ニュー・ジャーナリズムには人生が凝縮されている|北山耕平インタビュー【最終回】(赤田祐一)

2020.5.19

文=赤田祐一


『クイック・ジャパン』創刊編集長・赤田祐一が創刊準備号で行った、編集者・北山耕平の歴史的インタビューの最終回。
ニュー・ジャーナリズムとは何か。これまでのジャーナリズムと何が違うのか。日本においてニュー・ジャーナリズムは可能か。『クイック・ジャパン』は、ニュー・ジャーナリズムの精神を1990年代の日本で展開する試みだった。それは、創刊から25年が経った今も変わらない。

赤田は創刊準備号の特集を、「ニュー・エイジに贈るジャーナリズム讀本」と銘打った。

※本記事は、1993年8月1日に発行された『クイック・ジャパン』創刊準備号(Vol.1 No.0)掲載のインタビューを分割、転載したものです。


前回の記事

トム・ウルフと杉村楚冠人

――以前、『ポパイ』誌上で、北山さんは“ニュー・ジャーナリズム特集” *43 を組んでましたね。「ニュー・ジャーナリズムとは音楽の世界でいえば強烈なロックなのだ!」という題で。あれを執筆されたのは、トム・ウルフ編の、“ニュー・ジャーナリズム”についての、ぶ厚いアンソロジーが出たのが、きっかけなんですか。

北山 そうですね。トム・ウルフの『ザ・ニュー・ジャーナリズム』 *44。でも、一番最初にやったのは、『宝島』で「新しい意識が鉛筆を握るとき」(1976年7月号)という、『宝島』の文章読本を作ったときです。あれが最初ですよ。

――トム・ウルフの『ザ・ニュー・ジャーナリズム』の手法を、杉村楚人冠(すぎむら・そじんかん)の『最近新聞紙学』 *45 の手法と、合体させて紹介した記事ですね。

北山 そうそう。『宝島』が最初ですよ。その次に『ポパイ』で、“ニュー・ジャーナリズム”っていうものを、きちっと紹介するやつを、一度やってみようかなと思って、あれをやったの。

『Quick Japan』(飛鳥新社)創刊準備号(1993年8月1日発行)。グラフィックス=羽良多平吉

――アメリカで見つけて読まれたんですか。

北山 そうそう。まだこういうちっちゃい版じゃなくて、大学の教科書みたいなやつだったけど。アンソロジーでしょ。

――この中に「ギア」ってロック・レポートがありますよね。あれを訳して、この雑誌にいずれ載っけようかと思ってるんです。ヒップな話ですね。

北山 これを書いたリチャード・ゴールドスタインも、『ローリングストーン』の有名なジャーナリストですよ。もう亡くなっちゃったんですけど。1979年か1980年ぐらいかな。追悼号が出てると思いますよ、『ローリングストーン』から。

――『ヴィレッジ・ヴォイス』の常連寄稿者ですね。読んでらしたんですか、コラムを。

北山 うん。この人がロック・ジャーナリズムの最初みたいなもんだよね。この人がロック・ジャーナリズムを初めて、ヤーン・ウエナー *46 が引き継いで、ベン・フォン=トーレスとかそういうライターが出てきた。俺は“ニュー・ジャーナリズム”の中でも、特にロック・ジャーナリズムに興味を持ってたから、その中では、リチャード・ゴールドスタインは、一番印象に残ってる人のひとりだよね。ああいうのを書けたらいいなと思ったことは覚えてる。『ザ・ニュー・ジャーナリズム』の中で、自分の興味持ったものっていくつかあって、たとえばジョージ・プリンプトン *47 とか。

――プロ・フットボール・チームに体験合宿する『ペーパー・ライオン』を書いた人ですね。

北山 そう。あとは、『裸で眠るのですか?』を書いたレックス・リード *48。レックス・リードって、今野雄二さんが好きで、日本にいっぱい紹介してたけど。

――『ゴング・ショー』に出てましたね。

北山 『ゴング・ショー』でもやってたね。やっぱり自分にとって、一番“ニュー・ジャーナリズム”で影響を与えたのは『ローリングストーン』だね。その時代が、自分にとって、すごく印象強かった。だから、これが紹介できたらいいなという思いが強かったんだよね。

