんや青柳さんはこの海を訪れてきた。
ただ、これまで荒崎海岸を訪れるのは、いつも決まって夕暮れどきだった。今日はいつもと違って、まだ夜が明ける前、満潮を迎える時間の荒崎海岸の音を聴こうと、早朝からクルマを走らせたのだ。荒崎海岸にたどり着いたのは、ちょうど満潮の時刻を迎える頃、朝5時過ぎだった。
海岸は闇に包まれていた。ちょうど新月だったこともあり、海岸は真っ暗だ。波の音だけが響く。何度となく足を運んできた場所だけれども、暗闇の中を佇むのはこんなにも心細いものかとうろたえる。しゃがみこんだまま30分が経過する。朝日がのぼる気配は見られなかった。藤田くんと青柳さんは立ち上がり、ケータイの灯で足元を照らしながら、押し黙って歩いてゆく。鋭く尖った岩場を抜け、ひめゆり学徒隊散華の跡の石碑に手を合わせた。
「満ち潮だと、やっぱり迫力があるな」と藤田くんがつぶやく。「ここに身を潜めてるって、ほんとに怖いことだよね。これまで何度も沖縄に足を運んできたけど、今思うと、『短い時間のあいだで、どれだけ戦跡をまわれるか』みたいなことになっちゃってたよね。ここでずっと身を潜めて、音を立てず、見つからないようにする――そのことを今までわかってなかった気がする。『砲弾の音が鳴り響く中、とにかく必死で逃げる』ってことは考えていたし、そうやって追い詰められたあとに自決したんだってことは想像してたんだけど、死ぬまでに躊躇したり、身を潜めてたりした時間もあったわけだよね。そうして音を立てずに身を潜めつづけた結果が自決だっていう怖さがある」
こうして3月のうちに沖縄を訪れたのは、みたび『cocoon』に取り組むにあたり、音について考えるところから始めるためだった。今年、2020年の『cocoon』では、舞台上に存在する音はすべて沖縄で録音したいと考えているらしかった。
「今考えてるのは、音のない世界がいちばん怖いんじゃないかっていうことで」。藤田くんがそう切り出す。「戦争を描くってときに、これまではやっぱり、どこかで『轟音で迫力を出す』みたいなことで考えてた部分があると思う。でも、いちばん怖いのは、音がない世界なんじゃないかと思うんですよね」
『証言 沖縄スパイ戦史』の中で、良光さんは米軍が上陸してきた4月1日をこう振り返っていた。
上陸の時は沖から艦砲がヒューッと飛んできて、もう煙だらけで何も見えない僕らも飛行機も何も見えない。破裂が多過ぎて。日本軍が一発も撃たなかったのは、撃ったら陣地がみんな暴露されるでしょ。隠してある砲台もばれるでしょ。最後の攻撃に備えて保存する作戦。でも、黙っていて戦に勝つはずがないと。あの時初めて、日本は負けるかもしらんと思った。
三上智恵 『証言 沖縄スパイ戦史』 (2020年、集英社新書)
音が聴こえるということは、そこで「味方」か、そうでなければ「敵」が攻撃を行なっているということだ。でも、今やもう、音のない戦争の時代に突入しつつある。街を歩いているときに、静音性の高い車がいつのまにか真後ろに迫っていてヒヤリとすることがある。自分を攻撃しようと思っていない車が音もなく接近していただけで恐怖をおぼえるというのに、それが自分を狙っている兵器だとしたら、その恐ろしさははかりしれないものがある。
ただ、藤田くんが「音のない世界がいちばん怖い」と言うとき、そういった物理的なことだけを指しているのではないだろう。藤田くんは、「郁子さんの『ユニコーン』って曲の最後に出てくる言葉がすごく怖い」とも語っていた。「ユニコーン」という歌は、こう締め括られる。
いつか君が 若かったとき
「ユニコーン」作詞:友部正人/作曲:原田郁子
君はこの歌を 歌ってくれた
狭いアパートの 台所
ピアノを弾きながら
君から生まれた ぼくは
ユニコーンだよ
若い涙は
強い角になったよ
君から生まれて
孤独を知ったよ
音のない世界で
その風景は何万年も前から鮮やかだった
日が暮れる頃になって、安里(あさと)駅近くの「うりずん」という居酒屋に入って乾杯する。何日か前から沖縄入りして、フィールドレコーディングに取り掛かっていた東岳志さんや、2013年と2015年に引き続き、2020年の上演でも音楽を担当することになった原田郁子さんも一緒だ。
「すごい、何かを掻き分けてる音がする」。東さんがフィールドレコーディングしたばかりの音源を聴いていた藤田くんが言う。
「今の音は、茂みの中を歩いてるところ」と東さん。
「ちょっと、これ、怖いんだけど。音だけで風景がめちゃくちゃ伝わってくる」音源を聴き終えた藤田くんは、白百合という銘柄の泡盛を飲みながら感想を漏らす。「演劇って言葉のウェイトが強いけど、今回の『cocoon』は、それをどこまで削げるかってことになると思う。普段のマームだと、ここがどんな場所かってことをモノローグで伝えてたけど、それを音が説明してくれるんだったら、台詞として言う必要がなくなってくるよね。音の質感でシチュエーションが移り変われるとなったときに、言葉として何を選ぶかってことになってくると思う」
出演者オーディションの風景が思い出される。