*43 “ニュー・ジャーナリズム特集”…北山耕平が『ポパイ』78年22号に発表した特集記事。タリーズ、ウルフ、トンプソンなどが、じつに的確に紹介された。ニュー・ジャーナリスト志望の人は必読。

*44『ザ・ニュー・ジャーナリズム』…70年代の初め、トム・ウルフが自ら編集したアンソロジー集。ニュー・ジャーナリズムの若い書き手たちの生きのいい文章が集められている。収録された書き手は、レックス・リードからトルーマン・カポーティまで21人いる。日本ではまだ、翻訳されていない。

*45『最近新聞紙学』…『朝日新聞』および『アサヒグラフ』の発展に足跡を残した敏腕ジャーナリスト・杉村楚人冠が書いたジャーナリスト入門書。大正4年(1915年)刊。刊行された時代は古いが、ニュー・ジャーナリズムの教科書として読むことのできる秀れた本。今(当時)では復刻版(1970年、中央大学出版部)が出ている。

*46 ヤーン・ウエナー…『ローリングストーン』の編集発行人。バークレー大学をドロップアウトしたのち、1967年、弱冠21歳で『ローリングストーン』を創刊した。

*47 ジョージ・プリンプトン…文芸誌『パリス・レヴュー』の編集長。インタビューの名手であり、スポーツ・ノンフィクションに定評がある。

*48 レックス・リード…1960年代に「あなたは裸で寝ているのですか?」とスターに質問し、本誌を語らせてしまうことで有名になったインタビュアー/俳優。他に『ここでは皆狂っている』がある。

ジャーナリズム、「ニュー」と「オールド」

――日本の“ニュー・ジャーナリズム”ということで、坂本正治さんの『北緯40度線探検隊』 *49 (1977年、角川書店)を選んでますね。

北山 読んでてそう思った。あれは、意識の流れに基づいた本だよね。彼は『ポパイ』のスタッフ・ライターだったのね。

――オートバイで日本列島を北緯40度線に沿って横断するっていう、痛快な話ですね。

北山 あれは、すごくおもしろかった。ああいうのは、日本では、ノンフィクションって言われちゃうんだけど。その後、彼は、あんまり書いてないみたいだけどね。

――日本だと、あと、ノンフィクションの特集号で、『中央公論』臨時増刊 *50 がありましたね。

北山 出ました。ゲイ・タリーズの翻訳とか、トム・ウルフの短編も1本入ってたりとか。

――『グレート・シャーク・ハント』という、川本三郎さん訳の鮫狩りの話も入ってたり。

北山 あれはハンター・S・トンプソンでしょ?

――そうです。立花隆さんの『宇宙からの帰還』 *51 (1983年、中央公論社)も収録されたり。あの増刊号が出たことで、日本における“ニュー・ジャーナリズム”の流行は、終わっちゃった感じがしますね。

北山 そうね。流行みたいにしようとして、それで終わっちゃったんじゃないかね。

――流行にならないで。だって『ラスベガスをやっつけろ!』*52 なんて傑作が、2年前にやっと翻訳されたんですからね。

北山 そう。流産したみたいなもんだよね。でも、あれは翻訳は大変なんだよね。『ラスベガスをやっつけろ!』みたいなやつってのは、その世界を知ってる人じゃないと、訳せないでしょ。ムロケン *53 はじょうずだよね。すごくじょうずだなと思った。彼が初代『宝島』の編集長ですよ。

――立花隆さんなんかどう思います? 彼も、作品のテーマの流れだけ見てると、トム・ウルフのあと追いみたいなんですね。

北山 そうだよね。

――『ザ・ライト・スタッフ』 *54 のあとに『宇宙からの帰還』を書いたりとか、ゲイ・タリーズの『汝の隣人の妻』 *55 の翌年に『アメリカ性革命報告』 *56 を書いたりとか、“ニュー・ジャーナリズム”をマークし、追っかけてる印象がありましたね。