オーディションで藤田くんは、稽古場を教室の廊下に見立て、参加者を歩かせていた。前を歩いていた誰かに追いつく。向こうからやってきた誰かとすれ違う。ひとりきりで廊下を歩く――その3つを参加者にやってもらっていた。誰かに追いつくときと、誰かとすれ違うときには、相手の名前を呼ばせていた。発語されるのは名前だけだった。その風景を見ながら、藤田くんは膨らんでくる言葉を模索しているようだった。
「そう、今回の『cocoon』は名前が重要になってくると思っていて。最近の僕の作品だと、登場人物に名前がなくなってたけど、名前を呼ぶってことだけでも伝わるものがある気がする。(普通に学校生活を送っていたときには)名前を呼ぶことができていたのに、(ひめゆり学徒隊として陸軍病院に動員されてからは)お互いの名前も呼べなくなったり、名前を忘れるぐらい忙しくなったりする。でも、それが(ひめゆり学徒隊に解散命令が出されて)逃げるときになったらまた名前がよみがえってきて、名前を呼ぶんだけど、最後にはそうやって名前を呼ぶこともできなくなるわけだよね」
藤田くんの言葉に、またしても良光さんの話が思い出される。米軍が上陸してくる前にと、良光さんたちは許田橋を爆破する任務を命じられた。そこで同郷の人を見かけ、「あい、アンフク兄さん!」と良光さんが声をかけると、「貴様、戦争中に名前で呼ぶ奴があるかー!」と部隊長に怒られたという。
――記録を書き残すことを仕事としているぼくは、こんなふうに、過去に起こった実際の出来事と結びつけて考えてしまう。さきほどの藤田くんの発言を括弧で補足したのもぼくだ。
この日、「うりずん」で飲もうと提案したのもぼくだった。ぼくは「うりずん」が好きで、沖縄に滞在しているときは毎日のように通っているけれど、それだけが理由ではなかった。「うりずん」という店は、栄町市場のそばにある。栄町市場は、戦後になって生まれた市場だ。戦争が始まるまで、この一帯には沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校があった。このふたつの学校から動員された子たちが「ひめゆり学徒隊」となったこともあり、この日は「うりずん」で飲もうと提案したのだ。
2013年に『cocoon』を観てからというもの、観客のひとりとして、僕はこの土地でかつて起こった出来事を知ろうとしつづけてきた。ひめゆり学徒隊に着想を得た作品を考える上で――いや、作品のことを抜きにしても――知っておかなければならないことは山のようにある。ただ、あまりにも過去とだけ結びつけてしまうと、あくまで「遠い昔に起こった悲惨な出来事」だと認識してしまう。舞台上に立ち上げられるものは、ただの過去でも、ただの現在でも、ただの未来でもなく、ほんとうのことだ。
「初演のときからずっと、『今の言葉で言うところのリゾート感のある風景――海が透き通っていたり、空があれだけ青かったりする風景――の中で死んでいったのは残酷だよね』ってことは話してたんだけど、その風景の鮮やかさっていうのは、何万年も前からこうだったわけですよね。それが、戦争という人工的なものによって変わってゆく。でも、戦争っていう極端なことがなくても、たとえば『学校で嫌なことがあった』っていうだけでも、そうやって見えていたはずの風景が見えなくなったり、聴こえていたはずの音が聴こえなくなるってことはあるじゃないですか。そういうことが、何千年前から繰り返されてきたってことは、郁子さんとこれまで話してこなかった気がする」
しばらく黙って話を聞いていた郁子さんが、「なんとなく、新しい曲が作りたい気もする」と口を開く。「今年の『cocoon』は、それぐらい違うものになるんじゃないかっていう気がする。ちょっと、前の曲だと、あてはまりきれない気がする。前回の『cocoon』から、そういう時間が経ってるってことだよね」
今年の『cocoon』は、どんな音が、どんな時間が描かれることになるのだろう。作品が上演されるまでの日々に伴走しながら、言葉を書き記したいと思う。はじまりは3月だった。
*集中連載「マームとジプシー『cocoon』を再訪する」第2回は2020年5月中旬の配信を予定しています。
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集中連載 マームとジプシー『cocoon』を再訪する
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マームとジプシー「cocoon」
原作:今日マチ子「cocoon」(秋田書店)/作・演出:藤田貴大(マームとジプシー)/音楽:原田郁子東京|7月4日(土)〜7月12日(日)東京芸術劇場プレイハウス
埼玉|7月18日(土)〜7月27日(月)彩の国さいたま芸術劇場 小ホール
上田|8月1日(土)〜8月2日(日)サントミューゼ 上田市交流文化芸術センター 小ホール
北九州|8月9日(日)北九州芸術劇場 中劇場
伊丹|8月14日(金)〜8月16日(日)AI・HALL 伊丹市立演劇ホール
京都|8月22日(土)〜8月23日(日)京都芸術劇場 春秋座(特設客席)
沖縄|8月29日(土)〜8月30日(日)ぶんかテンブス館テンブスホール