北山 彼の場合、やっぱり、新しい意識というものに興味が足りない……。いわゆる日本の伝統的ジャーナリズムにのっとった上での技法としてはすごくじょうずなんだと思うんだけどね。資料の集め方とか並べ方とかさ。ただ、それを貫くひとつの意識があるかというと、俺は、そこまでは満足いかないわけ。それはやっぱり、決定的な体験みたいなものが、何かないんじゃないかな、その人にね。たとえば、ゲイ・タリーズなんて、自分でやってるわけだよね。

――「なにごとも、試してみなけりゃわからない」と言って、『汝の隣人の妻』で、自分でマッサージ・パーラーの経営者になってみたりして。

北山 うん。で、その中からつかんだもので、やってるわけだけど、「取材して」というかたちのやり方だと評論は書けるけど、ライフ・ストーリーは書けないと思うんだよね。“ニューエイジ・ジャーナリズム”、あるいは“ニュー・ジャーナリズム”というのは、ライフ・ストーリーだと思う。人生がそこに凝縮されてる、みたいなもので。たとえばその瞬間、ある瞬間の切り方なんだけど、そこに、いかに、どのくらいの人生が凝縮されているかということ。読んだ人間がそれによって啓蒙(エンライトメント)されるか、娯楽(エンタテインメント)されるかはともかくとして、日本の場合だと、評論で、なるほどこういうふうに言ってるのか、こういうことなのか、というかたちで満足するってとこで終わっちゃう。だから、宇宙の話を書くとき、宇宙飛行士になったつもりで書けないでしょ? “ニュー・ジャーナリズム”は、それを、平気でやってるわけだよね。

――見てきたように、書きますね。

北山 ただ、どっちのほうが伝わるか、ほんとのことを伝えるか……。“ニュー・ジャーナリズム”的な手法は、非常に危険な部分はあるんだ。ようするに、片方の思い入れだけで書いちゃうみたいなことだね。トゥー・マッチな部分は出てくる可能性もあるんだけど、どちらが現実(リアリティ)というものに肉薄してるかといったら、“ニュー・ジャーナリズム”のほうが、俺は肉薄してると思う。距離を追いて評論するよりは、中に入ってある種の意識の流れのもとに書いたっていうことのほうが、リアリティを伝える方法としては、優れてると思う。今、みんなが求めてるのは、リアリティなんだと思う。それは、ある種の生きてる実感みたいなものだし、その部分をどうやって伝えるかということのほうが、どう生きるかってことを伝えるより、すごく重要なんだと思う。実際に、こうやって生きてるというかたちを、きちっとある種のリアルさを持って伝えることのほうが、すごく重要になってきてるんだと思う。

*49 『北緯40度線探検隊』…日本で初めてニュー・ジャーナリストを名のった坂本正治が『CAR GRSPHIC』に発表した、オートバイ・ノンフィクション。日本語におけるニュー・ジャーナリズムの可能性を追求した。

*50 『中央公論』臨時増刊…立花隆『宇宙からの帰還』を中心に、沢木耕太郎と柳田邦夫の対談「ニュー・ジャーナリズムをめぐって」、トム・ウルフ、ハンター・S・トンプソン、マイケル・ハーのレポートが掲載された。

*51 『宇宙からの帰還』…立花隆がアメリカの宇宙飛行士たちに行った克明なインタビューをもとに、宇宙体験が彼らに、どのような意識の変化をもたらしたのかを調査したレポート。

*52 『ラスベガスをやっつけろ!』…トンプソンのクレイジー・ロード旅行記。車のトランクいっぱいに、あらゆるドラッグとテープレコーダーを積み、「アメリカの夢」というテーマの本をまとめる目的で、ラスベガスに向かうレポート。

*53 ムロケン…『ラスベガス をやっつけろ!』の翻訳者、室矢憲治のこと。『宝島』初代編集長であり、現在(当時)は『SWITCH』 などにロックに関する文章を寄稿。日本のカウンター・カルチャーの生き証人。

*54 『ザ・ライト・スタッフ』…ウルフが、マーキュリー計画に参加した7人の宇宙飛行士を取材し、巧妙に国の英雄に仕立てあげられる経緯と、とまどいを解きあかしたレポート。

*55 『汝の隣人の妻』…タリーズが、自らマッサージ・パーラーを経営し、アメリカ人の寝室を取材したレポート。

*56 『アメリカ性革命報告』…ウーマン・リブ、チャイルド・ポルノ、ゲイ解放運動など、あらゆる性革命が行われるアメリカを、数々の資料にもとづき分析したリポート。

思想家としての片岡義男

――「ザ・ニュー・ジャーナリズム」には、トム・ウルフの序文がありましたね、ニュー・ジャーナリズム論 *57 が。あれを、常盤新平さんが以前、『海』(中央公論社)で訳してましたね。

北山 そうだね。

――一部なんですね、それも。

北山 もったいないよね。

――ほんと、もったいないですよ。宝の山みたいな本ですね、これは。

北山 そう。教科書みたいなもんだよね。あと、もう1冊、『レポーティング:ザ・ローリング・ストーン・リーダー』 *58 という本があるんだよ。俺はそっちのほうが好きだったくらいで……。

――それは『ローリングストーン』誌についての研究本ですか?

北山 違う。『ローリングストーン』に今まで書いた何人かの有名なスタッフ・ライターがいるよね。その文章使って『ザ・ニュー・ジャーナリズム』と同じように作った本なの。ポール・スキャンロンというスタッフ・ライターのひとりが序文を書いて、ロック・ジャーナリズムのやり方を、レポーティングの方法を本にした。その本のほうが俺にとっては影響を与えたよね。ペーパーバックスで出てた。すごくおもしろい本だよ。すべての新聞が“スタイル・ブック”って持ってるじゃない? その本は、『ローリングストーン』の記者に読ませるために『ローリングストーン』のスタイル・ブックみたいなかたちで編集したものなんだけど、それが自分なんかの勉強したものとしては、すごく役に立った。いまだに俺は、あの当時の『ローリングストーン』のスタイルが好きだし、そういうメディアがあるといいなと思ってたし。それは変わらないと思うんだよね。自分としても、そういうスタイル・ブックみたいなものは、いつか作らなきゃいけないんじゃないかと思ってるわけ。新しいメディアに対応するようなものをね。

――僕らにとっては昔の『宝島』がスタイル・ブックです。北山さんが作られてた頃の『宝島』が編集のお手本なんですよ。

北山 今は、あそこから始まったみたいな人が多いからね。あれがスタート地点だとしたら、俺は、あれに代わる次のものが出てきて欲しいと思うもの。

――日本で、“ニュー・ジャーナリズム”感覚のある本というのは、何かありますか。

北山 うーん……。

――僕はさっきも言ったんですけど、竹中労さんのチーム・ジャーナリズムの傑作『ザ・ビートルズ・レポート』が最高ですね。あと、北山さんが編集された『ポール・マッカートニー・ニュースコレクション』 *59 (1980年、合同出版)。『写楽』の雑誌内新聞「イメージ・スーパー・マーケット」、それから、『ローリングストーン日本版』 *60 (ローリングストーン・ジャパン)ですね。

北山 はい。俺、あの雑誌の編集長をやる予定だったんですよね。「やらないか?」って言われてたんです。あの雑誌が売れなくて、潰そうか、まだやろうかというときに、オーナーだったレックス・クボタ *61 から連絡があって、「編集長やらないか?」って言って、やろうかな……と思ったときに、雑誌が終わっちゃったんです。レックスと俺は、よく知ってたんですよ。あいつは、フィリピンで自殺したという話だけどね、誰も信じてない。レックスの一生って、絶対、俺はいい話を書けると思うんだよね。

――フリーキーな人だったそうですね。

北山 もう、めちゃくちゃですよ。

――お金持ちの息子なんでしょう?

北山 そう、貿易会社の社長の息子でね、ジョージアかなんかの大学に留学してて、オールマン・ブラザースとか、そういうところにコカイン配って歩いてたというプッシャーでね。その線で『ローリングストーン』という雑誌と繋がって、権利もらって、日本に帰ってきてやってたんだけど、売れなくて。それでもう潰れちゃうというときに、俺のところに連絡が来て。俺もやってみてもいいかなと思ってるうちに、潰れちゃったの。惜しかったんだけどね。

――惜しかったですね。可能性がありましたから。日本版の、和物と洋物をミックスした感じはヒップでおもしろかったです。やっぱり1970年代の『宝島』のライバル誌だったんですか?

北山 そりゃそうですよ。『宝島』だってもともとは『ローリングストーン』を作ろうと思ってたもの。『宝島』と『ローリングストーン日本版』が一緒になってれば、もっとパワフルな雑誌になってたと思うよ。惜しかったよね。レックスの一生というのはすごく、それこそ、”ニュー・ジャーナリズム”の格好の対象として存在してることは確かだよ。伝説の人だもんね、レックス・クボタというのは。我々の世界では。

――それはアナーキーな面においてですか。

北山 そう、生活のすべての面において完璧な”ゴンゾー”だったという意味で。日本のロック界に彼の影響受けた人って多いんじゃない? ものすごく多いと思うよ。実質的な影響受けた人ね。

――寺山修司さんの、『人生万才』(1990年、JICC出版局)ってご存知ですか。

北山 知りません。

――寺山修司さんが、70年代、『日刊ゲンダイ』の中で、毎週2ページずつ、ゲリラ・ページを作っていたんです。”宝探し”といって、東京のどこかに1万円埋めといて、そのドキュメンタリーを毎回報告するもので。

北山 ああ、見たことあります、昔。

――あれは、東京の街をおもちゃにしちゃうような感覚があるんですよ。あと、開高健さんが若い頃書いた『ずばり東京』(1982年、文藝春秋)という本があるんです。それはご存知ですか。

北山 知りません。

――昔の「週刊朝日」に連載してたもので、東京のルポなんです。毎回、開高さんが東京のどこかへ行って、見てきたことを書くというもので、毎回、文章のスタイルを変えてるんです。あるときは養鶏場のブロイラーの鳴き声で、ブロイラーがしゃべるという手法で、鶏が絞め殺されるまでを書いたり。若い開高青年が、毎回どこかに出勤していく感覚が、すごくあるんです。

北山 そうだね、動いてるっていうね。

――ワイージーって人がいますね、カメラマンの。警察無線を常に盗聴して、事件があったらすぐ現場に駆けつけて写真を撮るみたいな。そういう感じが開高さんにあって、すごくおもしろかったですね。

北山 横尾忠則さんの書く文章も、近いときがあるでしょ? “ニューエイジ・ジャーナリズム”っぽいときが。

――あれは、意識の流れを書いてますよね。

北山 そう、ずっと。だからときどきハッとするときがあるもんね。横尾忠則さんの文章って、不思議なバイブレーションを持ってる。

――横尾忠則さんのエッセイ集『暗中模索中』(1973年、河出書房新社)の中にも、そんな文章がいくつかありますね。

北山 そう、だから、非常に読んでておもしろいときがある。エンタテイメントになるときがあるし、心地よいときがある。あとは誰だろうな……。先駆的な人としては、さっき言った谷譲次だよね。『めりけんじゃっぷ商売往来』(教養文庫)とか『踊る地平線』(同)とかいろんな種類があるけれど。それから、片岡義男さんのエッセイが、そうだった。『ロンサム・カウボーイ』(1975年、晶文社)までの、片岡義男さんのエッセイ。

『Quick Japan』(飛鳥新社)創刊準備号(1993年8月1日発行)。グラフィックス=羽良多平吉

――北山さんが編集した『全都市カタログ』 *62 (1976年、JICC出版局)は、まず、「片岡義男」という項目から始まってましたね。

北山 そうです。それはだから、俺の独断ですよね。自分に誰が一番影響を与えたのかということをいえば、片岡義男さんだった。片岡さんは、あの当時、思想家として優れていたと思うよ。ロックというものに対する認識の仕方が、斬新だったと思う。『ぼくはプレスリーが大好き』 *63 (1971年、三一書房)、やっぱりあれが決定的だったんじゃないかな。あの本は、片岡さんの中じゃ、5本の指に入るくらいのすごい本なんじゃないかな。力のある本だよね。そのあとの小説なんかには、ないような力があると思う。人間を動かすような力があると思う。

――『ぼくはプレスリーが大好き』は、素晴らしいエピソードが詰まった、ロックと意識革命についての本でしたね。

北山 ああいうのは、片岡さん自身も、たくさんの本を読まれたし、たくさんのインタビューを見たり、雑誌を見たりしながら、ピックアップしていったものだろうと思う。それはあの当時のアメリカのカウンター・カルチャーというものを、どうやって日本に紹介するかというときの、一番うまいやり方だったんじゃないかな。それは、俺にとって、非常に影響を与えた。
あとは、同じく片岡さんの『10セントの意識革命』 *64 (1973年、晶文社)だよ。自分が影響受けたりおもしろいと思った人は結構いるんだけど、最近のほうが、かえって少なくなってきてるみたいだよね、そういう視点を持って、ものを書く人の数が。そういうのでおもしろかったのは、『ホームメイド原爆 原爆を設計した学生の手記』(1980年、ジョン・アリストートル・フィリップス/デービッド・マイケリス 著、 奥地幹雄/岡田英敏/西俣総平 訳、アンヴィエル社)という本だね。若い子が書いた“ニュー・ジャーナリズム”の本で。アメリカで最初に原爆の設計図を書いちゃった高校生の話で、その人のルポなんだけど、イラン人がすぐに設計図を買いに来たりとか、家でこれとこれとこれの材料があれば原爆作れますよっていう話。それを出したために、その人の周りに、いったい何が起こったのかというもので、すごくおもしろかったね。日本では……って言われると、ほんとに、少ないんだよね。

*57 ニュー・ジャーナリズム論…文芸誌『海』の1972年12月号に掲載されたトム・ウルフの評論。サブ・タイトルは「小説を蘇らせるもの」。

*58 『レポーティング:ザ・ローリング・ストーン・リーダー』…1977年に刊行されたペーパーバック。19本の精選したレポートをもとに「ローリングストーン式・報道」とはどういうものかを紹介している。

*59 『ポール・マッカートニー・ニュースコレクション』…マリワナ所持で来日しながらもコンサートのできなかったポール・マッカートニーをめぐる波紋を、世界中の報道記事を徹底的に集めることで再現したドキュメント・ブック。ポール本人から版元に宛てて、大量にこの本の注文が来たという。

*60 『ローリングストーン日本版』…1973年から1976年まで刊行されていた、日本初の意識革命のためのロック雑誌。本国版『ローリングストーン』の翻訳記事が、毎号のように誌面を飾っていた。

*61 レックス・クボタ…日本版『ローリングストーン』のオーナーだった人物。本名・窪田竜一。『スネークマン・ショー』のドラッグ・コメディ「盗聴エディ」に登場してくるパラノイアの男は、レックス・クボタがモデルである、との説あり。

*62 『全都市カタログ』…「シティ・ボーイはいま、都市の思想を持たなくてはならない」との考えのもとに編集された都市生活カタログ。『全地球カタログ』の影響下に生まれたもので、生き残るための「本の情報」を掲載した。

*63 『ぼくはプレスリーが大好き』…ロックが時代へのインパクトでありえた1950年代から1960年代の時代を報告した本。小説家になる以前の片岡義男のハードな面を示している。現在(当時)は『音楽風景』(1991年、シンコーミュージック)と改題され、刊行中( 1974年、角川文庫。1996年、ちくま文庫『エルヴィスから始まった』に改題 )。

*64 『10セントの意識革命』…ロック、コミック、カウボーイなど、片岡義男が1950年代から1960年代にかけて影響を受けたアメリカについて書いた評論集。北山耕平編集長時代の『宝島』のテーマだった“シティ・ボーイ”という言葉は、この本から生まれた( 2015年、再版)。

記事一覧:北山耕平インタビュー「新しい意識、新しい新聞」

【第1回】ソフトな奴隷制を打ち破る編集
【第2回】ロック雑誌の中に「声」を探していた
【第3回】自分たちの新聞を作ろう
【第4回】自分の頭で考えて、自分の目で見て、自分の手で書く
【第5回】ニュー・ジャーナリズムには人生が凝縮されている


この記事の画像(全1枚)



  • カルロス・カスタネダ著/北山耕平・訳『時の輪』

    発行:太田出版 定価:本体1550円+税
    死の直前、カスタネダが自らの手で一冊に凝縮した、呪術師ドン・ファンの教えの心髄。今こそリアルに響く、古代メキシコのシャーマンたちの生と死と宇宙への思索。「ドン・ファンの教え」から「沈黙の力」まで、”もうひとつの知の体系”の核心がここに。
    http://www.ohtabooks.com/publish/2002/04/05202428.html

    北山耕平(きたやま・こうへい)
    1949年生まれ。立教大学卒業後、かつて片岡義男氏と遊び友達であったことから宝島社に入社。『宝島』第4代目編集長を経てフリーライター/エディターに。『ポパイ』『ホットドッグ・プレス』『写楽』『BE-PAL』『ART WORKS』『ゴッドマガジン』等の雑誌創刊に立ち会う。ベストセラーになった『日本国憲法』の企画編集に参加した。著書に『抱きしめたい』(1976年、大和書房)、『自然のレッスン』(1986年、角川書店*2001年、新装版、太田出版。2014年、ちくま文庫)、『ネイティブ・マインド』(1988年、地湧社*2013年、サンマーク文庫)、『ニューエイジ大曼荼羅』(1990年、徳間書店)、『ネイティブ・アメリカンとネイティブ・ジャパニーズ』(2007年、太田出版)、『雲のごとくリアルに』(2008年、ブルース・インターアクションズ)、『地球のレッスン』(2010年、太田出版*2016年、ちくま文庫)、訳書に『虹の戦士』(1991年、河出書房新社*1999年、改定版、太田出版。2017年、定本・最終決定版、太田出版)、『ローリング・サンダー』(ダグ・ボイド、1991年、平河出版社)、『時の輪』(カルロス・カスタネダ、2002年、太田出版)、『自然の教科書』(スタン・パディラ、2003年、マーブルトロン)、『月に映すあなたの一日』(2011年、マーブルトロン)等がある。

  • 雑誌『スペクテイター』最新号(vol.46)特集「秋山道男 編集の発明家」

    発行:エディトリアル・デパートメント 発売:幻冬舎 定価:本体1000円+税 
    spectatorweb.com

    『クイック・ジャパン』創刊編集長であり、本記事の執筆者である赤田祐一が編集を務める雑誌『スペクテイター』最新号、特集「秋山道男 編集の発明家」発売中。
    「若い時代というのは、自分を圧倒するものが目の前に出現すると、無条件で心酔したり、神格化してしまうようなところがある」
    赤田が、北山耕平と共に心酔した編集者のひとりであるスーパーエディター・秋山道男の総力特集。
    「あらゆるクリエイティブはエディトリアルだもんね」


この記事が掲載されているカテゴリ

Written by

赤田祐一

(あかた・ゆういち)1961年東京生まれ。立教大学社会学部観光学科卒。『スペクテイター』編集者。大学卒業後、飛鳥新社入社。『ポップティーン』編集部で仕事を教わる。その後、『クイック・ジャパン』『団塊パンチ』創刊編集長に。著書として、マガジンハウス『POPEYE』誌の草創期を記録したオーラル・バイオグ..

QJWebはほぼ毎日更新
新着・人気記事をお知らせします。